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お盆について考える。なぜ浄土真宗でもお盆のお勤めをするのだろうか

投稿日:2017年8月11日 更新日:

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

月遅れのお盆は8月13日~16日とされています(迎え火を13日に送り火を16日にするため)が、私の住んでいます香川では8月のことをお盆月とも言い、8月頭からお参りを頼まれたご門徒さん宅のお仏壇に毎日のようにお参りしています。

少し話が変わって先日の記事で8月15日には自坊で納骨者追悼法要を、そして本山興正寺霊山本廟では盂蘭盆会法要があることをお知らせしました。

するとその記事を読みましたご門徒さんから「浄土真宗のお寺、それも本山で盂蘭盆会法要をするんですね。」と少し驚かれたように尋ねられました。

確かに浄土真宗の考え方ではお盆を勤めることやお寺でお盆の法要をすることはちょっとおかしなところがあります。

今回は「どんな点で浄土真宗がお盆をお勤めすることに抵抗を感じているのか」と「なぜ浄土真宗でもお盆のお勤めをするのか」という2点を紹介します。

お盆とはどのような仏教行事なのか。

一般的にはお盆とは家族そろってお墓やお仏壇にお参りするイベントと認識されているでしょう。

お盆の期間はお盆休みとされ、全国各地にバラバラになった家族・親戚・兄弟も実家に集まりますね。

ただお盆という仏教行事は、「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」というお経文が由来となっており、餓鬼道に落ちた母を救うために目連というお坊さんが7月15日(僧侶たちが修行を終える日)にお釈迦様の教え通りに僧侶たちに衣食住を振る舞ったとされています。

盂蘭盆とはサンスクリット語の「ウランバナ」の音写した文字で、その意味は「倒懸」すなわち「逆さ吊り」であり、盂蘭盆経は逆さ吊りの苦しみから救われることを説いた教えです。(ただ盂蘭盆経とは後世に中国で作られた経典とも言われています)

お盆とは先に亡くなった母(先祖)を救うために仏法僧を敬うことをすすめた教えなのです。

浄土真宗とお盆の組み合わせは何がおかしいのかな。

仏教とは釈迦仏(お釈迦さま)が人々に説いていった教えです。

その教えの中にはその人その人の悩み・苦しみに応じた救われ方や仏様が説かれています。

浄土真宗とは悩みや苦しみ、嫉妬や怒りや欲なしでは生きられない、どうしようもない自分の力では救われない人のために説かれた教えです。そしてそのお浄土にいる阿弥陀(あみだ)と名付けられた仏は、どのような人でも必ず阿弥陀の浄土に生まれさせるぞと約束された仏様なのです。

阿弥陀の願い・誓いに出会った人は必ず阿弥陀の浄土(極楽浄土・西方浄土)に生まれ往くことができる考えが浄土真宗です。

するとおかしなことが起きますね。

お盆(盂蘭盆)のお勤めとは先祖の苦しみ(地獄・餓鬼の世界)を救うために説かれた教えなのだから、すでに浄土(仏様の世界)に往かれた先祖のためにお盆の勤めをする必要がないじゃない」と考えてしまうでしょう。既に浄土に生まれ救われていて餓鬼の世界にはいないのだから。

この点が浄土真宗がお盆のお勤めすることに違和感を覚えるところなのでしょう。

なぜ浄土真宗でもお盆のお勤めをするのだろうか。

浄土真宗の事前知識として、「浄土真宗は父母(先祖のために)のためにお念仏を称えませんし、お勤めもしません」ということを知っておいてください。

なぜなら阿弥陀様が救いの目当てとしているのは今悩みの中で生きている私たちなのだから。亡くなった後のことは私(アミダ)にただ任せよと約束されているのです。

浄土真宗のお勤めというのは先祖の幸福や供養のためでも、自身のこれからの幸福や成功を祈るためにするのではありません。

私を救うために願われた阿弥陀の恩徳に感謝するためにお勤めをし、合掌礼拝をするのです。(ただ勘違してはいけないのが、浄土真宗が先祖のいのちや恩に感謝していないわけでも軽んじているわけではありません。)

