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大乗仏教と小乗(しょうじょう)の表現について

真宗僧侶のかっけいです。

お坊さんは仏法法話をします。

私はかつてお話の中で「小乗仏教(しょうじょうぶっきょう)」というワードを使ったところ、お参りの人から、「小乗は使うな。上座部と言え」としかられました。

まあ確かに、小乗という言葉を嫌う人もいることはわかります。でも私は悪口のつもりで口にしたわけではないんですよ。

今回は「大乗」と「小乗」について、批判が出ない程度の解説をします。

浄土真宗は大乗至極の教え

浄土真宗の宗祖の親鸞は、自著の『末燈鈔』に次の言葉を残しています。

浄土真宗は大乗のなかの至極なり

末燈鈔より

大乗というのは、「仏に成ることを望む人すべての人が仏にする」といった諸仏菩薩の誓い願いのことです。

浄土真宗の阿弥陀仏は、「阿弥陀仏(わたし)の浄土に往生したいと願うならば、必ず仏に成らしめ、またその誓願が成就した」という仏さまです。

大乗(だいじょう)という言葉は、宗祖親鸞も使っている言葉です。

正信偈にでてくる大乗

釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺

龍樹大士出於世 悉能摧破有無見

宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽

正信偈より

意訳

  1. お釈迦さんが楞伽山にいて、聴衆に言った。
  2. インドの南で龍樹というお坊さんが登場すると。
  3. 龍樹は有無(こだわる見方・よこしま見方)を破った。
  4. 大乗のすぐれた仏法をつたえる。
  5. その法は阿弥陀仏の浄土(安楽国)にうまれると。

龍樹(りゅうじゅ)というお坊さんは、大乗の仏教を大成したとされる人です。お釈迦さまが亡くなられてから300年ほど後の人です。

お釈迦さまは、人は老いて病み死ぬこと(当たり前だと誰もが思うこと)を深くをさとられました。その苦しみ悩みの原因が、縁起であると教えられたのです。有るという物事にこだわる見方、無いという虚無にこだわる見方が苦悩の原因だと。

龍樹というお坊さんは、有と無ではなく、事実を事実としてそのまま受け止めることが大事。言い換えれば、自分勝手な見方にこだわらないのが大切ですよと教えられたのです。

大乗は「大きな乗りもの」であり、すべての人々が、あらゆる人が救われるという仏さまの誓われた願いによって、仏さまの浄土にのせていただける偉大な乗りものです。

救われない人がいる教え・仏さまの乗りものにいただけない教えは、大乗とはいえません。

小乗は優れた人たちの教え

小乗仏教は、あまり使っていい言葉ではありません。それは大乗仏教の人が言い始めた言葉であり、小乗仏教をおとしめていたからだそうです。

小乗(しょうじょう)

梵語ヒーナヤーナの漢訳。大乗に対する語。主として上座部系の仏教をいい、声聞乗ともいう。

小乗とは、自己のさとりだけを目的とする劣った乗物という意で、大乗に比べて教・理・行・果および修する機根が劣る点で大乗からつけられた呼称であり、現在、この教えをうけている南方仏教徒はこれをテーラヴァーダ(長老の教えの意のパーリ語)と呼んでいる。

『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社より

本願寺出版社がの辞書にも上記のように解説されています。

大乗は、あるゆる人がともに救われていく教えです。

一方で小乗は、苦悩の原因である自分自身の煩悩をなくす阿羅漢(あらかん)の境地を目指しています。お釈迦さまの教えを忠実に実践しようとしたのです。

小乗の教えもすばらしいです。

しかし誰もができる教えなのでしょうか。


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小乗の言葉は大乗の意味を説明しやすい

小乗仏教は大乗仏教から見たときの、差別的な表現に見えます。

そのため小乗ではなく、上座部仏教(じょうざぶ)と表現し、お釈迦さまの教えを守ることができる優れた出家者とほめたたえた方がよろしいでしょう。

でも自分自身を振り返ってみてください。

自分は、自分自身を悩みから切り離せられるように、生涯かけて修行し続けられるでしょうか。

人よりも得した損した・多い少ないと、有るや無しやと比較しながら怒り泣き笑い生きているでしょう。

大乗仏教は、いつでも・どこでも・だれもが、救われる教えです。自分一人だけが救われる教えではありません。

私は大乗の話をするときに、つい小乗を口にしてしまいます。しかしそれは小乗が劣っているからではありません。すべての人を救いたいと願われた阿弥陀仏の誓願がどれだけ素晴らしい教えであり、とてもじゃないが、煩悩を切り捨てられない私たちのための教えである大乗の真宗を説明しやすいのです。

浄土真宗の教えはとくにすぐれた大乗です。阿弥陀仏の教えを信順する人はみな、阿弥陀仏のはたらきにより必ず阿弥陀仏の浄土に生まれさしていただくからです。

浄土真宗は有無をはなれる教えを軽視していったのではありません。

お釈迦さまも龍樹も有無の見方を取り除くことを勧められています。

浄土真宗は、いまの私がそのまま救われていく、大乗の教えです。煩悩だらけの自分を否定したり肯定するのではなく、仏さまの智慧のはたらきにより、煩悩だらけの浅ましい自分を知り、ありのままの煩悩のままの自分を受けいれ、仏さまのお心にますます出あうご縁へと転じていくのです。

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