こんばんは。 丸亀市金倉町に住んでいるかっけいです。
私の住んでいる町には「八十主神社」という産土神社があります。
非常に珍しい名称の神社ですが、実はすぐ近くの多度津町にも「八十主神社」があります。
同じ神様を祀る神社かと思いきや、実は微妙に違っています。
今回はこの二つの八十主神社について書いていきます。
二つの八十主神社の比較。
丸亀市金倉町 | 多度津町道福寺 | |
名称 | やそすか(八十主) | やそす(八十主) |
祭神 | 大国主大神 (大己貴命) (大物主命) |
猿田彦神 大物主神 |
建物 | 本殿 拝殿 隋身門 |
本殿 拝殿 |
丸亀市の八十主神社は「やそすか」と読むが、多度津町では「やそす」と発音する。
祭神はどちらも大国主大神だが、多度津町では加えて猿田彦神を合祀している。
大国主大神は大国主神(おおくにぬしのかみ)・大己貴命(おほなむち)・大物主命(おおものぬし)といった別名があります。
また神と命の表記の違がっていても、意味は変わりません。
後でも説明しますが、大国主には数多くの別名が多数あります。
丸亀の八十主神社には隋神が祀られている。
多度津の八十主神社になく、丸亀にあるのは「随身門(ずいしんもん)」が鳥居と参道の間にあります。
ここには随神として櫛磐間戸命(矢大神)・豊磐間戸命(左大神)の神像が2つ祀られています。
この随神はお寺でいう阿・吽一対の金剛力士像「仁王」と同じ役割があります。
つまりは神様をお祭りしている神社境内の守護神です。
神社ではこれらの随神が鳥居の内側に祀られることがあります。
それは天照大神(あまてらすおおみかみ)が天石窟(あめのいわや)から出た後に、櫛磐間戸命と豊磐間戸命が共にその殿門を守ったことに由来するからです。
八十主とは大国主のこと。八十神の主という意味。
大国主(大神)には非常に数多くの別名があります。
大国主神・大穴牟遅神・大穴持命・大己貴命・大汝命・大名持神・国作大己貴命・八千矛神・葦原醜男・葦原色許男神・葦原志許乎・大物主神・大國魂大神・伊和大神・所造天下大神・地津主大己貴神・国作大己貴神・幽世大神・幽冥主宰大神・杵築大神
また古事記によると大国主には兄弟神がたくさんいます。
その兄弟たちのことを八十神(ヤソガミ)と言います。
これらのことはウィキペディアの『大国主の神話』に詳しくまとめらています。
以下、「大国主の神話」(2017年12月2日 (土) 14:19UTCの版)『ウィキペディア日本語版』より引用。
オオナムヂ(後の大国主)の兄神たちである八十神(ヤソガミ)は因幡国のヤガミヒメに求婚するが、ヤガミヒメはオオナムヂと結婚するといったため、八十神はオオナムヂを恨み、殺すことにした。オオナムヂを伯岐国の手前の山麓につれて来て、「赤い猪がこの山にいる。我々が一斉に追い下ろすから、お前は待ち受けてそれを捕えよ」と命令した。オオナムヂが待ち構えていると、八十神は猪に似た大石を火で焼いて転がし落とし、それを捕えようとしたオオナムヂは石の火に焼かれて死んでしまった。
オオナムヂの母親の刺国若比売(サシクニワカヒメ)は息子の死を悲しんで高天原に上り、カミムスビに救いを求めた。カミムスビが遣わしたキサガイヒメ(貝比売)とウムギヒメ(蛤貝比売)の治療によりオオナムヂは生き返った。
補足して簡単にまとめます。
- 大国主は兄弟(八十神)から嫌われいじめられていた。
- 八十神は因幡国のヤガミヒメに求婚したが、ヤガミヒメは大国主を選んだ。
- その結果、兄弟らに殺された。
- 大国主は母の働きによって生き返った。
- その結果、大国主は八十神の主になった。
八十主とは「八十神の主」の意味とされている。(生き返った後は、八十神よりも立派な国を造ったからとも)
八十主神社の様子を写真で。
丸亀市金倉の八十主神社。
丸亀の八十主神社には鳥居と随身門の間に狛犬と筆塚、および諸々の記念碑が建ち並んでいます。
境内は手入れが行き届いているので非常にすっきりとした景観です。
日常的にこの境内ではご年配の方々が集まってレクリエーションをしています。
またこの八十主神社は金倉町の産土神社です。そのためこの境内周囲には、かつて金倉町各地にあった社が集められています。
他にも荒魂神社・稲荷神社・高貴神社などの社が祀られています。
また「ルナ一族 十二荒神」という不思議な祠もあります。
日露戦争の従軍記念碑も祀られています。
また八十主神社の拝殿と本殿のさらに奥には、クスノキ、クロガネモチ、クロマツなどの社叢林(しゃそうりん)があります。
この社叢林は丸亀市保存樹林として平成12年12月20日に定められています。
丸亀八十主神社の神事場(じんじば)。
丸亀八十主神社の神事場(じんじば)は少し離れたところにあります。
ここは金倉川沿いの東側土手に建立されています。
この神事場には六郷忠魂社が建立されています。
六郷(ろくごう)とは、八十主神社のある金倉町にかつてあった村の名称です。今津村・新田村・津森村・塩屋村・下金倉村(現在:中津町)・上金倉村(金倉町)の六つの村。
この場所で10月の秋季大祭の締めの神事が行われたりします。
多度津町の八十主神社。
続けて多度津町の八十主(やそす)神社を紹介。
こちらの神社にも忠魂碑が祀られており、大東亜戦争碑や日露戦争凱旋碑があります。
丸亀の八十主神社と比べて境内の規模は小さく、拝殿前に神事場が設けられています。
こちらも拝殿の奥に本殿が祀られています。
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神社のある場所をマップで。
丸亀市の八十主神社。
- 住所:香川県丸亀市金倉町1097
- 専用駐車場はない。
- 香川県立陸上競技場(Pikaraスタジアム)の北東方向500メートル先。
- 徒歩で約10分。
丸亀市の八十主神社神事場。
- 神事場は上記の本殿・拝殿がある八十主神社からさらに北東方向500メートル先。
- 専用駐車場はない。
- 徒歩で約10分。
- 住所:香川県仲多度郡多度津町道福寺400
- 専用駐車場はない。
- 多度津駅より南に1キロメートル先。
- 車で約5分。徒歩だと20分程度。