将棋の叡王戦から感じたこと。ソフトの評価値を妄信して大丈夫なのか

将棋好きなかっけいです。

おとといの平成28年10月26日、ニコニコ生放送というネット上の放送番組で将棋界で最も強いとされる羽生善治3冠(九段)が対局していました。

対戦相手は稲葉陽八段で初手合いだったそうです。勝利者が本戦のベスト4になる対局でした。

この棋戦は「叡王戦」と呼ばれ、この本戦の優勝者が今年度最強のコンピューター将棋ソフトと対局することになっています。そのソフトは10月10日に行われた「第4回将棋電王トーナメント」で優勝した「Ponanza(ポナンザ)」とすでに決まっています。

対局を見て感じたことを書いてきます。

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将棋視聴者の私が感じたこと。

この番組は対局開始の30分前には放送番組を視聴できて、対局前の対局者・部屋の雰囲気・解説者と視聴者のコメントのやりとりがあるなど、普通のテレビ番組とは違った魅力があります。生放送だからこそのハプニングは付き物ですが、番組制作者と出演者、そして視聴者が一体となってつくりあげている放送が面白いです。

その中で将棋の叡王戦では対局前に決まって、お決まりのやり取りがあります。

それは今日の対局を評価するソフトを何にするかです。評価するとは、それぞれのソフトで決められた価値観で優劣を数値化することです。

ソフトによっても個性があるらしく「居飛車が得意」、「横歩が強い」、「力戦に強い」、「詰みを瞬時に読み切るソフト」、または評価値が非常に精確であり純粋に強いソフトなどさまざまあるらしい。

今回は最強ソフトPonanzaが評価ソフトに視聴者投票の結果選ばれました。

対局の間頻繁にコメントには『評価値を見せて』もしくはソフトの『次の一手を見せて』との書き込みが現れます。そしてその評価値をみて一喜一憂しています。

本対局はトッププロ棋士の対局で非常に面白い対局であり、序盤の細かい牽制から稲葉八段の一瞬の隙を見逃さなかった羽生九段の歩成り捨てからの飛車切りで、羽生九段がリードを一気に広げ勝利した対局でした。

ただ私が一番心に残ったのは、序盤、羽生さんの手番28手目での解説と視聴者のやり取りである。

解説者は28手目の局面で2六飛が成立するかを解説していました。解説の結果2六飛は相手の8八角成りから無理かな?っとされた。しかしソフトは2六飛で先手にプラスだと評してました。
それは☗2六飛 ☖8八角成 ☗同銀 ☖4四角打 ☗2一飛成 ☖8八角成で、先手が9七桂からの5九角打ちが示されていた。

解説者が5九角は読めないですねとつぶやいていた。羽生九段は2六飛とせずに7七桂とさした。その結果、先手の評価値は+300台から+100台に下がった。

すると『羽生さんもソフトには勝てないのか』や『5九角なんか人には読めない』といったコメントが流れていた。

私はこの時に非常に違和感が感じました。

どうしてこんなにソフトの評価を信じられるのか。人間の感性で指した手が信じられないのか。

まるでソフトの示す評価値が、絶対に間違いのない狂信的な教えになってしまっているように感じました

ちなみに感想戦では、羽生九段は2六飛以下の手順も示しており、5九角も読んでいました。しかし7七桂を選択したのです。

視聴者の中には『人間はコンピューターソフトより劣っている』と思っているではないだろうか。

三浦9段のソフト使用の疑惑

実際、ソフトの棋力は相当に高くなっているようです。

将棋ソフト同士の大会では人間が読めない速度精確な手を示し、プロ棋士との対局でも次々とソフトが勝利を収めています。

三浦九段のソフト使用疑惑も象徴的な大きな出来事です。ソフトの使用疑惑をA級棋士の三浦九段にかけられたのある。ソフトを使用することで勝利を重ね、竜王戦挑戦権を得たとされるほど、ソフトは強くなったされたのである。

