お坊さんに茶番のお接待をすることが減っている

真宗僧侶のかっけいです。

「茶番」という言葉をご存知ですか。

今では「茶番」とは見え透いたばかげていることのような、どちらかというとあまりよろしくない意味合いで使われていますが、本当は私たち日本人が人とお付き合いする時に深く関わってきた言葉なんですね。

お参りに来たお坊さんに茶番をするという文化も減ってきているように感じます。

今日は私が感じている茶番への思いを書きます。

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茶番とはどのような意味をもつのか

茶番という言葉は、今日ではあまり使われなくなってきたイメージがあります。

それは茶番という言葉が本来の意味で使われなくなってきているからだと思います。

茶番

  1. 客のために茶の用意や給仕などをする者。茶を煎じて出す役。
  2. 「茶番狂言の略」。
  3. 底の見えすいた、ふざけたふるまい。真実味のない馬鹿馬鹿しいできごと。茶番劇。

日本国語大辞典 第2版より

辞書では上記のような意味が載っています。私たちがよく使うのは3番目の茶番劇といった言葉ではないでしょうか。茶番に付き合うとも言いますよね。

あの会議は初めから質問・答弁の内容、議案の賛否が決まっていた茶番劇だったというように、実は裏ではすでに台本があるのではないかという使い方をしますね。

言い換えれば「みえみえ・やらせ・出来レース」といった本当にマイナスイメージの言葉になってしまいます。

でも元々は茶の給仕・接待をする人の言葉をさしていたんですね。

それが江戸時代末期になって、歌舞伎などの芝居の楽屋で、茶番(下働き)が下手で馬鹿馬鹿しい短い劇や話を始めたことから、茶番が馬鹿馬鹿しい芝居という意味でも使われるようになったそうです。

実は「茶番・接待」という言葉は仏教の習慣からできた言葉なんですよ。

私の住む香川では四国八十八ヶ所参りというのがあります。空海ゆかりの寺を巡礼するお遍路さんがたくさん歩いています。

今の時代でも四国ではお遍路さんに接待する文化に残っています。

接待する理由は布施のこころがあるからです。

お茶や食事をふるまうことに差し出す側にはメリットは何もありませんが、くつろいでいただくという「気持ち」をさしていただくが、「布施・思いやり」につながるのです。

茶番は接待をすること。サービスとは違う

茶番とはお茶の給仕・接待をする意味があること。そして接待には布施のこころがあります。

もう少し深く接待について説明しますと、接待という布施行は房舎施(ぼうじゃせ)に該当します。

房舎施とは他の人を温かく迎えたり、訪ねてきた人の労をねぎらい、食事や休憩・寝泊りをするところを提供することです。

これが実際にしようとするとなかなかに難しいんですね。布施ですから見返りを期待してはいけないからです。

茶番をするというのはサービスではなく、あくまでも布施と言うのを忘れてはいけません。お接待されないからと言って文句を言うのは筋違いです。

お坊さんにする茶番にはどんなものなのか

お寺さんがお参りに行きますと、よくお茶を出していただきますね。この行為も茶番と言えます。接待していただいているのですからね。

しかしお食事を振舞う茶番と言うのもあります。

私が生まれるよりも昔の話になりますが、昔は茶番というものが今よりもずっと多くのところで行われてきました。

私の祖母が主になってお参りしていた50年くらい昔の話になります。

遠い在所にお参りするときは、遠くからお参りに来ていただいたということで、食事やトイレ、休憩する部屋をお参り先の多くの家が用意していたそうです。遠くと言っても30分から2~3時間程度で着くんですよ。距離で言えばお寺から5キロメートルぐらい離れたところからでしょうかね。

しかし時代がたち車で移動するのが当たり前の社会になってから状況が変わってきました。車は便利なものですから、遠いところでも30分もあれば大体の御門徒さんの家には到着することができます。そうすると労をねぎらうのが難しくなるんですかね。だんだんと食事を提供するところが減ってきました。

