上部リンクユニット

横長リンク広告だけ,7/1一時停止

「蝉」霊山本廟長のエッセイ(4)【平成26年9月求道】

投稿日:

円龍寺若坊のかっけいです。

現在平成30年の夏7月は非常に暑い日が続いています。ここ香川県では6月28日にニイニイゼミの、7月15日にアブラゼミの初鳴きを観測しました。平年よりも10日ほど早く鳴き始めたようです。

蝉というのは不思議な生き物です。

生涯のほとんどを地面の中で過ごしていながらも、はかったかのように梅雨明けの後に地上に出て、成虫になるために羽化します。そして気温が35度以上にもなる酷い暑さの中、それを苦に思わないほどの蝉騒を響かせています。

「惠蛄(けいこ)春秋を知らず」という言葉があります。夏の蝉は、春と秋の季節を知らない。いやもっと言えば、地上に出ている今が夏というのも知らないのではないかという意味があります。しかしどうでしょうか。蝉ははたして夏を知らずに生きてきたのでしょうか。見たこともない経験したこともない春や秋というのは、蝉にとって存在しない世界の出来事なのでしょうか。

蝉というのは不思議な生き物です。賑やかで騒がしいイメージを持たれるかもしれませんが、実はわずかな命を燃やし次の世代につなぐ「あはれ」を表しているように感じますし、また長年土の中に生きていることから「耐え忍ぶ」姿を表しているようにも感じます。

今月の求道はお盆を過ぎた住職が、夏の蝉から感じたことが書かれています。

平成26年9月号の求道

霊山本廟の盂蘭盆会法要が勤められた翌週、今私は、まだ熱さの残る風を頬に感じながら、子供たちと一緒に手を合わせ、地元のお地蔵さんにお参りをしています。これは地蔵盆といわれる京都に残る晩夏の風物詩です。今でも関西地方を中心に続いている宗教行事で、浄土真宗のお寺と直接の関係はありませんが、地域の大人たちとともに、子供たちの成長を願う習俗と申せましょう。

 

地蔵盆が終わると、さすがに夏も峠を越え、蝉の鳴き声にも一足早い秋の訪れを感じます。この霊山本廟に住込み始めて分かったのですが、蝉の鳴き声にも何かしら地方色があるようです。知っての通り蝉は、オス蝉しか鳴かぬわけですが、京都の蝉は大変穏やかに鳴きます。この霊山は木々に囲まれた所ですから、耳栓まで用意しなければと覚悟をしていましたが、その鳴き声たるや何とお上品なことでしょう。それに引き替え郷里の香川の蝉の喧しいこと。蝉の鳴き声を聞けば、文化が分かると言えば言い過ぎでしょうか。それとも、蝉の世界でもこの頃風の草食系蝉の登場なのかもしれません。

 

ところで、蝉は夏や秋の季語に用いられますが、その喧噪とは反対に、「ものの哀れ」をも表します。うつせみとは「空蝉」と書きますが、土中に長く暮らしながらも、天敵の多い地上に這い出て残り僅かの命を燃やす。それは新しい命を紡ぐ最後のお礼なのでしょう。

クロード・モネの《散歩、日傘をさす女性》1886年の作品

『散歩、日傘をさす女性』クロード・モネ

さて、夏の日差しから秋への香り漂うなかで、思い浮かべるのが、モネの「日傘をさす女」(一八七五)です。十一年後に製作された「左、(右の)日傘をさす女」は、パリで見ることが出来ます。後年の作品のモデルが誰かについては諸説あるようですが、私のような素人にはどのようにも理解できるわけで、絵画鑑賞なるものは、どれだけその作品に自分が入り込めるのかであり、むしろ年月を経たモネの心胸を頂くところに興味が湧くわけです。

 

写実から印象への軌跡のなかで、画家の目を通した世界。それは喜びと悲しみの思い出であり、製作時における、まさに印象世界なのでしょう。

 

私たちも心にフィルターをもっています。過去の辛い悲しい出来事も、今の私に何を残してくれたのか。心の一部分となり、手が届きそうで届かない愛しき思い出。過去に生き、今を生きる私たちに、どうか慈悲という名の光が頂けることを願っています。

合掌

8/11~SP用リンクと関連

8/11~PC用リンクと関連

-僧侶が思うこと・コラム
-,

Copyright© 真宗興正派 円龍寺 , 2018 AllRights Reserved Powered by micata2.