真宗僧侶のかっけいです。
お仏壇のお飾り(荘厳:しょうごん)についてどれくらいご存知でしょうか。
お仏壇とはお寺の内陣の様子をコンパクトなサイズで表現したもので、仏壇屋独自のデザインが施されていますが、基本となるものは同じです。
お仏壇に飾られているものは仏具と呼ばれ、それぞれに名称があり役割があります。
今回は一番目にするところにありながら、名前すら知られていない仏具「華鬘と戸帳」を紹介します。
戸帳(とちょう)と華鬘(けまん)について
上の写真は自坊の内陣に安置されている阿弥陀如来像です。ここに今回、紹介する仏具の戸帳(とちょう)と華鬘(けまん)があります。
これだけではわからないと思うので、画像で補足します。
戸帳は仏様への敬意を表す仏具
戸帳とは仏様(仏像)の前にある布のことです。仏様が見えるように「Π」のような門構えの形をしています。
戸帳のことを仏教用語では「とちょう」と読みます。一般的には帳と書き、「とばり」と読まれることが多いでしょう。
役割としては「帳(とばり)」とよく似ています。
とばり【帳・帷】(古く「とはり」とも)
1室内や寝所・帳台・厨子・高御座(たかみくら)、また、外部との境などに垂らして、区切りや隔てとしたり、光をさえぎったりなどするための布。壁代(かべしろ)、几帳(きちょう)、のれんなど。
2 物を隔て区切るもの、覆い隠して見えなくするもののたとえにいう。
日本国語大辞典ー第2版ーより
つまり戸帳とは仏様と私たち俗の人とを隔てるために飾られているのです。
そんな説明をすると、仏様と私たちの間には壁があって排他的な存在だと感じてしまう人もいるかもしれませんが、そうではありません。
お寺で仏様を安置しているのは内陣と呼ばれ、本堂の奥側の一段高いところにあります。そしてさらに真宗寺院ですと内陣は黄金色の彩色を施しています。仏様が安置されているところは須弥壇の一番上であり、仏様の世界を表しているのです。
戸帳とは、仏様の世界(浄土)と私たち(俗世)との間に布を垂らすことで、自ずと仏様に敬意を表しているのです。
似たようなものに、「御簾(みす)」がありますね。
例えば時代劇を見ますと、天皇・帝(みかど)に会おうとしても簾(すだれ)の向こう側にいて、直接お顔を拝見することはできませんよね。
尊い人物として直接触れられないようにしているのです。簾を通して敬っていることを簾中(れんちゅう)ともいいます。
今でも丁寧な家の仏間には御簾が掛けられていますし、お寺の内陣にも御簾が掛けられています。(ただし簾を下ろしますと内陣の様子がみえないので、常には上げられています)
お寺の簾の向こう側、戸帳の向こう側には尊いお方(仏様)がいらっしゃることを表しているのです。
また当然、戸帳とは仏具ですので、仏様のお飾り(荘厳)ということで、布には金襴が使われ美しく彩られています。
華鬘とは仏様に供える華飾りの仏具
まずは漢字の意味を説明します。
華鬘(けまん)の華とは「はな」とも読みます。美しい花・きらびやかな花・輝きや光の意味があります。
鬘とは「かつら・かずら」と読みます。ここでは「かずら」の意味合いで使われます。草や枝や花で作られた髪飾りのことです。
つまり華鬘とは「華で作られた髪飾り」という意味になります。
なぜ華鬘をお飾りする由来には主に二つの説があります。
- 古代インドでは、花を糸で結んでいた髪飾りから
- 戸帳・帳を上げるときにまとめる紐から
仏様のお供えにはお花とお香とお光が欠かせません。華鬘というのはお花のデザインが施されており、常にお花を仏様にお飾りしていることになります。
もう一つの説は帳を上げるときの紐からということです。
帳というのは何もしないと常に布が垂れた状態で向こう側が見えません。そこで紐を使って結んでたくしあげている必要があります。
もともと帳というのは宮中や高貴な人たちが使用していたので、紐の結び方も飾り結びと言われ、おしゃれな結び方だったそうです。
例えば次の結び方も飾り結びの一つです。
このように帳と紐はセットにして使われるものであり、この紐がやがて仏様の戸帳をお飾りしていくことから、金属製や木製の金華鬘に、あるいは紐華鬘へと変化していったのではないでしょうか。
個人的には2番目の説が正しいような気がします。
なぜなら仏様とは悟りをひらかれた方です。菩薩とは違い、身なり・身に着ける装飾というのは非常に簡素なものでいいはずです。着飾る必要がないのですから。
また髪飾りといいながら仏様に直接デザインを施すわけでなく、わざわざ戸帳の手前にお飾りしているのは、やはり由来が帳を結ぶ紐だったことの名残りではないのでしょうか。
仏壇のご本尊でも華鬘と戸帳をお飾りする
この華鬘と戸帳のお飾りは、何もお寺のご本尊だけにするのではありません。
最初に言いましたように、お仏壇とはお寺の内陣の様子をコンパクトに表したものです。
ですので家のお仏壇でも同じように、仏様を敬うために華鬘と戸帳をお飾りします。
さいごに。華鬘・戸帳は仏様に一番近い仏具
戸帳とは斗帳とも戸帖とも文字であらわされることがありますが、仏具としての意味は同じです。
戸帳も華鬘も仏様を尊いお方と自然と感じ取れるためにお飾りされているのです。
じつはお寺のご本尊では正面以外に、側面にも戸帳と華鬘をお飾りしている場合があります。
これは仏様が安置されているところが須弥壇(須弥山)の一番上、仏様のおられる空間を表しているからです。仏様に最も近い仏具であり、浄土の尊い空間を表しています。
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追記。華鬘を吊り下げる高さについて
華鬘をつりさげない方の中には、『華鬘を吊り下げると仏様の顔が隠れるから嫌だ』という人がいます。
確かに華鬘のお飾りをしますと、仏様のお顔は隠れます。もっともそうな言い分ですが、お寺さん的には少し違った意見です。
そもそも仏様を拝むときはどのようにしますか。正座をして(姿勢を正して)仰ぎ見ますよね。
私たちが立った状態で仏様を見下ろしたり、同じ目線で拝むということはしないはずです。失礼に当たりますから。
華鬘をお飾りする位置は、紐の房に当たるところが仏様(ご本尊)のお顔正面に来るのがいいとされています。
これは華鬘があることによって、仏様と同じ高さにいるときはお顔を隠し(尊いお方なので)、見上げて拝むときにお顔がはっきりと見えるようにするためです。
実は仏様も半眼といって少し伏し目がちなので、私たちが見上げるようにお参りするとちょうど仏様と目が合い、向き合う形になります。
私からの返答は「華鬘で仏様の顔が隠れるのはおかしなことではありません。仏様とは仰ぎ見て拝む存在なのですから」となります。お顔が隠れるのは、仏様を敬う気持ちが表れた飾り方なのです。