香川生まれの月照上人の地を訪ねて。西郷と入水した人物

こんばんは。 香川県丸亀市に住んでいる僧侶かっけいです。

2018年の大河ドラマは幕末期に生きた薩摩の西郷隆盛だそうです。

お参りに行きますと、「来年は月照上人が大河に出るかもしれないねえ~」とよく話題に上がります。

皆さんは月照上人を知っていますか。

丸亀・善通寺・多度津の人は知っているでしょう。

なんせ月照上人の生誕地は大阪ではなく香川県善通寺市なのですから。

月照上人の出家した寺と生誕の場所に行ってきました。

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月照上人は大阪ではなく香川吉原の生まれ。

不思議なことにインターネットで「月照上人」と検索すると、摂津国大阪の生まれとばかり出てきます。ウィキペディアやっておんなじこと言うてますよ。(3月上旬にウィキペディアの内容が更新され、『讃岐国吉原(現在の善通寺市)に生まれた。』と改められました。)

しかし大阪のどこの生まれとは一斉詳しいことは出てきません。

月照上人は香川県善通寺市吉原下所の生まれです。

なぜ大阪の生まれかと勘違いされているかといえば、おそらく両親が大阪で医者としての活動をしていたからであろう。

月照生誕地の石碑。吉原町下所東部にある。

月照上人の生誕地である香川県善通寺市吉原下所東部には月照上人と信海上人の石碑が建立されています。(信海上人は月照上人の弟)

月照上人の生誕地。香川県吉原。大阪は間違い

幕末期の勤王僧月照。香川の生まれの証

この石碑は昭和10年(1935年)5月に生まれた地(竹森家の所有地)に建てられました。

現在は平成26年の道路拡幅工事により少し移動されており、以前よりも目立ちやすい景観になっています。

石碑には『贈正四位月照、贈従四位信海 両上人誕生之地』と刻まれています。

またこの生誕を記念する場所には善通寺市教育委員会による説明書きがあります。

月照・信海の生まれた場所。香川吉原

ここから一部引用します。

月照(幼名宗久)と信海(幼名綱五郎)は、竹森宗吉(後の玉井宗江)と高見島の玉井家の息女お久との間に長男次男として、月照1813年(文化10年)、信海1821年(文政4年)にこの地で誕生。

この石碑は両上人がこの地で生誕したことを記念したことを記念して竹森家の所有地に昭和10年に建立されたものである。

また他の資料にも月照上人が吉原の生まれであると記されています。

例えば、大正7年の『仲多度郡史』には次のようにあります。

月照は、忍鎧、忍介、忍海、忍向とも称す。

仲多度郡吉原村の人なり。

(中略)

月照は幼名を宗久と云い後、久丸と改む。(以下略)

昭和3年の『讃岐名所歌集』には次のように。

月照は忍向また忍鎧と称す。文化10年多度津郡吉原村に生る。

幼名は久丸。(以下略)

月照・信海上人出家の寺。牛額寺。

月照・信海出家の寺。牛額寺

月照・信海出家の寺。牛額寺

上の写真は現在の遍照院牛額寺です。

勘違いするかもしれませんが、ここには月照上人と信海上人の像はありません。

月照と信海が出家したのは、ここよりもう少し山に上がった牛額寺の薬師堂です。そこに両上人の石像があります。

牛額寺から天霧山に登ると月照信海の像につく。

行き先が心配になるが距離は遠くないです。

月照出家の寺。香川県、牛額寺薬師堂

出家の寺。牛額寺薬師堂

このお堂の先(左手側)に、月照上人と信海上人の石像があります。

月照上人・信海上人の像

この石像はすぐ側まで近づいて見ることができます。

またこの場所にも両上人についての案内板があります。

月照・信海出家の後の看板。

この看板の説明を全文引用します。(月照・信海の生涯についてわかりやすくまとめられているので)

讃岐一国札所51番、真言宗の牛額寺は吉原大池の北、天霧山の西麓にあり月照・信海兄弟が出家得度した寺である。

この寺は平安時代(長和5年)小野仁海僧正の開基で、お堂の裏山の洞窟から往古「二頭一身の牡牛」が出没した伝説から寺号を得る。

月照は文化10年、吉原村下所に生まれ、叔父蔵海(当時の住職)に弟子入りし、23歳で叔父の後を継ぎ、清水寺成就院の住職となり近衛家や青蓮院宮の下に出入りし国事を論ずるが、安静大獄の時、京都を脱出し西郷隆盛と共にさ妻へ逃れるが、島津斎淋公没後で藩政厳しく、処置に困り、日向へ「永送り」とし、錦江湾で西郷と二人で海に身を投げ西郷は息を吹き返すが、月照は46歳で帰らぬ人となる

弟、信海も当寺で出家後。叔父・兄とともに京都へ上がりやがて高野山で修業をし、兄の後を継ぎ、第25世として成就院の住職となり、これも勤皇に尽くし、やがて幕府に捕縛され、翌6年に39歳で獄死した。

讃岐の生んだ維新の傑僧の遺徳を正しくかつ広く世に伝える為に、昭和5年に両上人の銅像を建立。その後、戦時中の金属応召で銅像を供出し台座だけとなったが昭和53年4月石像として再建された。

両上人の辞世の句として

大君の為には何か惜しからむ 薩摩の追門に身は沈むとも(月照)

西の海 東の空と変われども 心は同じ君が代のため(信海)


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さいごに。月照生誕地と出家の寺へのアクセス。

2018年は西郷隆盛が主人公の大河ドラマである。

讃岐の国吉原生まれの月照は後に清水寺成就院の住職となり勤皇僧として幕府に目をつけられてしまい、井伊直弼の安政の大獄によって西郷と共に薩摩の地に向かうようになりました。

しかし薩摩藩にとっては月照が厄介者であり、永送り(日向送り)を命じられてしまいました。永送りとは薩摩国と日向国の国境を越えたところで暗殺されることを意味しています。そのため月照と西郷はともに入水自殺をすること決めたようである。

月照とはそのような人生を歩んだ人物です。

ひょっとしたら西郷どんにあわせてゆかりの地としてこの吉原や牛額寺が誕生の地・出家の地と紹介されるかもね。

【月照信海生誕の地】

月照信海の生誕記念碑

月照信海生誕記念の碑は上のマップの中心付近にあります。おおよその住所は香川県善通寺市吉原町554です。
駐車場みたいなのがあるが、私有地なので駐車禁止です。近くに吉原郵便局や吉原公民館がありますが、お遍路さんのように歩いていくのが無難でしょう。

 【月照信海出家の地】

月照信海出家の牛額寺薬師堂

薬師堂ではなく、手前の牛額寺の住所は香川県善通寺市碑殿町660です。この先の薬師堂側に月照・信海の石像があります。

ただ狭い山道を行きますので、道路は事前に調べておきましょう。

また写真のようにこのお堂は修行のお寺です。この日も牛額寺の住職が護摩行をされていました。

修行の邪魔にならないようにできうる限り静かにお参りください。


また平成30年春現在、丸亀城内にあります丸亀市立資料館の二階常設展示室ギャラリーにて、月照上人の資料が数点展示されています。

月照上人の『五常歌』や、『西郷の自滅』という西郷隆盛の自決から五日後に発行されたカラー版のかわら版などが展示されています。(なお、写真撮影は禁止です)

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