真宗僧侶のかっけいです。
六曜(ろくよう)という言葉を聞いたことがあると思います。
カレンダーを見ると「友引」や「大安」などが書かれていることが多く、「これはどういう意味なんだろう?」って考えたことはあるのではないでしょうか。
お寺さんにとってはこの六曜がなかなかに厄介でして、
- 仏滅に法事はしたら駄目ですか
- なんとか友引の日の葬儀は避けられませんか
- 四十九日法要が仏滅に当たるけど日を変更したほうがいいですか
と尋ねられることがあります。
今回はその友引や仏滅が入っている「六曜」について解説します。
なお結論を先に書きますと、六曜は仏教と関係ありませんし、浄土真宗では六曜を気にせずに仏事をします。
六曜とはそもそも何。どんな意味があるのか
六曜の種類は6つ
- 先勝:(せんしょう)(せんかち)(せんがち)
- 友引:(ともびき)
- 先負:(せんぶ)(せんぷ)(せんまけ)
- 仏滅:(ぶつめつ)
- 大安:(たいあん)(だいあん)
- 赤口:(しゃっこう)(しゃっく)
1番から6番に向かって移動し6番の赤口の次は再び1番に戻ります。呼び方はいろいろあります。
六曜の動き方を図に表すと下のようになります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー→ | |||||||
先勝 | 友引 | 先負 | 仏滅 | 大安 | 赤口 | 先勝 | 友引 |
ただし注意しないといけないのが、六曜は旧暦での暦法ですので、私たちが普段使っている新暦のカレンダーでは六曜の変化が不規則な不思議なように感じてしまうことがあります。
例えば平成28年10月30日は六曜では「友引」の日です。
順番で行けば、明日(31日)は「先負」となるでしょう。
しかし実際には「仏滅」となっています。
実は旧暦での毎月一日目は六曜が決められているのです。理由はわかりませんが決まりだから仕方ないですね。
幸いに月ごとに固定されている六曜は先ほどの順番と同じですので、覚えやすいですね。
1月 | 7月 | 先勝 |
2月 | 8月 | 友引 |
3月 | 9月 | 先負 |
4月 | 10月 | 仏滅 |
5月 | 11月 | 大安 |
6月 | 12月 | 赤口 |
これを踏まえて先ほどの平成28年10月30日を例を考えてみますと、
- 10月30日(旧暦:9月30日)「友引」
- 10月31日(旧暦:10月1日)「仏滅」
- 11月 1日(旧暦:10月2日)「大安」
となりますね。友引→先負→仏滅となるのではなく、友引→仏滅→大安で六曜は進みます。
六曜の歴史。言葉は変化している
六曜の歴史は実は明らかにはなっていないようです。
日本には今の中国から伝わってきたことは間違いないようですが、中国でいつ頃、だれが作ったのかは分かっていません。
主な説としては、西暦200年ごろの人物である諸葛亮孔明という人物が六曜を発案し用いたそうですが、後世のこじつけという考えもあります。
もう一つには、西暦600年代に生きていた唐の李淳風が有名です。この李淳風という人物は天文学者であり数学者であったそうです。この人物が作成したものに「六壬時課(ろくじんじか)」というものがあり、これが六曜のもとになったともいわれています。
少し説明しますと、この六壬時課とは時間を占うものだったそうです。
六曜と対比してみますと以下のようになります。
- 速喜……先勝
- 留連……友引
- 将吉……先負
- 空亡……仏滅
- 大安……大安
- 赤口……赤口
これが時代が変化してきますと、時間を占うことから日の吉凶を占うように変化してくるそうです。
六曜が鎌倉時代以降に日本に伝わって以来、元々の意味も名称も変化しながら広まっていったそうです。
例えば現在の仏滅にあたる空亡では、「空亡」→「虚亡」→「物滅」→「仏滅」と変化したそうです。
六曜と仏教は関係がない
仏教と関係は全くありません。
先ほどの仏滅でも元々の漢字は全く違います。
そもそも仏さまが亡くなる日が、およそ6日に一度の頻度でやってくると思いますか。
いらない豆知識ですが、お釈迦様の亡くなった日は旧暦の2月15日で必ず仏滅になります。だから仏教と関係あるという人もいますが、それは誤りです。
