円龍寺の柱掛け法語

かっけい
かっけい

円龍寺ではご門信徒に一年毎に柱に掛けられる法語を配っています。

円龍寺が毎年出している一年の法語(柱掛け)

祖師高僧方、浄土真宗の篤信者のことばを通して仏さまのこころを味わいます。

住職が考えた言葉がその年の法語となることもあります。

30年ほど続けられていて、ここでは過去20年分のを紹介します。

2025年の柱掛け法語

いのちをつなぐ ことば
南無阿弥陀佛

2024年

人に育てられ 人になる
仏に願われて 仏になる

2023年

どこまでも
逃げるわたしは
慈悲のなか

2022年

打たれても
気持ちのよさは 法の道
罪を知らする 慈悲なればこそ
(願船ありのままより)

2021年

忘れても
忘れぬ弥陀がある故に
忘れながらも
この身このまま
(因幡の源左)

2020年

仏恩を
よろこぶ人に 光あり

2019年

一寸先は闇という
よくみれば
その闇は私の中にある
(榎本栄一)

2018年

むねに六字のこえがする
おやのよびごえ
慈悲のさいそく
なむあみだぶつ
(才市のうた)

2017年

道をあやまれば
一生はむなしい
正しき道は
すべての人に開かれる

2016年

我が生命
ほとけの願いが
生きている

2015年

おかげさまと 手を合わせ
ありがたいと 頭を垂れる

2014年

前に生まれんものは後を導き
後に生まれんひとは前へ訪へ
(安楽集、道綽)

2013年

朝な朝な 仏とともに起き
夕な夕な 仏をいだきて臥す
(傅大士録)

傅大士三尊
傅大士三尊

2013年、円龍寺にお納骨や法要ができる新しいお堂が建ちました。

元々は経蔵があり、転輪の経蔵の発案者である傅大士(ふだいし)が安置されていました。

その傅大士像を化粧直しし、新しいお堂で再びおまつりしています。

傅大士は500年頃の中国の人で、大乗仏教だけでなく仏教以外にも詳しいでした。

2012年

行き先を
おのが心に問わずして
まずみ仏に
たずねまいれよ

2011年

聞法は知る力
己を知る 喜を知る
死を知る 恩を知る

2010年

智慧の光に よりてこそ
愚かな闇の 破らるる

2009年

私のあたまに つのがあった
つきあたって 折れてわかった
(榎本栄一『群生海』より)

2008年

人生は
念佛の道場である
聞法こそは
生命の道場である
景豊

2007年

無量のいのちの
大河に帰す

2006年

どんな時でも
お慈悲の中にいる私
報恩感謝のお念佛

2005年

仏智の光に照らされて
粗末な我が身が
知らされる

2004年

他力に生きる人は
精一杯やっても
おかげさまがでる
(豊島学由)

タイトルとURLをコピーしました