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お墓の今後、お骨とどう向き合うのか。真宗若手僧侶の思い

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こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

私はこの平成28年で26歳となり僧侶の中ではまだ若手の方かもしれません。

ご門信徒さんのお参りに行くようになって10年ほどしか経っておりません。

しかしこの10年・20年の間に、私たちの社会状況や仏教を含めたさまざまな宗教的慣習が大きく変化していると感じています。

例えばお寺さんがインターネットを使って情報を伝えるということは、20年前では想像もできなかったのではないでしょうか。参考までに1996年に日本で初めてのポータルサイトの「Yahoo!JAPAN」がサービスを開始し、日本でのインターネット人口は3.3パーセントと言われています。

一般家庭の仏教的慣習にも大きな変化が出てきました。

香川のような田舎であっても葬儀を自宅でされる方がだいぶ減り、葬儀社などの会館でするのが当たり前のようになってきています。親戚付き合いや近所付き合いも減り、人が亡くなっても、隠すかのように誰にも知らせずにこっそりと葬儀をされる方もいます。

まだ円龍寺周辺の金倉町の川西では9割近くの方が自宅で葬儀をされますが、ここもあとどれだけ持ちこたえることができるのか。

 

話が冒頭から逸れてしまいましたね。

今日は昨今のお墓・お骨のあり方、向き合い方について私が感じていることを書きたいと思います。

愚痴っぽくなるので、気分が悪くなったらごめんなさい。

 

 


お墓を取り巻く環境の変化

核家族化・単独世帯の増加

日本ではかつては3世代の家庭というのが当たり前だとされていました。

家にはおじいちゃん・おばあちゃんがいて、お父さん・お母さん、そして子供がいるのが3世代世帯といわれるものです。

しかし現代では単独世帯や核家族の世帯が増えつつあります。

核家族とは3世代世帯ではない家族構成だと思っていただいたらOKです。

単独世帯は要は独り身の家だということです。

長男が家を継がなくてもよい社会になり、家を守る人がいなくなっています。

家を別に建てて元々あった家は空き家になっています。香川県では5軒に一軒が空き家になりつつあります。お参りに行っても若い人の居ない家ばかりになりつつあります。僧侶と家の若い人が出会う場所がなくなりつつあると感じます。

お寺の人間としては、僧侶がお参りにきているときはできるだけお仏壇に一緒に参ってほしいと思います。

家を守らなくてもいい意識があるのか、実家がしていることに対して無関心な人が増えてきているような気がします。

 

これがお墓参りでも関係してきていると思います。

香川は車社会ですので、おじいさん、おばあさんだけの家だとお墓やお寺にお参りする手段が乏しいです。若い人がいても気兼ねをしてお願いすることを躊躇う人が多いです。迷惑をかけたくないという私から考えたらわけのわからない理由だそうです。

家を守る意識が薄れることが、そのままお墓を守る意識の低下につながっているように感じます。

親戚付き合い、近所付き合いの減少

実家のことに無関心な人が増えることの一方で、家族以外の人たちとの付き合いの減少もあると思います。

昔は有難いことにお節介な人が多かったですね。親戚や近所のことになんでも口を出してくる人がいますね。なかなか自分のこと以外のことに口を出してくれる人いないですよ。

もうね、今の時代、人と付き合うのが嫌だという人が増えています。

法事を見てても親戚付き合いしていないのか、連絡すらしない家もあります。

見ててつらいし、寂しいです。

 

祖父母が亡くなった時も同じですよ。

両親の兄弟や親戚の迷惑、近所の迷惑になったらいけないというわけのわからない理由で連絡を躊躇う人がいるそうですよ。

今までいろんな人のお世話になって生きてきたのに最期の最期の別れをしないって何なんですかね。仏教では死は穢れじゃないですよ。真宗では仏縁に出逢わしていただく機会ですし、亡くなった人から残された私たち向けた説法でもあります。

 

人目を避けるようにこじんまりとした葬儀をして、御香典も辞退したりしてそんなに関係をもちたくないのかと思ってしまいます。

お供えやお花も断るんですって、いただいたら負担になるそうですよ。している側はご遺族にというよりも故人に手向けているということをご遺族の方はわからないのかな。

「故人の遺志により」ってえらい便利な言葉ですね

 

お墓のあり方

家を守らない、故人、近所・親戚との関係をもたないとなるとお墓を守るという意識もなくなってきます。

お墓を守るというのはなかなかに難しいものです。

円龍寺にも昔からのお墓はありますが半分近くは無縁墓です。

そもそも各家庭のお墓の歴史はそれほど古くはなく、100年も維持しているお墓の方が少ないんではないでしょうか。

 

遺族の方がお墓の中にお骨を入れるときに驚くことが、意外とお墓の中の環境が劣悪だということです。お墓の中は意外と湿気があります。また、昔はお墓の中の土に直接骨をまいたりもしています。

お骨を納めた後もお墓の維持のために、年に最低でも数回はお墓に参り、清掃もしなければなりません。

いままで家のことやお墓のことに関係を持とうとしなかった人にはなかなかお墓を守るのは大変なことだそうです。

また実家から離れて生活をしていたり、遠方へ仕事に行っている世代にはそもそもお墓の維持は難しいそうです。

 

家族のお骨をどうみていくのか

お墓にお骨を納めていてもお参りに行く人がいなければ、そのお墓はやがて無縁仏になってしまいます。

先祖・家族のお骨が粗末にならないようにしたいと思っていても、現実はなかなかに難しいものです。苔むしたお墓やお花の立て殻がさされたままのお墓、雑草だらけのお墓などが目立ちます。

 