浄土真宗の仏事(法事・法要)は一見すると先祖の幸福や供養のためにしていると思われがちですが、先祖はすでに仏様のお浄土に生まれており、むしろ仏事とは生きている私たちのための勤めなのです。

浄土真宗ではどのお勤めでも私のために願われている阿弥陀のはたらきに感謝する縁であり、お盆という日本各地で広く親しまれている仏教行事も仏縁として、父母・先祖の恩を通して今のわが身を振り返りつつ、すべてのいのちへ感謝していくのです

悪く言えば節操がない、良く言えば融通が利きすぎると言われるでしょうが、お盆という仏教行事が宗派問わずに、また国民全体がお盆休みをしお墓参りをするイベントですので、仏縁に出会う場として他の仏教宗派(通仏教)の仏教行事を取り込んでいると思われます。

さいごに。お盆についてのあれこれ。

さて浄土真宗的な考え方ではお盆というのは本来おかしな仏教行事です。

ですからお盆のお飾りの仕方や考え方も浄土真宗の立場からすればおかしなことがでてきます。

例えば浄土真宗では迎え火・送り火を用意しないことですね。

迎え火や送り火というのは地獄や餓鬼の世界で迷っている先祖が家に帰ってくるための目印となるとされるのですが、浄土真宗ではお浄土に生まれているため本来は不要なものです。

ただですね、浄土真宗でも葬儀の時に灯篭が飾られており中陰や年忌法事の時も同様に灯篭をお飾りしますよね。灯篭の明かりが故人の道しるべというのではなく、仏様の智慧と慈悲の光としてともしていると考えられます。

また浄土真宗ではお盆の時だけ先祖が戻ってくるとは考えていません。

お盆の時だけ迎え火を頼りに帰ってこい、お盆が過ぎたら送り火を焚くからさっさと行けというのはどうも都合のよい考え方ですし、生きている人間の力がとても強いんですねと思ってしまいます。

浄土真宗では阿弥陀様の仏縁に出会うため感謝するためにお盆のお勤めをします。

しかし阿弥陀様の願いのはたらきとはお盆のときだけという期間限定のはたらきではありません。いつでも・どこでも常に私を照らす仏様であり、お浄土に生まれた先祖たちはこの働きを助けるために私たちのもとに仏縁に出会うための場を設けるために帰ってきます。

私たちが日常にお仏壇やお墓にお参りするのは亡き人の縁があり、その先祖たちが私たちのもとに帰ってきてアミダの教えを南無阿弥陀仏の声となって届いているのです。

浄土真宗の先祖との仏縁は「期間限定」ではなく、「いつでも・どこでも」です。お盆はその仏縁に出会うわかりやすい節目とも言えます。

他にも浄土真宗では戻ってきた先祖が留まるための精霊棚(しょうりょうだな)や先祖のための食事のお供えも用意しないなど、その他の仏教宗派のお盆とはだいぶ様相が異なっています。

ただ現実的には浄土真宗のお盆でも通仏教とごっちゃになってお勤めがされています。

ただ浄土真宗におけるお盆の大切なこととは、先祖供養やお盆の作法などではなく、父母・先祖を縁として仏法聴聞させていただき、故人を偲びつつ、あらゆるいのちに感謝していくことです。

そして盂蘭盆経では、どんなに徳の高い目連尊者であっても自分一人の力では救えなかった母も、仏様の教えに従い僧侶をもてなすことで母が救われたことが説かれています。

自分一人の力では解決できない大きな悩みであっても、仏法僧を敬い多くのはたらきによって解決することができ、また支えられていることに気が付いていくのだとお盆を通して感じていくのだと思います。

ですので真宗興正派の本山興正寺の霊山本廟で8月15日にお盆のおつとめ・盂蘭盆会法要が営まれるのは一見おかしなように感じるかもしれませんが、阿弥陀様とのありがたい仏縁に出会うための大切な法要であるといえます。

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