今から100年ほど前では道路も整備されておらず車もほとんど走らない時代はお参りに行くのに数日はかかっていたそうです。数日かけてお参りしますので、道中やお参り先で寝泊りしないといけないですね。すると自然に茶番・接待というのが行われてきたんですね。

時代が変わって現代では、茶番がだいぶ減ってきました。

年末頃は真宗では報恩講参りというのがあります。真宗では宗祖親鸞聖人の恩に報いる講として各御門徒さんの家のお仏壇でお勤めさしていただいています。

すべての御門徒さんの家に参るので、朝早くからお参りを始めて、お寺に戻ることもなく続けて御門徒さんの家々にお参りさしていただくこともあります。そうするとトイレにも行かないといけませんし、お昼の食事もとらないいけません。

現代ではこの時に食事の茶番を受けることがあります。注意しないといけないのは、この食事の用意はお寺がお願いしているのではないということですよ。昔ながらのならいで自然に発生し継続している文化です。

お坊さんへの茶番としてお食事をいただいている様子。

茶番でいただいたお食事

上の写真は実際の食事の茶番の一例です。

食事の茶番というのは先ほども説明したように接待つまり布施ですので、多い・少ない、豪華・質素ということではないんですね。ご用意して下さる気持ちが大切なのです。

他にはおにぎりやお寿司やうどんをご準備して下さることもあります。何にしても有難いことです。

茶番・お接待はこれからどんどん減りそう

今回は食事の茶番に注目して説明してきました。

食事だけでなく飲み物を出すことも茶番ではあります。お参りに行きますと一番にお茶を出しますよね。あれもお接待です。

しかしお参りに行ってお話をしますと、僧侶によってはお勤めだけしたらさっさと帰ってしまうことがあるそうです。もちろんこの報恩講の時期は浄土真宗にとって非常に大変な時期ですので、お寺さんは滞在時間が短くなってしまいます。せっかく家の方が茶番をしてくださっていますのに、茶番を僧侶の方からいただかないこともあるそうです。

私は卑しいので出されたものはなんでも食べてしまいますし、お茶だけでなくコーヒーや紅茶も接待してくれたら嬉しくなります。

このごろ感じるのは食事に限らずお茶を出す茶番も減りつつあるように感じることです。聞くところによるとお茶を出しても飲んではいけないという人がいますが、それは正しくないと思います。なぜなら繰り返しますが接客とは布施のこころです。する側にもされる側にもそれをいただいていくことが気持ち・仏法を共有することになります。2杯目でも3杯目でもいただいたらいいんです。飲みすぎてトイレが近くなるという問題はありますが。

お食事を用意する茶番と言うのはお金がかかるだけでなく非常に手間ですので減りつつありますが、自坊の門信徒でもお参りに行きますと1割程度の家がお食事を振舞ってくださりますかね。食べられない場合のために持ち帰りのお食事も用意して。


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さいごに。茶番の文化は残ってほしい

茶番は見え透いた嘘のように悪いイメージで使われることが多くなっています。

しかし本来はお坊さんやお遍路などにお食事やお茶や飲み物を振舞うお接待の行為を意味します。

ここ香川ではまだまだお遍路さんの関係もあって、茶番の文化は残っていくような気もします。しかし日本全国をみるとどうでしょうか。茶番が減っているのではないでしょうか。私の心配が杞憂に終わるほど茶番が行われているのであれば非常に有難いことです。

ご門徒さんとの雑談の中で、「都会の坊さんはお参りに来たと思ってお茶を出そうと用意したらもうすでに帰っていた」という冗談のような話を聞きます。

何かの文化が消滅していくというのは時代の流れというものもありますが、する側だけでなく受ける側にもその原因があると思います。

茶番という非常に有難い接待を受け継いでいくこと。これは僧侶の側からも意識しないといけないのではないでしょうか。

仏法を伝えていくことは読経することや説法をすることだけでなく、お接待をしてくださる人とのお付き合いをきちんと受けていくことからでも受け継がれていくものだと感じます。

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