私は三浦九段がソフトを使っていないと信じています。

コンピューターの発達、AI(人工知能)の発達

将棋ソフトはプロ棋士同士の対局に影響を及ぼすほど発達してきています。その結果、ソフトの評価値が大きな信用を得るには十分な状況となっていると感じる。

しかし人の持つ価値観というのも大事な指標ではないだろうかと私は思います。

例えば将棋のソフトでは現局面の評価値というのが重要な指標とされています。

この評価値が+に高い数字が出ると有利、ーに数字が行くと不利ということで、一手ごとにその評価値は増減していきます。

トッププロの対局は妙にバランスが取れている。しかし中盤・終盤あたりで読みぬけ(うっかり)であったり、人間の価値観の見誤りでだんだんとどちらかに形勢が傾いていく。そうなると有利な側はよりリードを広げ、不利な側はだんだんとより不利な状況に陥ってしまう。そうすると人間同士の対局には面白い現象が発生する。

それは『勝負手』です。

勝負手とは主に形勢不利側が挽回を図るために指す一手です。形勢が大きく変化してしまう可能性のある手である。しかし勝負手は往々にして評価値が大きく下がってしまう。

正しい一手を常に選択できるとされるソフトには悪手にしか見れないのです。それはソフトは常にプラスの評価値に基づいて指しているからです。大きく不利になる手は指さないのですね。

しかし人間同士では違うんですね。

予想もしていない手が指されると、人間はその手の意味を知ろうとまた深く考えなければならない。勝負手とは有利側が悩んでしまう・考えてしまう局面をつくっているのである。将棋の言葉で言えばあやをつける・局面を複雑にするということですね。

人間の能力として、今、見えない先をどうやって対応するかが重要な要素ではないだろうか。

車の自動運転を例に挙げてみます。今年は「自動運転元年」といわれているそうです。

今はまだまだ開発の試験段階であるそうで、アメリカでは死亡事故が起きているらしい。そうするとAI(人工知能)による自動運転は危険だと、私たちは思い込んでしまう。

でも近い将来ではどうなるだろうか。

将棋のソフトもつい10年、20年前は相当に弱かったです。棋力もアマチュアレベル。ソフトの負けが分かると王手の連続。手番を渡すだけのほとんど意味のない歩の交換。正直、対局してもつまらないレベルでした。

しかし今はどうでしょうか。将棋のソフトは年々強くなっていき、将棋のプロ棋士の対局もすべて覚え、今ではソフト自身が独自で学習している状態です。[Floodgate]とよばれるサイトではソフト同士が24時間対局しています。ソフトは人間と違い疲れることがなく、人間ではたとえ同一局面であっても、その日の対局相手・気分・体調によっては指す手が変わります。また変化して後の局面がどうなるかのチャレンジをしてみたいという思いもあります。

先が見えない、予測できない、数値化できないところに人間の魅力があるのではないだろうか。また対局者同士の呼吸を合わせることも。

車の自動運転ではそのうちに機械の方が人間よりも周囲の状況を細かく観察し、どんなに細い道、入り組んだ交差点であろうとスムーズに走る時代が来るかもしれません。

人間であれば細い道や交差点では、何かが飛び出さないかと予測をして慎重に運転するようになります。いいかえれば他者を思いやっているとも言えます。

コンピューター・AI(人工知能)の発達はめまぐるしく、これから先の未来、物事の機械化それも人工知能化がさらに進んでいくのしょうが、人間がコミュニケーションの中でしていることはある程度人間の感覚や判断も残してほしいものです。


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さいごに。人工知能は本当に間違えないのかな

人工知能は私たち人間よりも早い学習能力を持っています。情報処理能力も早いですし物事の価値観を数字化して、行動を決定することができます。

チェスの世界一が機械に敗れ、将棋のプロ棋士たちが続々と敗れ、また最近では囲碁も世界チャンピオンが負け越す時代となっています。

人間の能力の良さはどこなのか。すぐれた機械・人工知能に囲まれて、やがて人間に取って代わる人工知能の台頭は、私たちの未来にどのような状況を招くのか期待もあり不安もあります。

人工知能との共存を理想とする考えの人もいると思います。しかしやがては私たちは自分自身の価値観が機械よりも劣っていると考え、人工知能が示す判断に間違いなんてあるはずがないと、思い込んでしまうようになってしまうと私は危惧しています。

自分で考えることや判断することをやめて人工知能が瞬時に数値化した判断を盲目的に信じることが、私たちが正しく自分たちの未来をつくりだす局面を導けるのかを叡王戦を観戦して感じました。

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