四十九日法要は3ヶ月にまたがったらダメなのか

真宗僧侶のかっけいです。

一周忌や3回忌といった年忌法要はご命日の日が法事の日となるのですが、四十九日法要(満中陰法要)は亡くなってから四十九日目の法事となります。

喪主から次のことを、よく質問されます。

  • 四十九日(満中陰)が3ヶ月にまたがると良くないのですか?
  • 早く三十五日で法事をしてくれませんか?

親戚や周囲の人が、「早くした方が良い!!」と言うんですって。

でもですね。そんなのは単なる迷信・俗信ですよ。

四十九日が3ヶ月にまたがっても何の問題もありません。もっと言えば、できる限り四十九日の日にお勤めしましょうよ。

今回は、四十九日法要(満中陰法要)の日にちに関する迷信について、お話します。

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前置き。四十九日の数え方と考え方

亡くなった日をご命日として、亡くなった日が最初の1日目と数えます。

亡くなってから最初の7日目のことを初七日(しょなのか)と言います。

次の7日目のことを二七日(ふたなのか)、その次の7日目を三七日(みなのか)、以下7日ごとに四七日(よなのか)・五七日(ごなのか)・六七日(むなのか)・七七日(なななのか)と続きます。

この亡くなってからの四十九日間のことを中陰(ちゅういん)と表現し、亡くなられた人は七日毎(1週間毎)に後生の行き先が審判によって決められるとされています。

その行き先は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道と、最後7番目の仏の世界とされています。

なぜ皆さんが中陰の七日毎に中陰のお勤めをするのかという理由は、亡くなった人が仏の世界すなわちお浄土に往ってくれよと願っているからですね。

どんな人でも死後49日の間に行き先が決まるとされているので、一週間ごとにお勤めをして追善供養をしようと思っているんですね。

ちなみにですが、この地獄行きや浄土行きの審判という考えは浄土真宗的ではないことを真宗僧侶の私がはっきりと申し上げておきます。この四十九日(中陰)の考え方は通仏教的な考え方です。

四十九日の代わりに三十五日法要をする理由

「四十九日の法事が3ヶ月に渡ると駄目と言われました。」「だから三十五日で繰り上げさせてもらいます。」と、たまに言われます。

どうして駄目なのかと聞きますと、「親戚から言われた」や「周囲から言われた」といって駄目な理由を説明してくれません。

仕方ないので、あえて三十五日にお勤めする理由を考えてみました。

実は中陰の期間、1週間ごとに行き先を決める審判官は毎回変わるとされています。

五七日(35日目)の5番目の審判官は、すっごく有名な閻魔王とされています。

そしてこの閻魔王は日本では、地蔵菩薩の仮の姿ともとらえられています。

地蔵菩薩は地蔵像として今の時代でも、道端にポツンとまつられていることがありますよね。誰かは分からないけど線香や花が供えられていますよね。

道祖神的な扱いを受けているお地蔵さまは地蔵信仰として、日本人の心の中で敬われてきたのだと思います。

三十五日目の法要をする心は、「四十九日までは勤められないのだけれども、頼みますから地蔵さん(閻魔さん)の計らいによって、良いところに連れて行ってくださいよ」と願っているのではないだろうか。

といってもお坊さん的には、三十五日ではなく四十九日法要の方をすすめますが。

四十九日が3ヶ月にかかっては駄目というのは単なる語呂合わせの迷信

さて今回の本題です。

四十九日法要は、3ヶ月にまたがったらダメなのか?

日本人は縁起を担ぐ人が多いのでしょうか。語呂合わせを気にする人もそれなりにいます。

数字の「四」と「九」を極端に嫌ったりしますよね。例えば駐車場のナンバーに4や9が使われないことがありますね。部屋番号でもたまにありますね。

4や9の数字、日本語の言葉の発音が「死」や「苦」を連想するから避けているんですかね。

四十九日の期間(中陰)が3ヶ月にわたると、「四十九(しじゅうく)が三月(みつき)」ということで、「始終(しじゅう)、苦しみ(く)が身につく(みにつく)」という単なるツマラナイ語呂合わせから、四十九日が3ヶ月にかかっては駄目としている人がいるのです。

でもですね。月の半分より後の日で亡くなりますと、たいていの場合四十九日の法要は3か月間にまたがってしまいます。

四十九日の法要が3ヶ月にまたがることで苦労が私の身につくことを恐れて、四十九日の法要をわざわざ切り上げて三十五日で勤めないといけないという迷信的習俗が、まことしやかに伝わっているだけです。

