お坊さんも評価される時代?.ラジオ#21

第21回目のラジオ配信。「お坊さんへの拍手(評価)」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

音声の文字起こし

最初に「ニックネームは俊」さんにお礼です。私のポッドキャストに初めてコメント・評価をしてくれた方です。

良き出会いに感謝

毎回、楽しみに拝聴しております。10分間の短い時間ですが、本当に心地よい学びの時間を得ることができております。有り難うございます。

ニックネームは俊

こちらこそ、ありがとうございます。これからもご縁ある時に、ぜひ聞いていってくださいな。

さて、先週11月26日の新聞を見ていますと、面白いニュースがありました。

タイトルは「どのお坊さんが高評価?」「僧侶の仕事ぶり、顧客が評価」です。

どんな記事内容かと手短かに説明しますと、

葬儀や法要での僧侶の態度や法話などを顧客に採点してもらい、僧侶本人に自省を促す仕組みを、僧侶派遣会社「ユニクエスト」がつくった「てらさぽ」というサービスが始めたというのです。

50点満点で評価をつけてもらい、地域別にランキングを作り、ランキング上位の僧侶には優先的に仕事を任せるとのことです。

こんな点数をつけるシステム・サービスはとっくにしてるんだと思っていたけど、まだやってなかったんですね。

で私の意見を言うと、この評価することに反対の立場です。

その理由は、今日の話のテーマの「お坊さんに拍手しないこと」が関係します。

この新聞記事によると、採点項目は5つあって、

  1. 清潔な身なり
  2. 親身な対応
  3. 丁寧な話し方
  4. 読経
  5. 説法・法話の内容

これら5つを僧侶派遣サービスの利用者が採点するとのことです。

身なり・対応・話し方を評価するのは、まだ分かりますが、読経・説法・法話に点数をつける、評価をするというのはこれは反対です。

でなんで反対かと言いますと、お坊さんに拍手しないからです。

まあ、お坊さんに拍手しないというのは、浄土真宗のお坊さんがよく言うことで、ひょっとしたら浄土真宗以外の仏教宗派では、拍手は大歓迎なのかもしれませんが。

拍手しない理由は、拍手と言うのが、批評だからです。

音楽会や演劇会を例に挙げると、素晴らしい・感動したと感じると称賛の拍手をするでしょう。いまいちだと感じれば、拍手をしないでしょう。

良いものに拍手して、悪いものに拍手しないのは当たり前でしょうと、思う人もいるでしょうが。お坊さんのすることに対しては、これが当てはまりません。

お坊さんが読経や法話をしますよね。

それを聞いた人が、「いいね。なんて素晴らしいんだ」と拍手するのは、他人事として、作品として、自分と関係ないこととしてしか見えていないのです。

読経とは、仏さまの法を読み聞かさせていただいていること。

法話・説法とは、仏さまの法を話し伝えているだけのこと。

読経・法話・説法に対して、拍手を送るというのは、仏さまのお言葉に対して拍手していることになります。

仏さまの伝える法・お言葉とは、自分が聞いて満足するものではありません。聞いて納得する話がいい話・素晴らしい話ではありません。自分の思いを越えた所から願われているんだという仏さまの法を、読経・法話・説法を通して聞いていくのです。

もしお坊さんがすることに対して拍手をするのであれば、それは仏さまに対して評価・批評することであり、自分にとって都合のいい話だけを讃えるという自己中心的な物の見方から離れることができていないのです。

たとえ90歳を過ぎたカエルを潰したかのように何をしゃべっているのか分からない老人の読経であれ、6歳のたどたどしく読む子供の読経であれ、どちらも同じく尊いのです。

点数なんてつけられないのです。

人間が基準とした他者への称賛の表現は、仏法を説く、法事や葬儀の場では、全く意味を持ちません。

だから拍手をすることはしないのです。点数・評価することももちろんできないのです。

私の死んだ祖父が、こんな言葉を残してくれました。

「法話とは慚愧(ざんぎ)」だと。

法話をするとき、法話を聞くときは、慚愧がなければならない。慚愧の心がない法話は、法話ではない。という遺言です。

慚愧は難しい言葉で、懺悔と混同されることもありますが、違います。

慚愧についてはまた別の機会にお話しできればいいのですが、ここでは簡単に説明します。

慚愧とは、世の中に羞じる(恥じる)こと・自分自身に対して羞じる(恥じる)ことです。

人は自分にとって都合のいいこと。耳心地のいい言葉・態度をしてくれる人は、自分にとって素晴らしいものだと、思い込んでしまう。

でもそれで満足してしまうと、いつまでたっても自分勝手な考え方は変わらないし、自分にとって不都合なことがおきると人に対して社会に対して、文句を言ってしまうようになる。

仏さまの話を聞く、読経・聞法・法話ではその姿勢はダメなのです。

自分自身の思いをふりかえさせてくださる仏さまの話を聞き、自分自身の心の浅ましさをもったいないなあと恥じ、世間に対して恥じる慚愧の心が、大切なのです。

そうでなければ、法事や葬儀をしても、誰かのためにしてやったとか、観客の立場で批評・評価してやったと、仏法を聞いてもいつまでたっても他人事の生き方になってしまうのです。

お坊さんの話に拍手しない理由が分かりましたでしょうか。

もし拍手しようとしたなら、ちょっと待ってみて、自分のための話ではなかったのかと振り返ってみて欲しいです。

そしてそのまま手を合わし、合掌・念仏してくれれば、なおありがたいです。

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ラジオの補足、お坊さんへの拍手

お坊さんへの拍手

私は以前ブログ記事で、お坊さんの話に拍手をしてはいけないこと説明しました。

そのブログ記事には、次のことが書かれています。

  • 拍手には称賛・賛同といった意味がある
  • 拍手そのものが良い悪いではない
  • お坊さんの話に対して拍手するのが相応しくないのだ
  • なぜならお坊さんの話は仏様の話。仏法だから
  • 拍手することは仏様に対して批評したことになってしまう
  • 聞法の最後は拍手ではなく「合掌・念仏・礼拝」
拍手に関する外部リンク

拍手(批評・称賛)することに対して、解説している外部リンクも紹介します。

前者は法話を聞いた後、拍手するべきなのかという疑問から「なぜ念仏をするのか」という自身の答えを書いている。

後者は法話をどのような心持ちで聞くべきなのか。拍手することよりも何が素晴らしいことなのかを説明しています。

法話に関してちょっと一言

最近では、「法話グランプリ」とか「法話バトル」というのが開催されることがあります。テレビやネットでも取り上げられます。

例えば、次のような記事『いま、10分法話バトルがアツい!(RBBTODAY)』や『法話ナンバーワン決めるH1グランプリ開催決定(毎日新聞))』です。

記事の文言を引用すると、「磨き上げた「ネタ」を一堂に披露する初の試み」や「投票システムがあることでお客さんとの一体感が生まれます。審査員のご講評を聴くことで法話の味わいを深められます」とあります。

私が古い人間なのは分かりますが、仏さまの話(仏法)をネタ扱いにするのは、どうかなあと思います。それに浄土真宗のお坊さんからすれば、お話を聞くのに、入場料(1500円)を取るのもいかがなものかと思います。

記事の文言を引用すると、「「法話は有難く拝聴するもの」という従来のスタイルとはまるで異なる」とあり、お坊さんの方から法話をみさげているように感じます。

こうなると、お坊さんを評価する僧侶派遣サービスの評価システム・ランキングシステムに、お坊さんが口を出すことはできなくなるね。だってお坊さんがおんなじことをしてるんだから。

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