真宗僧侶のかっけいです。
お墓の「形」や「大きさ」や「向き」にこだわられる人は多いと思います。しかし浄土真宗ではいわゆる「墓相(ぼそう)」を気にしながら墓石を建てようとはしません。
しかし現実に門信徒の墓を見ましても、浄土真宗らしいお墓というのはそう多くはありません。浄土真宗の考え方に当てはまるように、ガチガチのお墓を無理に建てる必要はありませんが、浄土真宗徒であれば浄土真宗らしいお墓の建て方を心得てみてはいかがでしょうか。
続けて真宗門徒がお墓を建てるときの注意点10個を説明します。
お墓を建てる時の注意点
お墓の方角や形などはこだわらない
お墓の向きや形や大きさ、立地、積み方をあれやこれやと気にすることを墓相(ぼそう)と言います。
世間には墓相学と呼ばれるよくわからない考え方もありますが、墓石の向きや場所、大きさなどによって死んだ人の霊魂がさまよったり、生きている人によろしくないことが起きたりするのでしょうか。
浄土真宗ではそのような考え方をしません。なぜなら「南無阿弥陀仏」のお念仏の信心をいただいている人は必ず阿弥陀さまのお浄土に生まれていると考えているからです。ですので墓相によって亡き人の霊がうかばれないなんてことはないのです。
もしも配慮するのであれば、西の方角に拝めるようにお墓を向けてください。理由は阿弥陀仏の浄土は西方極楽浄土と表現するからです。
「南無阿弥陀仏」か「倶会一処」を刻む
浄土真宗のお墓では、軸石の正面には「南無阿弥陀仏」のお名号(仏の名前)を刻みます。
浄土真宗ではお墓やお骨に対して拝むことはしません。お墓参りの時に合掌礼拝をするのはご先祖たちのご縁により、私たちを導いてくださる阿弥陀仏に対して感謝を申し上げるためです。南無阿弥陀仏というのは阿弥陀さまが私たちに向けられた「必ず救うぞ」という呼びかけのことです。私たちは先祖のご縁を通して仏を拝むのです。
「南無阿弥陀仏」の代わりに「倶会一処(くえいっしょ)」を刻むこともあります。
倶会一処とは『仏説阿弥陀経』に出てくる言葉です。意味は南無阿弥陀仏の名号の声・願いを聞きいただく人は阿弥陀さまのはたらきによってお浄土に参らせていただく身となるということです。阿弥陀様の浄土で「また倶(とも)に一つの処(ところ)で会(あ)う」という言葉です。
倶会一処というのは南無阿弥陀仏と同様に、お念仏を申しお浄土で会いましょうという呼びかけであります。
「先祖代々の墓」や家名や家紋は目立つところに彫らない
家名や家紋は花立て・台石の正面(下段の方)や囲み石の柱(周りの方)など目立たないところに彫ります。
これはお墓が故人が永眠する場所と考えない浄土真宗の考え方のためです。故人らは阿弥陀仏のはたらきにより阿弥陀仏のお浄土に生まれていますので、私たちは先祖の慰霊や供養のために拝んでいるのではないのです。
あくまでも信仰の対象は阿弥陀仏です。ですので南無阿弥陀仏や倶会一処が目立つ正面に刻み、家名や家紋は控えて彫ります。
建立日に「吉日」は使用しない。建てる日を選ばない
建てた人の名前や年月は軸石の裏に刻みます。
そのときに「○年○月吉日」と「吉日」という言葉は使用しません。理由は日に吉凶・良し悪しはないからです。
また、墓をいつまでに建てなければならないとか、この日には建ててはいけないといった決まりはありません。
お盆・彼岸・命日などという決まりはありませんが、私の経験としては初盆や百ケ日や一周忌法要といった大切な仏事の機会に建てられることが多いように感じます。墓を建てるのは納骨をするためでしょうから、故人の法要および納骨に間に合うように墓を建てます。
水子地蔵や地蔵像は設置しない
浄土真宗では地蔵像を建てません。水子の地蔵とは一般に流産・死産してこの世に生まれ来なかった子供を供養するために建てます。地蔵像が墓地や道端に建てられるのは子供や水子の供養であったり、子供の守り神として信仰されていたからと言われています。
また墓地の入り口には六地蔵がまつられていることもあり、死んだ人が六道輪廻の世界で迷わないようにという願いから建てられるとも言われます。
