こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
数年前まで仲間由紀恵と阿部寛が主人公を演じていた『トリック』というテレビ番組と映画がありましたね。
あのテレビドラマは自称霊能力者たちがあの手この手と超常現象を引き起こし、それを主人公たちが種明かしをするストーリーでした。
その中で印象に残る言葉があります。
それは阿部寛が演じる大学教授が「超能力など存在しない」ということを強く言っていることです。この超能力がないという言葉はセリフを変え、シリーズ中に何度も繰り返されて言われています。
さて、トリックという番組では超能力(霊能力)なんてないことを軸にして話が進み、最終的には種明かしをし自称霊能力者を打ちのめします。
しかしどうでしょうか。
本当に霊能力なんて存在しないと思いますか。
案外ちいさな子供たちは純真で、「お坊さんには幽霊が見えるの?」なんて質問されます。
今回はお坊さんと霊能力についてお話します。
結論を先に述べますと、お坊さんには霊能力なんてないですし、浄土真宗的には霊能力とは無縁です。
目次
霊能力って何だ?
「霊能力ってあるんですか?」と尋ねられても、お坊さん的には「霊能力って何ですか?」と返してしまいたくなります。
霊能力とはつまりは、霊的な力があるのですか。備わっているのですか。自在に操れるのですか。ということでしょう。
表現を変えると、霊的な力ということは、人智を超えた力。人の理解や思考を超えた力のことでしょう。(つまりは=超能力ですね。)
お坊さんには霊能力がない(特に真宗僧侶には)。
霊能力の言葉の意味ですでに霊能力なんてないことが言えると思うのですが。
だって人智を超えた力でしょう。
お坊さんって何ですか。人でしょう。
人であるお坊さんがどうして霊能力をもつのですか。
ただし仏教が霊的力を否定しているわけでないとは思う。
確かに仏教には霊能力(超能力)を使うような話も出てきます。
有名なのはお釈迦様の弟子の一人、目連(もくれん)尊者ですね。
この目連と言われる方はお釈迦様の十大弟子に数えられ、神通(じんずう)第一と言われ、物事をなんでも見通す力に長けていたといわれています。
有名な逸話には盂蘭盆経で、先に亡くなった母が死後どうなったのかを神通力で見に行った話があります。
また仏様クラスになると超能力が使えて当たり前になったりします。
お釈迦さまだと空中を移動する的な場面も出てきますし、観音菩薩(観世音自在菩薩)では世の中の悩みの声に気が付き、その声に応じて自在に姿かたちを変えられる菩薩となります。
ただしこれらは仏や菩薩が持つ人智を超えた力(超能力)なので、人には当てはまらないでしょう。
また仏教には霊的な力のほかに、霊魂的な考えも出てきます。
仏教の有名な考えに輪廻転生がありますね、
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界を死後に生まれ変わっていく考えですね。
ただこれはもともと仏教が世に出る前の、古代インドのバラモン教の教えだと言われています。
ですので仏教の教えとはいいがたいのですが、人によっては霊魂の移動ととらえるかもしれませんね。(私は違うと思いますが)
*ちなみにですが、私はこのような言葉を聞いたことがあります。
仏教経典にはどこにも「霊」という文字がないということを。
現に浄土三部経にはどこにも霊の文字がありません。
仏教では霊について説いていないのですが、仏教の教えの中には霊の存在的な箇所があったり、仏や菩薩が超人的な能力を備えているので、どうも仏教を知ること=霊的力を身に着けることと勘違いされているような気がします。
さいごに。お坊さんには幽霊が見えるのか。
少なくとも私には見えません。
そもそも幽霊なんて見えていたら鬱陶しいでしょう。
まあでも、お坊さんにもいろんな人がいるので、私には霊が見える。という人もいるかもしれません。(なぜ霊が見えるんでしょうかね。そもそも霊と仏教は無関係なのに。)
世の中には霊感が強い・弱い?という言葉があります。
霊感の定義も難しいですが、一般的な意味としては霊的な存在に気が付く感覚でしょうか。
ただ霊の存在に肯定的でない浄土真宗からすれば霊感という言葉自体が使われないですし、暗闇を見てなんとも言えない恐怖・不安を感じるのは人として当然の感覚なのではないでしょうか。夜間にお墓を歩くのに恐怖を感じるのも人として普通の状態ですよね。
ですので霊感が有る無しではなく、見えない先や感知することができない未来に対しての不安が、私たちに霊というありもしないものを感じさせているのではないでしょうか。
(ちなみに私は完全に霊を否定していますので、夜のお墓も問題なく歩けます。真っ暗な本堂にも見回ることができています)