こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
12月になりますと急激に気温が低下し、冬が間近になったことが実感されます。
月日というものは早いものであっという間に31日の大晦日を迎えることになると思います。
大晦日に除夜の鐘を撞く(つく)意味と意義を紹介します。
鐘を鳴らす時間帯もお知らせします。
「大晦日(おおみそか)」ってそもそも何?
晦日(みそか)
②暦の月の初めから三〇番めの日。また、月の末日をいい、一二月の末日は大みそかという。さんじゅうにち。尽日(じんじつ)。つごもり。
ー日本国語大辞典 第二版ー 巻12 ページ708より一部抜粋
もともと「晦日(みそか)」というのは毎月の最期の日を表すのに用いられてきました。また、「つごもり」とも言われていました。
そして一年最後の締めくくりの月には「大晦日(おおみそか)」または「おおつごもり」と呼ぶようになりました。
なぜ大晦日に除夜の鐘を撞くのか。
「除夜」、「除夜の鐘」の意味とは。
除夜(じょや)
おおみそかの夜。一年の最後の晩。除夕(じょせき)。
ー日本国語大辞典 第二版ー 巻7 ページ405より抜粋
除夜とは大晦日の夜という意味なんですね。
つまり除夜の鐘は12月31日ということよりも、もっと限定した時間帯であると言えます。日中にお寺で鐘を撞くのは除夜の鐘ではないということです。
重ねて「除夜の鐘」を調べてみます。
除夜の鐘(かね)
除夜の一二時をはさんで諸方の寺々で鐘をつくこと。また、その音。一〇八の煩悩を除去し新年を迎える意味を込めて、一〇八回つきならす。百八の鐘。
ー日本国語大辞典 第二版ー 巻7 ページ405より抜粋
辞書によると、除夜(=大晦日)の12時を挟んでお寺の鐘を撞くことになっています。そうですね。何もおかしくありません。
ですから年が明けてから除夜の鐘を撞きに来るのは間違っているんですね。そうなっているんですから。
で、なんで鐘を撞くかというと、煩悩を除去して新年を迎えるためだそうです。
鐘を撞くことで煩悩が除去できたら世話ないですけどね。
なんで108回も撞くのか。
辞書によると「一〇八の煩悩を除去し、……」ってあるけど、煩悩って108個なんですかね。
調べてみるといろいろこじつけっぽい説明が多い気がします。
例えば四苦八苦。四苦(4×9)八苦(8×9)を合わせて108。
仏教での人間の認識の根幹である六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)に6つの煩悩があって、これが過去・未来・現在に配して6×6×3で108。
一年の月の数(12)と二十四節気(24)と七十二候(72)を合わせて108。仏教とまったく関係ないですよね。
こんな詭弁じみたことで納得するできますかね。
そもそも煩悩の数なんて経典によって様々ですし、断定することはできないですよね。むしろ人生は煩悩だらけですのに108個とまとめる方が無理があるような気がします。
こんな数字の遊びをするのだったら「8」という数字が漠然と数が多いことを示すのに使われていたと説明される方が、ああ、煩悩の数って多いんだなと感じられると思うんですけどね。
108にこだわっている人は108個の煩悩をきちんと数えて撞いているんですか。
108個の除夜の鐘を撞くのは煩悩だらけの私に気づくためではないでしょうか。
真宗における除夜の鐘を撞く意義
辞書には除夜の鐘は108の煩悩を除去し、新年を迎えるとありますが、鐘を撞くことで本当に煩悩が取り除かれていますか。
取り除けないと思いますよ。
浄土真宗の宗祖親鸞聖人は以下の言葉を残しています。
「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、云々・・・・・
(一念多念文意より)
凡夫である私たち人間は、迷いの中で生き、煩悩にまみれ、欲や怒りや腹立ちや嫉妬の気持ちが命の尽きるときまで消え去ることはないと言われています。
梵鐘の鐘を撞いたところで煩悩が除去されるほど簡単なものですか?
このしぶとい私はどこまでも多いや少ない、損や得や、勝った負けたの、いろんな悩みの中で生きているはずです。それが今を生きている私たちなのですから。生きている以上悩みがあって当たり前でしょう。
この煩悩を除去するという行為は、本当に煩悩が取り除かれるのではなく。
一年の締めくくりに除夜の鐘を撞かさせていただくことで、煩悩だらけの私であって、煩悩の中でしか生きられない我が身に気づかしていただくのが大切ではないでしょうか。迷い・煩悩の中で生きている私に気づくはたらきがこの除夜の鐘であると思います。
阿弥陀様というのはそのような中でしか生きられないこの私を救いの目当てとして願いをこちらにかけてくださっています。その願い・はたらきに感謝しながら新年を迎えるのが真宗徒のお念仏の生活ではないでしょうか。
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円龍寺での除夜の鐘を撞く時間帯【告知】。
辞書の説明にありましたように除夜の鐘とは夜の12時を挟んで撞くものとなっています。
ですので円龍寺では107回を年内に撞いて、1回を新年に撞いています。
鐘の撞き方は等間隔が基本ですので円龍寺では30秒間隔で撞いています。
この30秒が案外よろしくて、ちょうど鐘の音の余韻が消えそうな時ぐらいですので心地いいです。また30秒ですので、アナログ時計を持っていきますと秒針が12と6を指すときに鳴らせばいいので、回数を間違えることもありません。
お寺によって間隔は違いますが、40秒間隔で72分、35秒で63分、30秒で54分、25秒で45分、となります。
円龍寺の場合は午後11時5分ごろから撞いています。この時間でぴったり年明け108回目の鐘の音になります。
お参りの方も来ていただいたら、いつでも鐘を撞くのを入れ替わることができます。都会の有名寺院ではないので、行列ができることもないですし、まったく人が来ない年もあります。皆さん11時半が過ぎると車に乗ってどこかに出かけていますけど、檀那寺には来ないんですか。よろしければお寺に参って新年を迎えていただきたいものです。
毎年温かい甘酒を用意していますよ。