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つららを生で見たことがない私。

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こんばんは。 香川県の僧侶のかっけいです。

平成30年の冬1月は寒い日が続きますね。

明日から2月ですが最低気温が0℃で雪の降る可能性があります。この一週間は海・平野でも注意が必要なんだって。

でも暦の上では、二十四節気の最初である立春がもう目の前です。それと節分ね。もう春なんだなあとカレンダーを見ては思うのですが、毎日毎日寒くてストーブにはりついています。

今回は冬の寒さに関する日記のようなお話です。(ただの雑談)

お坊さんの私はお年寄りと会話することが多い。

私の年齢は30歳直前です。

お坊さんの中ではまだまだ若手の方です。(お坊さんは定年退職というのが基本的にないので、80歳や90歳になってもお参りに出かけていることがありますからね)

お坊さんをしてますと、どうしてもご年配の人との会話が多くなります。

本当は同世代の人や小さなお子さんともお話したいのですが、なかなかお仏壇参りに参加してくれないので、私よりも30年も50年以上も年上の人とお話をすることが多いです。

でもそれはそれで有難いなあと思うですよ。

だって、私が生まれるより前の話を楽しそうにしてくれるのですから。

私自身、自分が生まれるより前の出来事、その人が経験した感じたことを教えてくれるのは非常に楽しいことです。

何気ない日常の話であっても興味深い話だらけです。

今年の冬は寒いから、つららの話が多い。

お勤めの後のお坊さんとお話したことがありますか。

お坊さんの人柄にもよりますが、大抵はたわいもない雑談ですよ。

天気のことや、お野菜のこと、世の中のニュースのこと、健康の話などです。

「そんな話をして楽しいの?」なんて思うかもしれませんが、結構楽しいですよ。

何よりも面白いのです。

自分だけでは知らなかったことをたくさん人生経験を積んできた人から教えていただけるのですから。

特に私は年齢が30前でまだまだ人生経験が浅いです。50年なんてあっという間の差ですが、一人一人の人生にはそれぞれの生き方があったので、同じような話をしても常に新しい話が聞けます。

で、今年の冬は非常に寒いです。(大晦日は例年になく過ごしやすく除夜の鐘を撞きやすかったですが)

特に1月12日は新潟県のJR信越線で乗員400名以上が10時間以上も車中にとどめられるニュースがありました。

その後はセンター試験日の大雪。1月23日の東京の積雪などもありましたね。道路のガードレールにつららもできていました。

そういう話をしますと、香川県でも昔は今よりもずっと寒かったなあという話に自然となります。

実は私は実際にこの目でつらら(氷柱)を見たことがないんですよ。ニュースでは見ますが。

でもお話を聞きますと、昔はどの家でも屋根からつららが垂れ下がっていたんですって。

また田んぼの水も氷りますし、池の水もそれなりに厚く凍っていたとのことです。小学校に行く道中のため池の水が凍りその上を歩いていたんですって。

でも香川県の平野部ではもうなかなか水が凍るような寒さはそうそう訪れません。

薄い氷がバケツの水に張ることはあるのですが、本当に薄く簡単に割れます。

たった数十年の昔と今のことではあるのですが、冬に見ることができていた風景が変わるもんなんだなあと感じました。

雪も昔は今よりも頻繁に舞っていたらしいです。

なかなか香川県では雪が降るのは珍しくなり、数センチの降雪で大きなニュースになり、雪が舞うと子供がはしゃぎます。

つららを見たことが無い私。それを知ることができるのは会話があるから。

今年の冬1月下旬に東京にいた人はつららを実際に目にしたかもしれません。

私も天気のニュースを聞いて目にしました。

しかし実際にこの目で生のつららを見たことはありません。

生まれた時から今まで香川の地で育ってきた私は、香川は温暖な土地だからつららなんて出来ないんだろうと思っていました。

しかし実際にはそんなことはありませんでした。

昔の香川では山間部だけでなく、平野部でも軒先につららを見ることもでき、氷の上を歩けるほど寒かったそうです。

今の時代はインターネットという便利な道具があり、手軽に情報を手に入れることができます。

しかし実際に人生を歩んできた人の話を直接聞くことができるということは、文字や映像だけでは伝わりにくい、その人なりの驚きや興奮・苦しみや悲しみといった感情が印象として聞き手の私にも伝わってきます。

現代では会話というのが軽視されつつあるように感じます。

せっかく同じ空間にいて向かい合っているのに、手元のスマホなどを見て会話をしようともしません。

人と人との会話の中を通すことによって、自分の知らなかった世界・景色を知ることができることもあるでしょう。

仏教の話や家族の話も似たようなもんです。

仏教の話でもとりあえず文字を目にすることによって知ったような気になる人がいます。でも仏教は聞法といい、法を聞く場に参加し、耳を通しうなずいていけることが大切です。

家族の話でも例えば最近は終活がありますよね。遺書を書いたり財産をあれやこれやと残そうとしますが、肝心の会話がないために、子や孫といった家族間での相続ができていないことが多々あります。

会話をするというのは思いや経験の共有をするということです。

時代は刻々と変化していますが、会って話をするという、伝達方法・相続方法も大切にしてほしいものです。(ということを明日2月1日の降雪ニュースを見ながら思いました。)

(正直なことを言いますと、ブログをしている私ですが、全然私の言いたいことが伝わっていないような気がします。残念。)

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