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「回帰」霊山本廟長(7)【平成26年12月求道】

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円龍寺若坊のかっけいです。

平成最後の秋はなかなか冷え込まず、紅葉の色づきも非常に穏やかな状態です。

錦秋ともまだ表現できない景色ですが、日に日に染まりつつある山々を見ますと、一年の終わりが徐々に近づいていることを感じます。

やがて寒風が吹きつければ参道を鮮やかに染めることでしょう。

どんなに青々とした葉であってもやがては瑞々しさを失い地面に落ちてしまいます。しかしその落ちるという行為は翌春に新たな芽を吹くいのちの巡りとなるのです。

晩秋落葉の候、美しくもあり寂しくもあるこの何とも言えない頃、新年を迎える前に私のいのちを見つめる相応しいときかもしれません。


平成26年12月の求道

東山三十六峰の嶺より、紅葉が錦を織り成すように、ここ霊山本廟の周辺にも届くと、まさに錦秋と呼ぶのに相応しい景色となり、やがて束の間の浮世の宴が終わると間もなく、木々は冬の準備に取り掛かります。先月、十一月の本廟の楓も、薄紅を差したように葉先から色づきながら、寒さとともに紅(くれない)に染まり、もう師走に入ると、冬の寒さに耐える為に葉を落としながら眠りにつくように体を休めます。自然の摂理とはいえ、人生にも重ね合わせると寂しさも感じてしまいます。

 

ところで、私自身今年を振り返りますと、春四月一日、霊山別院の本廟化に伴い、急遽本山勤務より霊山本廟へ単身赴任を致しました。その折には、坊守から「どうぞ、お好きなようになさって下さい。」と、あきらめ顔で言い渡され、「本廟に行くのはいいですけど、まさか本廟にご自分のお骨を納めて戻ってくるのではないでしょうね。」と、釘を刺されてしまいました。実際、寺の留守を預かるということは、日曜日はもちろん休みなどなくなり、寺での生活そのものが仕事となります。

 

思い起こせば、先代父親には子供の頃より、昔は雑巾を持たぬ日はなかったと言われ、雑巾掛けをすると、次は箒を持たぬ日はなかったと言われ、「それじゃどうしたらいいのですか」と言い返すと、雑巾掛けも箒で掃くのも、両方毎日するものだとまとめて叱られたものです。今思えば懐かしい限りですが、いつのまにか今度は私の方が、若い者のすることが気に入らないようになり、やはり親の子なのでしょうか。

 

さて、秋の深まりにあわせ紅葉だよりと前後して、北の各地より鮭のニュースが届きます。瀬戸内育ちの私には馴染のない魚でしたが、旅行にて間近に鮭の遡上を見て驚いたことに、鮭は産卵のために生まれた川に舞い戻り、それが母川回帰(ぼせんかいき)ということを知りました。数年間外洋で回遊し、どうして生まれた川が分かるのでしょうか、また必ず母なる川に帰ってきます。遡上中、体は傷だらけになりながら、ただ次なる生命を紡ぐためだけに、いろいろな障害をくぐり抜け上流を目指し、新たな生命の誕生のために、自らの命を代償として差し出し、産卵を終えると、そこでその命は燃え尽きてしまいます。捕獲され食べられるものもあれば、大地に帰っていくものもあり、最後まで自分の命をもって、自然の生命という世界にお返しをしていくのです。ひるがえり私たちの人生も、もがき苦しみ傷つきながら何処へ向かい、次世代に何を残し、何処へ帰ろうとしているのでしょうか。私たちも母なる川や道を求めて歩んでいるのに違いありません。

マイルス デイビスの「バイ バイ ブラックバード」

マイルス・デイヴィス

 

今宵、深々と静まり返った霊山の私室にて、心に染み入るジャズを聴きつつ、マイルス デイビスの「バイ バイ ブラックバード」の切ないまでのミュートに心を震わせ、『悩みや悲しみを全部バッグに詰め込んで、どこかで私を待ってくれている優しい人の所へ そう彼女のもとに・・・』に胸を詰まらせながら、帰るべき処を訪ね求めた一年が、夜の静寂(しじま)とともに暮れてゆきます。

合掌

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