平日の法事っておかしいと思いますか。田舎では多くなっていますよ

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

みなさんは49日法要・100カ日法要・年忌法要などの法事(法要)日取りに悩まれたことがありませんか。

いや、悩まれない人の方が珍しいでしょう。

法事は「土曜日・日曜日にしなければならない」・「命日よりも早めにしなければならない」と先入観が持たれているから大変でしょう。

しかし以前このサイトでも「年忌法要(法事)は命日よりも遅れて勤めても問題ないこと」を紹介しました。

今回は法事の曜日選びが土・日の休日でなくても、平日でも施主・参列者・僧侶の都合が合えば問題ないということを紹介します。

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法事の曜日が土・日になる理由。

私は香川県のお坊さんで、最近では徐々に平日の法事が増えてきているのですが、やっぱり法事は土曜日と日曜日が多いですね。

法事の当たりの日が土曜日・日曜日になる人は自然と土・日の日取りになるでしょうが、平日があたりになる方が可能性が高いですよね。

土・日曜日のメリットは何と言っても施主とお参りの人の都合を合わせやすいということです。

法事はこっそりと一人でするものではないですよね。

施主の家族が積極的に仏前をお飾りをし法事に参加し、お坊さんや食事などの手配をし、身の濃い親戚の方はお参りに来ます。

土曜日・日曜日は学校や仕事を休みやすいため、施主の家族やお参りの人が法事に参加しやすくなります。

また法事の後の食事でも時間を気にせずに参加しやすくなります。

法事とは故人を偲ぶことを通して仏法に出あう仏縁ですので、一人でも多くの有縁の人にお参りしていただくことが大切です。

土・日というのはお参りしやすいんですね。

一方で平日の法事も増えつつある。

これは現代社会の現状によるものです。いくつか理由を挙げてみます。

  • 土曜日・日曜日の仕事が増えた。休めない人が多い。
  • 家族がバラバラでお参りに来れない・来ない。
  • 親戚関係が希薄化してしまった。
  • お参りの人の年齢層が高齢化した。

私が頻繁に説明することなのですが、法事とは縁ある人が一人でも多くお参りしていただきたいものです。

特に真宗では、法事・法要とは故人の冥福を祈る供養ではなく、生きている人すなわち参列者が故人の法事を通して仏法に出あうご縁としています。

信じられないかもしれませんが、法事にもかかわらず、施主の家族が参加しないこともあったりします。塾・習い事があるからとか、仕事があるからと何かと理由をつけて施主だけが法事に関わると言った無茶苦茶なことが実際にありえたりします。

また親戚に迷惑を掛けたくないというこれまたメチャクチャな理由で参列者に案内しないという場合もあります。お坊さんの私から言わせてもらうと、参加・不参加は案内を受けた側が判断することなので、施主の方から仏縁を捨てるというのはおかしな話です。

とはいってもお坊さんがとやかく言ってもこれが現代社会の実情なので、あんまり口うるさくばかり言うと嫌われますので黙っていることも多いです。

田舎では子や孫が出ていった家が多くなりました。

家にはおじいさん・おばあさんの高齢夫婦しかいないケースが増え、また親戚同士の付き合いも減ったため、法事に参列する人がかなり減少しましたし、参列する人の年齢層も高くなりました。

土曜日・日曜日に法事をするメリットは仕事や学校を休めて法事に参加しやすいということですが、田舎の法事では平日でも休日(土・日)でも都合を合わせるのに苦労しない人が増えています。(お参りの高齢化・お参り人数の減少のため)

平日の法事も問題ない。

田舎では平日の法事が増えつつあります。

それは参列者の高齢化や減少といった、法事の参列者が休日でなくても休みが取れるからです。

平日も休日も関係が無いんですね。

その場合は平日の法事も問題はありません。

ただ仕事勤めをしている人にとっては平日には仕事があり仏事を勤めるのが難しいと思います。

会社に休暇申請を届けるのも大変なため、やはり休日の法事が当たり前になりますかね。どうしても平日に法事を勤め会社に証明書を提出しなければならない時は、届いた法事の案内状を添えたり、施主や僧侶に証明書を依頼することが考えられます。


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さいごに。

香川では空き家がどんどん増えています。

今では5軒に1軒の割合に迫りつつあります。実際には一人暮らしや高齢夫婦の家が増えてきており、お参りに行きますと寂しさに包まれます。

法事を勤めても肝心な次の世代、子や孫が参加しないために法事の意義が失われつつあります。

法事は実家が勝手に勤めてくれていたら良いというものではありません。

肉親や有縁の人のご縁を通して、法事に参加して参列者の姿を見ていく中で、仏法に出あいそして宗教心が芽生えていきます。

不思議に思われるかもしれませんが、宗教心・信心・信仰というのは文字や言葉による説明、または知識によって得られるものではありません。仏教では仏様の智慧に出あうことで仏様よりいただいていくものです。

その智慧に出あえる場というのが数少ない仏事と言うご縁なのです。

今日では普段からお仏壇やお墓にお参りをされている人も少なくなったのではないでしょうか。

仏様の智慧に出あう機会が減っていっている現代。今後も個人や地域、そして社会の自己中心的な身勝手な社会が当たり前になっていくでしょうね。

まずは実家や親戚の仏事に参加できないのですから。

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