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檀那寺と檀家の関係には理想と現実のギャップが大きそうです。

投稿日:2017年4月25日 更新日:

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

先日お寺の代表役員である住職の継職が結果的に世襲が当たり前となっていることを紹介しました。

今回は寺院を護持運営していくにあたって重要な要素であるお寺(檀那寺)とご門徒(檀家)の関係について話をしたいと思います。


檀家とは何なのか。

檀那寺・檀家の言葉の意味。

お寺のことを檀那寺(だんなじ・だんなでら)と表現する場合があります。

しかしすべてのお寺が檀那寺と言えるのではなく、基本的には自分にとって一つのお寺のみが檀那寺と呼ぶことができます。

檀那寺とは檀家が支えて下さっているお寺であり、お布施や寄付・懇志によって維持されているお寺のことです。

檀那(だんな)という言葉はインドの古い言葉であるサンスクリット語の音訳であり、布施(ダーナ)を意味します。

つまり檀那寺とは布施によって維持存続されているお寺のことであり、支えて下さっている人たちのことを檀家と言います。

ちなみに仏教では布施は相互にされるものです。布施をいただいているのに返さないということはありません。
真宗の檀那寺であれば、阿弥陀仏の法を説き、念仏の教えを伝えていきます。檀那寺は法施という布施をしています。一方で檀家は金銭や物品を財施という布施・寄付・懇志をしてお寺を支えています。

檀家が一般的になったのは江戸時代以降。

檀家というのは檀那寺を布施によって支えている家・人たちを指します。

例えば私たちはお寺にお参りをするとき、一つのお寺だけでなくいろいろなお寺にもお参りをしますよね。

しかし仏事や葬儀に僧侶を導師に招くときに頼るのは、檀那寺というお寺のお坊さんになりますね。

檀那寺は檀家を頼ることによって維持されていますが、檀家もまた檀那寺を頼ることによって仏教的儀式を執り行っています。

特に江戸時代に幕府から檀家制度(寺請制度)という制度が定められてからは、どの家も必ずどこかのお寺に属しなければならなかったため、強制的に檀那寺と檀家の関係を結ばされています。
(江戸以前も檀家(門徒)という考え方があり、信者によってお寺は頼りにされていました。)

明治までは家という概念が強かったので、檀家は代々に渡って檀那寺を支えていくという気持ちを持っていましたし、結果的に檀家檀那寺の関係であったとしてもお墓やお骨、仏様といった宗教的儀式を長年お付き合いしていく中で信頼関係が出来あがっていったともされています。

檀那寺と檀家の関係。

理想の関係。

理想の関係と書きましたが、本来の関係かもしれません。

お寺と言うのは本来、自坊を護持しつつ仏教の教えを伝え、人々と共に仏道を歩んでいくことにあります。(かみ砕いて言っています。)

一方で一般の人は日々の生活をするために仕事に励みつつ、先祖を敬い何らかのかたちで仏様にであう(仏法にであう)場を持つ必要があります。

檀那寺と檀家と言うのは相互に頼り頼られる関係であり、どちらが欠けても成りたたくなってしまいます。

お寺の維持にはお金がかかるため財施と言う布施により支えられ、仏法に出あっていくには僧侶が仏様の法を説いていくことにあります。

現実の関係。檀家の崩壊。

理想の関係は檀那寺と檀家が双方に布施によって成り立っているのですが、近年では檀家が崩壊していっています。

言い換えればお寺を支えようとする家(人)がいなくなってきていることです。

檀家の崩壊とここでは言いましたが、正確には家の崩壊です。

現代では居住移転の自由により、家の跡取りでさえ実家を捨てて遠くに好きなところに住むようになりました。

実家を捨てるだけでなく、祖父母や父母の世話もせずに何でも自由という名のもとに、自分のことだけを見て、家を見ていこうという意識が無くなってしまっています。

もちろん祖父母・父母だけで済むわけでなく、先祖を敬う意識も無くなり、当然今までお付き合いしていた檀那寺との関係も絶っています。(現に実家から離れて住んでいる人は檀那寺の名前や家の宗派が分かっていない人だらけです。)

理想と現実の違いが何を招いているのか。

現代では檀家制度というのは存在しません。明治時代になくなりました。

しかし今でも危ういながらも何となく檀那寺・檀家の関係が続いています。

それはお寺との長年のお付き合いの中で積み上がってきた信頼関係によるところもあります。

一方で最近ではお寺がお墓やお骨を人質に取っているから続いているんだという人もいます。

現代では家という意識よりも個人への意識になり、家を捨てても何も思わない人が増えている印象です。何でも自由にしたらよい、失敗したら自己責任、もしくは世間が悪い・社会が悪いんだと言う考えが広がっているとも思われます。

崩壊しかかっている家は檀那寺を支えるのが難しくなり、檀那寺もまた寺院を維持することが難しくなっています。

そして家を捨てた人もまた心が休まる所がなくなり、自己中心的な考えで世の中を見るようになるようになっています。

 

さいごに

檀家と檀那寺の関係が失われつつある現代では、お寺が疲弊しているだけでなく、家もまた疲弊しています。

檀家さん宅にお参りに行きましても若い人がおらず、家の今後、先祖の今後、墓の今後、仏様の今後など解決しがたい問題がたくさん残っています。

本来であれば家の後を継ぐ人がいて、檀家として檀那寺との相互の布施により頼り頼られの関係であったのが、消滅する家という現実をみますとこれからの時代は「家じまい」という言葉が流行って来るでしょうね。

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