こんばんは。 僧侶のかっけいです。
最近ちょっとこの日本語ブログの更新が滞りつつあります。
書きたいことはたくさんあるのですが、英語で情報発信するということが最近の私の楽しみです。
英語という別言語で情報発信する面白さを書いていきます。
なぜ英語でブログを書くのか。その動機。
私は情報を得る時にインターネットも利用します。
当然日本語で検索するのですが、最近のインターネットは情報が偏っているのか、似たような内容であったり煽り文、また専門性に欠ける内容もあります。
日本人が日本語で書くブログは検索順位が上位になるようなSEOにおいて優等生なものばかりで、情報内容に面白さが感じられません。
文章構成・展開の面白さではなく、着眼点・主張の面白さです。
ですので私はアメリカのグーグルで英語で検索をすることもあります。
すると日本のグーグルでは引っかからなかった面白いサイト・ブログがたくさんヒットします。
英語で情報発信している日本人は少ないのか、どのブログも一昔前の独特な着眼点をもったものばかりです。
だから私も英語で情報発信したいと思ったのです。
『日本人の手による、日本人のお坊さんによる英語で書いた日本の情報発信は面白いのではないか。』
これが私の動機です。
英語で書くのは難しいが面白い。
英語で文章を書くのは大変です。
英語を日常で使用しているネイティブの人たちに伝えようとするのはなお難しいです。
もちろん最近は翻訳サイト等の精度は上がっており、試しに英語の文章を日本語に機械翻訳しますとどうにか日本人に伝わる文になります。
しかし微妙なニュアンスの違いがありますし、相手が伝えようとしている内容を察しないといけません。
異なる言語で表現する時、この単語でこのニュアンスではたしてネイティブの人に伝わるのかなあと不安になることがあります。
例えば最近私が困っている言葉に「信心」があります。
信心を英単語にすると「belief」や「faith」と変換されます。しかし詳しいことは省きますが、この訳では日本人と外国人の間で感覚が異なっているようです。もっと言えば日本人の中でも、(浄土真宗の)お坊さんとお坊さんでない人の間で感覚が異なります。
妥協案として「Shinjin」で訳すことになります。しかしこれで本当にいいのだろうかとも感じます。
そんな悩みを英語で情報発信しようとするときに感じてしまいます。
英語で文章を書くというのは大変です。しかしその過程の中で自分の中で気が付かなかった新たな関心が生まれてきます。
例えば以前次のようなことを日本語で書きました。
『如来を”tathagata”と英訳しても理解できるのか』。この記事では真宗法語カレンダーにおいて「如来をTathāgata」・「帰命をTaking refuge」と訳していることに疑問を感じたことを私の言葉で表現しました。
英語で書こうとする中で、日本語で書く環境だけでは気が付かなかったことに出あるのが面白いです。
日本人の視点から感じる、既にある外国人の英語ブログの物足りなさ。
上で外国のブログを見るのが面白いことを書きました。
しかし何とも言えない物足りなさも感じます。
日本人の視点からすると言葉足らずと言いますか、もっと踏み込んだ情報を織り込めるのになあと感じてしまいます。
日本にいる外国人による日本情報サイトはあるのに、日本にいる日本人による日本情報サイトはなかなかありません。
外国人だから気が付く外国人受けする日本の良さはあるのだろうが、日本人の視点からすればもっと生活に踏み込んだ内容や、もっと奥にある深い情報も伝えられるように感じます。
仏教に関する内容をお坊さんが英語で検索すると、ちょっと物足りないように感じるのはそのせいかもしれません。
それとこれは私の印象ですが、外国人は仏教と言えば「Zen(禅)」や「Yoga(ヨガ)」を連想しているようです。う~ん、浄土真宗ではあまり踏み込まないテーマだなあ。
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さいごに。英語で書くのは時間がかかる。反応も薄い。
ハッキリ言って英語でブログを書くのは自己満足です。(日本語で書くのもだけど)
英語で一記事書く時間も日本語の5倍・10倍とかかります。
それでいて外国人からすれば読みにくい文章だなあと感じるのか、反応は非常に薄いです。外国人受けしない内容だからかもしれません。
アクセス数を増やすには外国人の感性や関心に寄せた内容・テーマにすればいいのでしょうが、それだとわざわざ日本人が英語で日本の情報発信する必要がないでしょう。
しかしせっかくインターネットという世界中がつながることができる道具があるのですから、反応が薄くても日本人の手による日本人が伝える日本の情報に価値があると思います。
たった一人でも見てくれる人がいて、面白いなあと感じていただければ幸いです。
余談ですが英語や中国語の方が日本語よりもはるかに利用者が多いので、アクセス数を稼ぐには多言語サイトにするのがいいそうです。でもアクセス数が増えるのは私にとっては単なる結果ですので、それを目的に別言語で書くのは私が面白くありません。やっぱり伝えたい・書きたいと思う気持ちが大切だと思います。