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プロフィール顔ブログ70px釋克啓/かっけい
香川県,丸亀市
円龍寺若坊,28歳

「蓮華」霊山本廟長のエッセイ(3)【平成26年8月求道】

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こんばんは。 円龍寺若坊のかっけいです。

先月7月号に引き続き、平成26年8月号の霊山本廟長の「求道」を紹介します。

平成30年の3月4月は例年にないほどの暖かな春でした。ここ香川でも3月下旬には25度の夏日、4月中旬には30度の真夏日を観測いたしました。

春らしい気候を感じにくくなっている今日この頃かもしれませんが、梅の花をはじめ、桜の花、サツキの花と木々は季節の移ろいを見せてくださっています。

霊山本廟の納骨堂は『浄華堂(じょうげどう)』と名付けられています。

そのお名前を聞きますと私は、お浄土に咲く美しい華「蓮華」を思い浮かべます。

これから夏が近づきますと、泥田の中から美しい蓮華の花が咲き誇ります。濁った水の中でも茎を伸ばし美しい姿を見せてくれます。

今月の求道は住職が感じた蓮の花について書かれています。

平成26年8月号の求道。

暑中お見舞い申し上げます。

京都の夏を彩る祇園祭も、今年は約五十年振りに後祭が催されたとか。一か月に及ぶ宴も終わると、早この七日には立秋です。秋の気配を味わう暇もなく残暑の挨拶もそこそこに交わす言葉は、酷暑への恨み節ばかりです。

ただ、我々の愚痴をよそに季節の花だけは凛として精一杯咲いています。私の郷里の香川では、ため池が多く有名ですが、農耕地の減少に伴い、小さな池では夏の七月から八月にかけて蓮の華を多く見かけます。可憐で清楚な水上の華は、数日で散ってしまう儚さと、水中の泥のよごれに染まらぬ清らかな華として、極楽浄土の池に咲く華でもあります。

私にとって蓮の思い出は、子供のころに外塀堀の遺構に蓮を植えようと、兄弟揃って汗をかいたのに、そこに希少な野生のハンゲショウの群生があるとは知らず、叱られ泣きべそをかいたことも良き思い出です。本音を申せば、蓮根がほしくて花より団子ならぬまさに華より蓮根でした。

さて、霊山本廟内の淨華堂(寺院・門信徒の個別納骨堂)の玄関ロビーには、「蓮華」の陶板レリーフが参詣者を出迎えてくれます。この「蓮華」は、京都近代画壇のみならず日本画界に功績甚大な菊池契月の大正六年の文展出品作品です。翌年、師であり義父にも当たる菊池芳文が死去するわけですが、恩師たる芳文に画風ともども惜別を送るが如くの味わいを、この「蓮華」に抱くのは私だけでしょうか。

日本画蓮華(1917年製作) 菊池契月

菊池契月『蓮華』

池に浮かぶ一艘の小舟、女官らしき二人の女が舟遊びに興じているのか、平面ながらも池の広さをも感じる構図。蓮に比して多い華は、艶やかさとともに契月の心の華なのかもしれません。

この「蓮華」を仰ぎつつ心に浮かぶ風景は、今は面影を残すのみの東北・藤原氏の栄華の跡、毛越寺の広大な浄土庭園を見た時に感じた、当時の人々の切ないまでの欣求の極楽浄土であり、池の水面に咲き誇る蓮華を愛でながら、曲水の宴に興ずる儚き現世の享楽の哀れさに、時空を超えて胸の疼きを覚えたことでした。

私はこの淨華堂にて、極楽浄土という名の倶会一処の世界へ、一足早くお暇なさった肉親に、お礼を申し上げる参詣者に、「蓮華」の心を伝えていきたいと願っています。

最後に、好きな言葉を添えて、菊池契月に感謝を捧げたいと思います。

「仏心の蓮華は胸にこそひらく」

蓮如上人御一代聞書

※ 菊池芳文・菊池契月親子のお墓は、ここ霊山本廟墓地にあります。

合掌

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