こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
明日は2月3日、すなわち節分(せつぶん)ですね。節分といったらどんな行事がありますか。
そう、「豆まき」と「恵方巻き」ですね。
どちらの事も一月に書いた気になっていたいのですが、気が付いたところ全く触れていませんでした。
ということで今回のテーマは『浄土真宗!なぜ恵方巻きをしないの?』です。
【前置き】浄土真宗は節分を禁止しているんじゃないよ。
今日の夕方のニュースを見ていますと、NHKが恵方巻き特集をしていました。
- すっかり定着しましたね。
- 変わった種類の恵方巻き(うどんをまいた恵方巻き)
- 今年の食べる方角(南南東)
- 食べているときはしゃべったらいけないよ。
といったことを報道していたんですね。
そっかあ、恵方巻きをローカルNHKでわざわざ取り上げるんだあと関心したのですが、浄土真宗のお坊さん的にはあまり関係のない行事です。
といっても浄土真宗という仏教宗派が恵方巻きを否定しているわけでも禁止をしているわけでもありませんよ。
これだけは勘違いしないでください。
ただ浄土真宗的にはわざわざする必要がない行事だということです。
なぜ浄土真宗は恵方巻きをしないのか?
一言でいうなら、浄土真宗は俗信や迷信にとらわれた生き方をしないからです。
ですので、祈祷や占い事をしませんし、こっちの方角は良い・悪い・日の吉凶はない、無意味な語呂合わせはしません。
- 昔からしていることだから
- 周りがしていることだから
- とりあえず流行に乗っとけ
などといったその場の雰囲気でするような考えも持っていません。
だから恵方巻きの「一本丸かじりするのは福との縁を切らずに、体内に取り込むため」そして「巻いた寿司を黙って食べるのは福を巻き込むため」というのは全くの無意味なことです。
そんなことを言いますと協調性が無い宗教やなあと感じるでしょうが、そもそも浄土真宗では「○○したから、上手くいく・失敗しない」といった自己中心的な自分の願望で生きる宗教ではないからです。
しかし誤解があってはいけないのでしつこく説明しますが、浄土真宗の人はあえて恵方巻きといったイベントをすることはしません。
しかし自身が恵方巻きのイベントをしないだけであって、しないことによって優越感を感じていたり、とりあえず恵方巻きをしている人を見て小馬鹿にしている訳ではありません。
そんな恵方巻きに頼ることをしなくても、浄土真宗では今のこの私のいのちが大切だよ有難いことだよということを教えてくれます。
といっても恵方巻きを食べている人はいるだろうね。
さて私がこういう俗信・迷信の話をする時は大抵、「といってもお坊さんでも○○をしている人はいますよ」ということを言います。
それは逃げで言っているのではなく、実際にはそういうもんだと感じてほしいからです。
浄土真宗の教えに触れている人でわざわざ買ってきて自宅で恵方巻きを食べる人はいないでしょう。
しかし例えば、集会所などで周りの人が一斉に食べていて「あなたもどうぞ」と言われたらどうします。もちろん食べますよね。
他にも保育所や学校の行事などで恵方巻きを食べる機会があったとしますよ。「私の所は関係ないので食べません」と言いますか?言わないでしょう。
また別の例を挙げますと、お寺が経営している保育所があったとします。するとその保育所では2月3日は恵方巻きの行事をするやもしれません。
浄土真宗は迷信や俗信にとらわれた生き方をしません。
しかしそうは言ってもその考えを押し通すことで、周囲との親和性が保てないのであれば、イベントに参加することもあります。それは神社参りも同じことです。
自分の中に確かな信仰や考えといった柱があるのであれば、教義・生き方と異なった行動をしたとしてもそれは何の問題もないでしょう。
最近ではお寺でもクリスマスやハロウィーン、バレンタインといった日にイベントをすることもあります。
考え方が違うからや関係がないからと言って排除するのではなく、人が集まる行事のひとつとしてお寺や僧侶でも恵方巻きといったイベントをすることもあります。
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さいごに。何のためにするのか?
恵方巻きや初詣やおみくじを日本人は好んでしたがります。
それは何もおかしなことではないでしょう。
ただ何のためにするのでしょうか。
今年一年が上手くいくためでしょうか。
- 何んとなくの安心感が欲しいのでしょうか。
- それとも自分の責任感を減らしたいのでしょうか。
良い結果が出れば自分が頑張ったから成功したんだと思い、悪い結果・不幸なことが起きれば、「神様が悪い・運が悪い・日が悪い・方角が悪い」といった風に責任転嫁したいのでしょうか。
浄土真宗的には良い日も悪いもありません。今のこの日この瞬間が一番有難いのです。
「○○しとけば上手くいく」と「□□はをしとけば運がよくなる」といったことに振り回されて生きているのは滑稽と言いますか、空しく人生を過ごしているように感じますが、いかがでしょうか。ちょっと言い過ぎですか?