香川県の僧侶かっけいです。
全国各地に母乳・乳に関する神さま仏さまがまつられています。
私の住む近くの多度津町と善通寺市にも、乳神と乳仏(七仏)がまつられている場所があります。今回は、その場所とまつるようになった由縁を紹介します。
乳神は多度津町指定の民俗文化財
乳神の場所
多度津町の乳神は、田んぼの中にひっそりと建っています。
場所は2か所に分かれており、1つは多度津町葛原(かずはら)にある葛原正八幡神社の石鳥居から、西に50メートルの所にあります。
もう1つは、この石鳥居そばの乳神から、北北東400メートルの田んぼの中にあります。
- 香川県多度津町大字葛原字八幡1501-2
- 香川県多度津町大字葛原字本村1315-2
乳神の写真
乳神となった理由
乳神の祠には次のような説明板が建てられています。
千代池は用水路が東行して、北条・八幡・大木へと通じている。その八幡の一番水口の所に立っていた小祠である。
凝灰岩の長方形の箱型に屋根が載っている。箱のところに神像が浮彫してあるが、古い形の大顔に子胴なので、一見乳房のようなので、そのため俗に「チチガミ」と呼ばれている。約1kmあまり東北の八幡の末端の大家のミトオトシ(排水路)の傍にも同様の小祠があった。これには、乳型はないが、やはり乳神と呼ばれている。現在はそこから東に400mの田圃の畦に移動している。
いわゆる水分(みくまり)神の一種。水の分配を司る神で、「くまり」は「配り(くばり)」の意で、水源地や水路の分水路などに祀られる。水にかかわる神(ズイジンサン)ということで祈雨の対象ともされ、また、田の神(オカハン)や、水源地に祀られるものとして山の神とも結びついた。後に、「みくまり」が「みこもり(御子守)」と解され、子どもの守護神、子授け・安産の神としても信仰されるようになる。乳神と言う名称はその形状と後に加わった要素が強調されて、名称を「乳神様」と呼ぶようになったと考えられる。
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乳仏は弘法大師の七仏薬師が由来
七仏の場所
善通寺市の乳仏(七仏)は弘法大師ゆかりの仏様です。2ヵ所の乳仏を紹介します。
- 赤門七仏薬師香川県善通寺市善通寺町6丁目1
- 七仏寺香川県善通寺市吉原町2117番地
乳仏の写真
赤門筋の七仏薬師
番外霊場の七仏寺
乳仏となった理由
善通寺の赤門筋にある赤門七仏薬師には次の説明板があります。
善通寺から西へ約3km。吉原大池のほとりに赤門七仏薬師の本尊である七仏薬師(別名乳薬師)があります。この地に弘法大師がお堂を建て、自ら七体の石像を刻んで祀り、五穀豊穣と衆生の疫病からの救済を祈ったのが始まり。その後、中世の戦乱で焼け落ちましたが、承応元年(1652年)、大池の工事中に石仏が現れ、現在の場所に再びお祀りされました。その後、安永8年(1779年)に「七仏薬師」として再興されたと石碑に刻まれています。
この七仏薬師寺には、お参りすると乳の出が良くなることから「乳薬師」と呼ばれ、昭和50年頃までは県外からもお参りに訪れるほどの賑わいでしたが、その後、粉ミルクが普及するようになってからは次第にお参りする人も少なくなりました。残念ながら、現在は往時の面影はありませんが、それでも年間を通じてお参りの人が途絶えることはなく、特に旧暦の6月17日(十七夜)はご本尊が公開されています。
赤門筋商店街の「赤門七仏薬師」は、総本山善通寺創建1200年を機に吉原町七仏薬師寺より勧請され建立されました。
合わせて、1987年出版の『歴史・美術ガイド性神秘仏(岡田喜秋監修 みずうみ書房)』を参考にまとめます。
以上で、多度津・善通寺の乳神・乳仏の紹介を終わります。
全国各地の性に関する神仏をしりたいのであれば、岡田喜秋監修の『性神秘仏』がお勧めの本です。