しかし浄土真宗ではたとえこの世と縁の浅かった子供であったとしても同じく仏の子であり仏様の慈悲に包まれており、生きている私たちは地蔵像を用意し供養のために手を合わすのではなく、亡き子供の縁から倶会一処の想いをもって南無阿弥陀仏と申させていただくのです。
ちなみに観音像も建てる必要はありません。観音菩薩は阿弥陀仏の脇侍ですが、浄土真宗のご本尊は阿弥陀仏ですので、わざわざ墓地に観音菩薩像を建てる必要はありません。
梵字もいらない
浄土真宗は梵字を使用しないので、梵字をわざわざ刻む必要はありません。
古いお墓には阿弥陀仏を表した梵字が刻まれていることもあります。
しかし上で説明しましたように浄土真宗のお墓には、南無阿弥陀仏(名号)または倶会一処を刻むので、重ねて梵字を用意する必要はありません。
卒塔婆を設置する空間はいらない
卒塔婆(そとば)は外塔婆とも表現し、長さ1~2mくらいの細長い板で、墓石の後ろや横に立てます。卒塔婆は仏様の遺骨を納める仏舎利がモデルとなっており、五輪塔のデザインとなっています。
日本では故人の供養のために用意し墓に立てます。
水受け(水鉢)の装飾はいらない
「浄土真宗の仏壇にはお水を供えない」と聞いたことがるかもしれません。
実はお墓でも同じく水をお供えしません。
水を供えないので、お水をお供えする水受け(水鉢)はいりません。ただし石材店が装飾として墓石に等しくつけていることもあります。
「霊標」ではなく「法名碑」を使う
浄土真宗では亡くなった故人を拝むことをしないので、墓前正面に法名(戒名)を刻むことをしません。
上の写真のように「○○家の法名碑」と家名を残してもいいでしょう。法名碑に故人の法名・命日・俗名・死亡年月日・生年月日・関係などを記録します。
浄土真宗では亡き人の存在をさまよっている霊魂としないので、霊標(れいひょう)とは表現しません。
建立後は建碑式(けんぴしき)をする
墓は亡き人偲ぶ場所であり、墓はその記念碑であり、亡き人が永眠している場所ではありません。また亡き人の霊魂が宿っているわけでもありません。
皆さんはお仏壇やお墓を新しく迎えた時に「性根入れ(しょうねいれ)」をすることがあると思います。
浄土真宗のお墓は故人の遺徳を偲び、そのお参りのご縁から仏様の私たちにかけられた願いを聞きいただくところです。ですので浄土真宗ではお墓の完成後に僧侶を呼び、読経をして共に念仏を申しさせていただき、新しくお墓を建てたお祝いの法要をします。それが建碑式です(性根入れではない)。納骨法要と合わせてすることもあります。
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さいごに。墓の建て方に悩むのなら好きなように建てても良し
ここまでの10個の説明を聞くと、他宗よりも浄土真宗の方があれやこれやと墓石の建て方にこだわっているようにも感じますよね。
浄土真宗らしいお墓を建てようとすることによって、親戚や地域との摩擦が生じたり、自身により悩みが増えるのであれば、それほど浄土真宗らしい墓の建立方法を守る必要はありません。
なぜ浄土真宗がこれほど墓について口出しするのかと言えば、墓は先祖供養や霊魂が宿っているとは根本的に考えていないからです。
墓は残された私たち、お参りに来た私たちが先人らの徳を偲び、いのちの儚さ尊さ・阿弥陀様の慈悲と智慧に気が付いていくご縁をいただく場です。
ですので墓石の建て方や墓相が原因となって運勢が変わり、災いが降りかかったり幸せが舞い込むのではないのです。
浄土真宗では墓の建て方にこだわる必要はなく、むしろその墓の建て方に悩んでいる自身の心の持ちようこそが重大な問題なのです。墓の建て方なんて粗末にならないように参り偲ぶことができれば何でもいいのです。
もっといえば、お坊さん的には、お墓を維持していくのが難しいのであれば無理に新しく墓を建立するのではなく、信頼のおけるお寺に納骨していくことをすすめます。繰り返しますが、墓は故人を偲び、私たちが仏様に参る場所です。
そもそもお浄土にいらっしゃる仏様や先祖に対して、生きている私たちの方が「成仏してください」や「霊魂を移動させる」などと指図するのはおこがましくありませんか?