またお骨はお墓に置くことはできません。

これは法律で置けないということではなく、仏壇のあり方という考えから置けないのです。お仏壇というのはお寺の仏さんをコンパクトに表現し、家に置けるようにしたのがあの形です。お寺というのは仏様を安置して、仏様のお浄土を表現しているます。ですからお寺といのはそもそもはお骨を納めることはできませんし、お仏壇もお骨を納めることはできません。ですので真宗では本山の本堂以外に廟所というところ設け、そこでお骨をお祀りしています。

中陰の間もお骨はお仏壇に置かずに、横にお骨を置く専用の台、中陰壇を設けますよね。お仏壇にはお骨は置けないのです。

ではお骨を粗末にしないにはどうするのか。

檀那寺に納骨をする

お墓にお骨を納めるのは想像以上にハードルが高いです。

家族と暮らし、祖父母のうしろ姿を見てきた人には何とか維持できるでしょうが、これからの社会状況を考えてみますと先行き不透明です。

 

そのため最近流行ってきているのがどこかの施設・団体に納骨するという行為です。建物内に設けられ納骨壇というのは外で管理されているお墓と比べて、夏秋の寒暖差は小さいですし、雨風にさらされることもありません。場所によっては宗旨を問わない・郵送オーケーという完全なビジネスになっている納骨施設もあります。

 

私がおすすめするのはお世話になっている檀那寺に納骨するということです。

お骨を預かるところはどんどん増えていますが、実は檀那寺にお願いをすれば預かってくれるところが多いです。

檀那寺と御門徒さんの檀家とは永代の関係です。

永代とはお寺があり続ける限り、御門徒さんの家があり続ける限り、決して絶えることのない関係のことです。

納骨堂のないお寺でも納骨壇を設けている檀那寺は多いですし、大切な御門徒さんのご家族のお骨です。勝手に合祀をすることもないですし、粗末な扱いになることもありません。

宗派を問わずに何でもお骨を預かるところはすぐに合葬をするところがあります。半年もお参りに行かないと無縁になったと判断して合葬してしまいます。全国からお骨が集まってくるのですから合祀をしないとすぐに場所がいっぱいになってしまいますからね。

御門徒さんからのお骨しか預からない檀那寺はそもそもお骨がいっぱいになることはないですし、黙って合葬することもないです。円龍寺では本堂の横にお納骨堂を建てて個人のお骨を預かる壇と、家族単位でお預かりする大きな納骨壇を用意しています。大きな納骨壇では骨壺が30ほど入る大きさです。一つ買えばそれこそ永代にわたってお墓代わりにお骨をお祀りできます。ただし現在は御門徒さんに限っての納骨です。

 

最近ではさまざまな納骨の方法があります。

例えば樹木葬や、散骨といった自然葬と名付けられたものがあります。

しかし私は言いたいです。

あなたは良くても後の方が手を合わすことができますか。

言い方悪いですけども、自然葬はお骨を捨てていませんか。

私の言い方に気分を悪くする人がいると思いますが、お骨というのはその姿を残さなければなりません。それはお骨に魂があるとかといったおかしな理由ではなく、お骨といった肉親が残された最後の姿を私たちに見せていただき、いずれ私も死んでいかなければならない身であるということ、仏縁をいただくということが大切です。

そもそも樹木葬って相当に新しいことですよ。年々木は大きくなりますし、いずれは枯れてしまいます。後々本当に大丈夫なんですかね。

少なくとも散骨は遺骨遺棄罪と墓地埋葬法によって個人で自由に好きな場所でするのには難しいです。許可をもらった団体や場所でないと現状できないですし、将来も不安になります。

 

墓じまいについて思うこと

これもまた新しい言葉で「墓じまい」というものがあります。

昔から使われている言葉では「廃墓」ですね。

 

廃墓というのは基本的にお墓の後を見る人がいなくて、無縁墓になる前にお墓の場所を所有者にお返しにするということですね。

田舎だとうっかりしている人が多いのですが、お墓の土地は借りているんですね。

ですので、無縁墓になるとその土地の所有者が困ってしまいます。

 

円龍寺でも現在は納骨堂がありますので、お墓を廃墓にしてお骨を取り出しお寺に納骨されている方が増えてきています。

これは非常に難しい問題に感じています。

私としてはお墓が残るのであれば残していただきたいところです。

お墓というのは何もしなければ傷んでしまいます。家と同じですね。誰かが守らないといけません。冒頭の方で家族のあり方について言いました。現代では家を守るという雰囲気でもなくなりました。かつてはお墓を守ることで家族の団結というのも保たれてきました。

しかし、お墓を廃止にすることはお寺にお骨を任せっきりになってしまいます。檀那寺ですのでお骨を粗末に扱うことはないのですが、お骨を通してのご縁がより一層なくなりそうな気がしています。家の方がお骨をお邪魔ものとして扱わなければいいのですが。


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さいごに

たったの10年・20年で世の中は大きく変わります。

家族との関係、親戚・地域との関係の希薄化がすすみ、また残された方が宗教に無関心な方が増えてきているように感じます。

現代は個人の自由が重要視されるようになった一方で、家族の形を守ることが軽視されてきたように思います。宗教というのは葬儀や法事などの儀式的なときだけに関わりを持つものではありません。

宗教というのは今生きている私たちが歩んでいく道を迷わず示してくれるものです。

それは本来、家庭の中からでも感じることができていました。しかし親の姿を見ない社会になり、なかなか宗教を感じる生活は難しくなってきています。

両親・ご先祖のお骨やお墓を見ていくことが難しくなりつつある社会ではありますが、ご先祖への敬いや御恩を忘れない社会であることを望みます。

 

今日は思いついたことをそのまま文章にしただけですので、改めてまたお骨のこと、お墓のことについて書き記したい思います。すごーく読みづらい文章ですいませんでした。

 

ここまで読んでいただいてありがとうございます。

 

 

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