こんばんは。 かっけいです。
ブログは継続するのが難しいらしいです。
私も経験していますが、誰でも一度は経験する悩みが「書けない」・「書くネタがない」ことではないでしょうか。
私は幸いに投稿継続15か月と記事数が350個を超えるようになりました。
なぜ私がブログの投稿を続けられているのか、理由と動機を書いていきます。
ブログ記事を投稿できなくなる理由。
ブログを続けられない理由は「ネタ切れ」と「誰にも読まれない」、「書く人がブログに飽きた」などがあります。
ひょっとしたら「ブログで稼ごうと思ったけど、全くお金にならない」もあるやもしれません。
私が記事更新をしなかった日があるのはなぜか。
では私の場合はどうなのでしょうか。
私は15か月(約450日)で350記事程度です。
ひと月当たり23記事程度。一週間で5.5記事ぐらいですね。
この頻度が多いのか少ないのかは私にはわかりません。
「なぜブログを続けられているのか」と尋ねられたとき、私はいつも「私の日記のようなものだから」と答えています。
日記というのは基本的に毎日書いていきますよね。
逆に書けない時というのは、ついつい疲れ眠ってしまい書き損じたや書くほどの内容が思い浮かばなかった、忙しくてわざわざ書く必要がなかったなどが挙げられます。
続けられないことに悩む人は、続けるという意識に消耗されているんじゃないのか。
ブログはなぜ続けるんでしょうか。
別に毎日続けなくてもいいよね。一週間、2週間、一ヶ月もっと言えば気が向いたときに、伝えたいことがあればひょこっと投稿すればいいんじゃないだろうか。
ブログを続けることに悩んでいる人は続けなければならないという感情に振り回され、疲労困憊されているのではないだろうか。
ちょっと休めばいいのだが、何が何でも続けるんだと強迫観念の様に感じていると消耗された心と体は虚脱状態になり、続ける意欲がわかなくなるのではないだろうか。
- 書く時間がない。
- 毎日書きたくない・休みたい。
- 伝えたい内容が不十分で投稿したくない。
- 書くネタがだんだん乏しくなってきた。
書くことが苦痛に思うのであれば、素直に休むこと。苦痛を伴ってまで続ける意味があるのだろうか。
私がブログを続ける動機はなんなのか。
ブログを書く理由は、ブログを初めるきっかけの延長線であります。
普通多くの人はブログを立ち上げた際の思いを持ち続けているでしょう。(続けていく中で新たな目標がでてくるかもしれませんが)
私の場合はやはり情報発信の意味合いが強いです。それも自分の職業に関することです。
私はお坊さん(僧侶)をしています。
昔と比べて家族のつながり・地域のつながりが減少し、また寺・お坊さん・宗教への関心も無くなっているような印象です。
現代は便利な時代で、インターネットを使えば世界中の誰かが発信した情報をみることができます。
当然、寺やお坊さん・宗教に関する情報も手軽に手に入れられます。
しかしそれらの情報をお坊さんの私が見ると、どうにもこうにもテキトーといいますか、実情を知らないようなどこかから引っ張ってきた内容をそのまま載せているような印象です。
日本の仏教は伝統教団だけで13宗あります。派になると50を越えます。
それぞれに作法や教え・考え方が異なっており、中には非常に伝えにくい細かな違いもあります。
お坊さん達が自分らの言葉で情報発信をしなければならい。インターネットに蔓延している十把一絡げにまとめられた僧侶ともわからない人の内容を見て、宗教を知った・仏教を分かったような思いになってほしくなかったからです。
といっても私も書く内容が不十分ですし、伝えたいことの多くがまだまだ発信できていません。また私自身がまだまだ未熟というもあります。
私がブログを続ける動機は、インターネット上の誤った情報を正すということではなく、現場に立っている人間が伝えたいこと・感じていることを自分の言葉で書き、そのままの姿で誰かの目に届いてほしいからです。
ブログで収入を得たいも立派な理由だが……。私には合わない。
ブログは誰のために書くのか。
- 一つは私自身のため。
- 一つは読み手のため。
ブログは読む人がいれば、当然その向こうには書き手もいます。
書き手がロボットではないので、時間を使い、お金を使い、労力を出して書いています。
読み手だけのことを考えての継続は、やがては書き手の書くていく意欲が失われていくでしょう。(もちろん書くのが好きっていう人もいるでしょう。実際私もブログを以前から誰にも見られない日記手帳を続けています)
では何のために書くのか。いくらか挙げてみます。
- 伝えたいことがあるから。
- 有名になりたいから。
- 人の役に立ちたいから。
- 自分の考えを肯定してもらいたいから。
- 読者と交流したいから。
- 稼ぎたい・儲けたいから。
ブログを続けるには何かモチベーションが必要です。
私の場合は「伝えたいことがある」・「お寺や僧侶に関心がある人に生の声が届けば」・「お坊さんってこんな人なんだ」という情報発信のためです。
しかし『ブログ』を検索しますと、『ブログ 収入』・『ブログ 稼ぐ』などのキーワードも出てきます。
