かっけい
円龍寺ではご門信徒に一年毎に柱に掛けられる法語を配っています。
祖師高僧方、浄土真宗の篤信者のことばを通して仏さまのこころを味わいます。
住職が考えた言葉がその年の法語となることもあります。
2022年
打たれても
気持ちのよさは 法の道
罪を知らする 慈悲なればこそ
(願船ありのままより)
2021年
忘れても
忘れぬ弥陀がある故に
忘れながらも
この身このまま
(因幡の源左)
2019年
一寸先は闇という
よくみれば
その闇は私の中にある
(榎本栄一)
2018年
むねに六字のこえがする
おやのよびごえ
慈悲のさいそく
なむあみだぶつ
(才市のうた)
2017年
道をあやまれば
一生はむなしい
正しき道は
すべての人に開かれる
2014年
前に生まれんものは後を導き
後に生まれんひとは前へ訪へ
(安楽集、道綽)
2013年
朝な朝な 仏とともに起き
夕な夕な 仏をいだきて臥す
(傅大士録)
2013年、円龍寺にお納骨や法要ができる新しいお堂が建ちました。
元々は経蔵があり、転輪の経蔵の発案者である傅大士(ふだいし)が安置されていました。
その傅大士像を化粧直しし、新しいお堂で再びおまつりしています。
傅大士は500年頃の中国の人で、大乗仏教だけでなく仏教以外にも詳しいでした。
2012年
行き先を
おのが心に問わずして
まずみ仏に
たずねまいれよ
2009年
私のあたまに つのがあった
つきあたって 折れてわかった
(榎本栄一『群生海』より)
2008年
人生は
念佛の道場である
聞法こそは
生命の道場である
景豊
2004年
他力に生きる人は
精一杯やっても
おかげさまがでる
(豊島学由)