それがどういうわけか、お坊さん推奨みたいな空気になっているのもおかしなところです。

特に浄土真宗では、幼稚ともとれる語呂あわせの迷信を気にすることなく亡き人を偲びます。

数字の語呂で縁起の良い悪いは、全く仏教的な考えではありません。『お坊さんの嫌いな数が4であるという迷信』という関連する記事も書きました。

浄土真宗と四十九日法要が3ヶ月に渡るということ

浄土真宗を含め仏教は「正しく物事を見よう」という考えがあります。

正しく物事を見るということは、明確な根拠もないのに自分の都合のいいように解釈をしないということです。

語呂合わせという考え方は、浄土真宗は特に避けています。占い事や日の良し悪しに惑わされた生き方もしません。

「始終苦(しじゅうく)が身付き(みつき)」という迷信によって四十九日の法要を無意味に早めて勤めることは、亡き人を偲び仏様に参る法要という、大切な仏事の意義が失われていると感じませんか。

四十九日法要が2ヶ月であろうと3ヶ月であろうと、1週間ごとの故人を偲ぶお勤めをしていき、亡き人をご縁として仏様に参り、仏様の私たちに向けられた願いに出あっていくことが大切です。

3ヶ月にまたがる四十九日の法事で摩擦が生じるなら妥協することも

お坊さん的には四十九日法要が3ヶ月に渡ることは何の問題もありません。1週間ごとのまわりのお勤めをしていきましょう。

しかし喪主の中には親族・兄弟や地元の人から「3か月にまたがっては駄目だ」と強く固く言われることもあります。

全員が全員、迷信や俗信にとらわれずに生きているとは限りません。

悪霊や悪因・悪縁を信じ恐れる人も当然いるでしょう。むしろこのような考え方をする人の方が世の中の大多数であり常識になっているかもしれません。

浄土真宗では故人の追善供養や死後の冥福を祈るためにはお勤めをしません。なぜなら亡くなられた人は阿弥陀仏のはたらきによって、既に諸仏としてお浄土に往生しているからです。

ですので「四十九日(満中陰)は3ヶ月に渡っても問題ないよ。絶対に日を変えないよ」と頑なに言うのではなく、親切(恐れ?)からアドバイスしてくれている人がいるのであれば、その人の助言を尊重することも大切でしょう。

浄土真宗では始終苦が身に付くという迷信は気にしないよということが相手に伝わり、問題なく中陰のお勤めができればいいのですが、もしも3か月にまたがることで49日法要にお参りできない人がいたり、お付き合いが円満に行かないのであれば、融通を利かせて三十五日に繰り上げて法要をするのもやむを得ないかもしれません。

浄土真宗では亡き人をご縁として、仏様に参る機会をいただきます。

できるだけ多くの人に仏事にお参りしてほしいところです。

四十九日に法要するよりも三十五日にする方が、大勢の人が心地よくお参りできるのであれば、あえて日にちをずらしてもいいでしょう。

きちんとした理由があれば、満中陰法要を四十九日に拘らずに、三十五日にしても問題ありません。


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さいごに。四十九日(満中陰)が遅くなるのはどうなの?

浄土真宗における中陰の法要を勤める意義は、大切な肉親との悲しい別れを通して亡き人を静かに偲びつつ、人のいのちの儚さや無常を他人事ではなくこの私自身のこととして受け止めていき、南無阿弥陀仏のお念仏の教えに出あっていく有難いご縁の場としていくことです。

世の中の迷信・俗信に振り回された生き方はしません。仏様の大切な教えに出あっていく場が法事ですね。

世間では法事の繰り上げ法要はしても構わないが、後の日にずらすのは駄目だとすることがあります。関連記事『なぜ法事は命日を過ぎてはダメと思われているのか?

しかし先ほども説明しましたように、仏事というのは仏様の教え・願いに出あっていく場です。

日の善し悪しはありません。

本当の七七日の四十九日法要でお参りの人が少なくなるというのであれば、数日ぐらいなら後の日にずらしても大丈夫なので、できうる限り多くの人がお参りできるように調整するべきです。

中陰の語呂や迷信は非常にツマラナイ考えです。

しかし確かな理由があり日程を調節するのであれば、四十九日が早まっても遅くなってもOKです。

冥途の旅支度という言葉もありますが、亡くなった人があれやこれやと悩んでいて行き先が定まっていないのではなく、亡くなった人を偲ぶことに対して日の良し悪しや縁起を気にしている私たちの方こそ悩みの中で生きているんだ(死に向かっているんだ)と気が付かなければなりません。

亡くなった人に対して生きている人が「してあげる」のではなく、諸仏となられた故人によって「仏の願いを聞かせていただく」といただければ幸いです。

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