丸亀に住む浄土真宗僧侶のかっけいです。
多くの人は新年あけますと初詣(初参り)に行くでしょう。普段お寺や神社に行かない人も正月三が日くらいは家族そろって拝みに行くのではないでしょうか。
自坊のお寺でも門信徒の方たちがお参りに来られます。
さて皆さんはどのようなお寺に行きますか。普段からご縁のあるお寺でしょうか。それとも有名なお寺でしょうか。
私は自分所のお寺があるので、わざわざ他のお寺には行かないのですが、今回は丸亀の有名なお寺に行ってきました。
丸亀市の海の方にある真言宗のお寺で、京極家の祈祷寺・道隆寺の隠居寺としての歴史があります。またご本尊は非常に珍しい姿をした阿弥陀如来像です。
遍照寺へ初詣に行った記録と、遍照寺というお寺について書いていきます。
遍照寺の場所と外観
- 住所:香川県丸亀市新浜町1丁目7の3
- 近くの建物には西にマルナカパワーシティ・藤井高等学校、東に丸亀駅、北の海岸にフェリー乗り場
- 丸亀駅からは500メートルほどで徒歩で約5分の距離
- 駐車スペースは塀の側にあり
お寺の塀はオレンジ色でよく目立ちます。塀の筋には白・黄・赤・青・黒の5色が使われています。
遍照寺の由来(縁起)
遍照寺境内には多くの説明書きがあります。上の写真はその中の遍照寺の起こり(縁起)について記されているものです。
要点をまとめます。
- 正式名は百光山宝厳院遍照寺
- 本尊は阿弥陀如来
- 77番札所道隆寺の宝厳和尚が正徳4年(1714年)に開いたお寺
- 道隆寺歴代の隠居寺となる
- 丸亀藩主の京極家の祈祷寺
- 明治36年(1903年)に本堂を鶏鳴学館の学舎として使う
本堂には宝冠を付けた珍しい阿弥陀如来像が安置
山門をくぐった遍照寺は正面に立派な松があります。
ひとつは福島の松で銘は「入りの宝船」です。そしてもうひとつは本堂前にある「三鈷の松」です。三鈷の松とは真言宗で使う三鈷杵のように、松葉が三つに分かれている松のことです。
この本堂に安置されているのが、木像の阿弥陀如来座像です。
ご本尊は直接見ることができなかったのですが、絵で仏様の姿を拝むことができます。
平成2年に丸亀市指定文化財に登録された紅頗黎色(ぐはりしき)阿弥陀如来で、宝冠を付けた阿弥陀如来坐像は全国的にも珍しいものだそうです。
本堂横の説明書きを引用します。
本像の高さは84.5cm、八葉百蓮華の上に横たわる五鈷杵の中央に独鈷所を建て、その首上に敷いた紅紫雲英の上に結跏趺坐し、五智の宝冠をいただき、定印を結んだ座像。
仏の背後には、頭光・身光の二重光背と紅蓮華を含む大きな月輪の前に座っており、仏身及び袈裟などはすべて紅頗黎色(赤色)になっている。
他に、明王堂・地蔵堂・閻魔堂などがある
その他に、愛染明王や不動明王をまつっている明王堂や、地蔵菩薩や閻魔像などをまつっている地蔵堂や閻魔堂があります。
また西国33箇所観音霊場の石仏も境内にまつられています。
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学業のできない子のために鶏鳴学館を開く
現在は鶏鳴学館という建物はありませんが、明治の終わりごろ、この遍照寺の本堂で学業のできない状況だった子供のための学舎が開かれました。
遍照寺住職だった蓮井麗厳は明治35年8月に現在の本堂を建て、明治36年(1903年)にその本堂を学舎として鶏鳴学館を創立しました。
「郷に不学の人なからしめん」という志で、家庭の経済力から小学校を卒業できないまま実業している勤労青少年に、学業を教えることを目的としました。
鶏鳴(けいめい)の名前の由来は、授業時間がニワトリが鳴く朝の4時から5時半の時間だったからです。
昭和34年に移転解散し、それを受けて昭和35年に丸亀市社会福祉協議会が設立されました。
鶏鳴学館と丸亀市社会福祉協議会の記念碑は、現在城乾小学校の東側にある城乾コミュニティセンターにあります。
以上で私の初詣の記録と、遍照寺の紹介を終えます。
「金毘羅大権現との両参りの寺」・「海援隊解散の地」とまだ紹介しきっていないこともありますし、毎月28日に護摩供養もされています。近くを通った時はお参りしてみてはいかがでしょうか。