これは先ほど説明したように旧暦の2月1日は必ず友引からスタートするという変なルールがあるからお釈迦様の命日(涅槃)は必ず仏滅になるのです。仏教と関係の無い理由で仏滅の六曜があたっているだけです。
浄土真宗では特に日の善し悪しを占うのを嫌います。
親鸞聖人の御和讃に次のがあります。
かなしきかなや道俗の 良時吉日(きちにち)えらばしめ
天神地祇(てんじんじぎ)をあがめつつ
卜占祭祀(ぼくせんさいし)つとめとす
この歌を簡単に訳しますと、『かなしいことに僧侶も一般の人のなかにも、良い時間・日にちを選んで、神様をあがめて占いやまじないごとに頑張っている』という意味になります。
よい時間、日を選んでいると言ってもそれは本当によろしい日なんですか。
時代によって変化している言葉や意味を重要なものだと思い込んで、吉凶に怯えたり、占いに頼ったりするのは心の安定につながっていると考えられているのかもしれませんが、占いによって、かえって人間としての生き方が束縛されているように感じます。
仏教では日の善し悪しを決めていません。
浄土真宗は友引や仏滅に葬儀をしても大丈夫
先ほどまでの説明通り、仏教は六曜と全く関係ありません。
ですので次の例のように
- お墓やお仏壇の移動を大安以外にしても
- 結婚式を仏滅でしても
- 法事を仏滅でしても
- 葬儀も火葬も友引でしても
まったく問題ありません。
ただ「世間の人には納得できない人がいること」や「社会や企業が六曜を利用していること」などの面倒なこともあります。
例えば法事を仏滅にしたいと思っても親戚の中には嫌う人もいます。
また結婚式の日時を決めるときに、日にちだけでなく時間にまで六曜を利用して、意味をもたせようとすること。
葬儀で言えば、役場が運営する火葬場がそもそも友引にやっていないこともあります。
友引に火葬をしている自治体ももちろんありますが、それは少ないように感じます。都会では火葬が間に合わず霊安室にご遺体がたくさん預けられている状態なので、友引でも火葬をしているとは聞きます。
友引に葬儀・火葬をするのはお寺の人間としては全く問題ないのですが、火葬場の状況や列者の心情によっては避けざるえないことも多々あります。
しかし重ねて言いますが、仏教は六曜と関係ありませんので、迷信にとらわれずに葬儀や法事の日どりを決めていただけたらなと思います。
浄土真宗徒は「ものいみ知らずなのか」
最近の若い世代では耳にすることは少ないかもしれませんが、浄土真宗ではものごとの吉凶をえらばないことや世間の慣習の常識を知らないことからかつて「もの意味しらず」と呼ばれていたことがあります。
しかしこの言葉は元々は「物忌みしらず」という風に使われていました。
つまり浄土真宗の人々は、物事の常識を知らないのではなく、根拠のない仏教とは関係のない迷信ごとを知らないということです。六曜のような占い事をいらないものとして無視するのは非常識だと馬鹿にされていたのですね。
でも確かなよりどころがある真宗徒にとっては六曜のような迷信や俗信に頼る必要がなく、良いことも悪いことも事実として受け止めることができるのです。
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さいごに。六曜はいらない・気にしない
以上のことから「友引」で葬儀をしても、「仏滅」に法事をしても問題ないことが言えます。六曜は仏教とは関係ありませんからね。
法事や葬儀の日時を選ぶときに重要なことは六曜という意味のない迷信ではなく、喪主や施主の都合、僧侶やお参りに来られる方が無理なく一人でも多く集まることができるように決めることだと思います。
仏教僧侶が六曜にとらわれて法要を変更することはまずありません。
先に亡くなられた方のご縁をいただいて、一人でも多くの方が仏縁に出あうことが大切です。それが葬儀や法事の日時を決めるときの心がけではないでしょうか。
ただ現実問題として田舎の方では六曜の友引や仏滅に火葬施設が閉じていることがあるので、結果として葬儀ができないこともあります。しかし常に開いている都会では六曜のことは気にせずに葬儀・告別式を勤めてください。