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「記憶の固執」霊山本廟長のエッセイ(5)【平成26年10月求道】

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円龍寺若坊のかっけいです。

平成25年8月から大雨特別警報が運用されるようになりました。特に異常で、重大な災害が発生しそうな気象条件の時に発令されます。数十年に一度の気象災害レベルの時を想定されていたようですが、実際には大雨に関する特別警報でもこの5年で9回も発令されています。

今年の夏も台風が頻繁に発生し、季節の移ろいを感じるどころか、日々テレビやインターネットの画面を見ては「熱いなあ。風が強いなあ。苦労がたえないなあ」とその日暮らしの生活を送っています。

9月下旬にはお彼岸があります。

季節感を感じにくくなっていますが、お彼岸の時期は時候も良く、お墓参りなど束の間の休息につけることでしょう。

今月の求道は季節の移ろい・時間の流れのはやいことを憂いていることが書かれています。


平成26年10月の求道

待ちわびた冷涼溢れる空気を味わいながら、コオロギたちも束の間の秋を楽しむように、愛おしい音色を奏でています。秋のお彼岸も過ぎますと、後は日中が短くなるばかりで、まさに白秋の思いがつのります。気がつけば季節の移ろいの速さに驚きつつ、私としては人生の黄昏にはもう少し先などと抗いながらも、いつの間にか百代の過客の寂しき客人の一人となっています。

 

さて、中国の傅大士の言葉に、「朝な朝な仏とともに起き、夕な夕な仏をいだきて臥す」とありますが、一日を報仏の功徳を持ちながら起き、弥陀の仏智とともに臥すことは難しく、折角この霊山の懐に抱かれながらも、機に遠き私には、残念ながらため息とともに、刹那のごとく日ぐらしをしてしまいます。

 

そんな中、有り難いことに、浄土真宗ではお勤めの後に、蓮如上人がお書きになった御勧章の拝読があります。誰もがご存知の『白骨章』、それに『末代無智章』や『聖人一流章』などは、毎朝のお勤め後には頭を垂れて、蓮如上人から私へのお手紙といただいて、早朝の冴えていない頭にでも、一日の始まりには勿体なく聞き入っています。

 

それにつけても、蓮如上人はこれらの御文をどなたに宛てられたのでしょう。門信徒のために与えられたお手紙とされていますが、その穿鑿(せんさく)よりも、私にとってはある瞬間頷けたこと、つまり蓮如上人には別の感得があったように思えてならないのです。

 

「聖人一流の御勧化のおもむきは・信心をもって本とせられ候、云々」。文言の飾言を剥ぎ取り、簡潔にまとめられた文体は、紛うことなくご自身の心に宛てた、蓮如上人の独白ではなかったのでしょうか。きっと感涙に咽びながら、親鸞聖人のお心を自分宛の手紙にしたためたからこそ、時空を超えて私たちの心に届き、随喜をもって涙がこぼれ落ちるのだと思います。悲しい哉、なぜ今までこの私は漫然と拝読し、何といたずらに聞いていたのでしょう。返すがへす、申し訳ないことです。

サルバドール・ダリ『記憶の固執』1931年製作

サルバドール・ダリ『記憶の固執』(1931)

 

人生の戻らぬ時計の針に、嘆息をつきながら思い浮かぶのが、ダリの『記憶の固執』です。この絵は別名『柔らかい時計』とも呼ばれているもので、時間の概念やら生と死そのものの不安定さを問う作品でしょうが、理屈を用いずに鑑賞し、人それぞれの感性に任せるべき作品だと思います。

 

「記憶」とは、辛い出来事を、記憶の彼方に追いやり、目を背けることではなく、人生に寄り道などなし、灯火のついた家へ帰る道こそ、いばらの道も有り難き道なのです。

合掌

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