ブログ(ウェブサイト)というのは広告(スポンサー)を貼ることができます。その結果お金を得ることができます。
他にも物販や情報商材や新規契約者の獲得など様々な収益化をはかることができます。
稼ぐというのは意欲を掻き立てられやすいのか、とにかく記事数を増やして読者を得ようと努力できるかもしれません。その点ではブログで収入を得ようとする行為は立派なモチベーションになりますね。
ただ私には合わないようです。
なぜならブログを続ける動機が生の情報発信だからです。
もしも稼ぐ・儲けるという意識が強くなり、アクセス数をアップさせるような内容に傾いたり、自分の言葉を変化させ読み手の注目を得やすい内容に迎合していくのではないかと考えます。そうならないかもしれませんが、お金は怖いですよ。
(ただしブログをはじめて15か月目の今月、ドメイン代とサーバー代を賄うために一部グーグルアドセンス広告の掲載はしました)
ブログを書くのは難しくない。ネタが一つあればなんぼでも浮かんでくる。
ブログを書けなくなるのはモチベーションの維持が難しいのもあるでしょう。
また書くネタが無くなるのもあるでしょう。
幸いにも私にはそのような経験はまだないのでブログを続けられるのですが、実際問題として書くネタはそこら中にあると思います。
私は毎日夜寝る前にブログの記事を書き始めます。今日はどんなことを書こうかなあとふと頭に浮かんだワードをチョイスしています。
意外にも深く考えすぎないことが重要ですね。
頭に浮かんできた書きたい内容もあれもこれもと深く考えていくとそれだけで数時間もかかってしまい朝になり、結局書く時間が無くなります。
アイデアを一つ選び取り、とりあえず文章を書き始めることです。
するとスラスラとどんどん書くことができます。
自分の言葉で書き、自分の伝えたい思いがあれば、一つのネタでいくらでも書くことができます。
検索ニーズの多い内容を調べ考えて書くのが楽しいと思う人もいるかもしれませんが、そんな読み手の顔色・機嫌をうかがう様な文章は逆に疲れませんか。
最近は読み手を意識して文字数を2000文字程度に減らしつつあるのですが、ついつい文字量が多くなってしまいます。
書くネタが切れて無いと思っている人は、とりあえず一文を書いてみてはどうだろうか。
伝えたい思いがあれば如何様にも自分の言葉を変えていくことができるのではないでしょうか。
(例えば、今私が目に見える範囲でふと思い浮かんだ言葉に「タンス」や「本」や「アイロン」があります。これだけでもそれぞれに文章を書いていけます。)
(例えばタンスならお坊さんの衣はどのようなタンス保管し、どのような工夫があるのか。私の所はどのようにしているのか。例えば本ならお経本とは、蛇腹折りとは。例えばアイロンなら衣はアイロンにかけられるのか。クリーニングはどうすかなどなど)(いくらでも書けますよね)
とりあえず日記のように思ったことを一文書いてみる。
一言言葉があれば、実はブログの文章は数時間でできていくはずです。(広報や新聞に載せるような内容の時は数か月費やしますよ。私は。)
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さいごに。アクセス数があるかはそれほど気にしない方が楽やで。
アクセス数がないよりかはあった方がいいですよね。
励みになりますし、読み手の反応を知り何を書こうか今後の運営方針を決めやすいです。またお金も得やすくなりますね。
ただそれほどアクセス数は気にする必要はないでしょう。
なぜなら大体読まれないのですから。
読み手は知りたい情報があって「ワード」を検索し、どこかの誰かが発信したページにたどり着きます。
私が精力的に書いた文章が読まれるとは限りませんし、読まれないことの方がざらにあります。
特にテーマによってはニッチ・マイナーな記事ばかりで、いくら書いてもなかなか読み手は現れません。
「世界中のあらゆる人に見られてほしいんや」と気負うのではなく、「よう来てくれたな。よかったら読んでいってね」くらいの方が楽ですよ。
本当に有益な情報だと最近はグーグルをはじめとして多々の検索システムが人目に付く検索順位まで上げてくれたりします。
私も4週間に一記事程度のゆったりペースで英語で外国向けの記事を書いています。(英語が苦手でなかなか疲れるからのんびりとね)
最初の一ヶ月間は誰にも見られませんでしたよ。でも3か月が過ぎ始めた現在は週に5~10人ぐらいは見てくれているようです。
アクセス数がありお金になればよりブログを続けられる人もいるでしょうが、私にとってはむしろ日記のような感覚であり、私の言葉だからこそ伝えられることがあるんじゃないのかなあと思います。
もちろん時として誤った情報を・効率的でない情報・共感を得られない情報を書くこともあるでしょう。
しかし完璧な文章を書こうと思うのではなく、もっと気軽に思いを伝えられるのがブログの良さだとも思います。
アクセス数はそれほど気にしない。むしろ無理をせずに、伝えたいことを自分の言葉で書くていくことがブログを書き続けられている今につながっているのではと感じます。