ほしい物リストより、お線香ありがとうございました

なぜ年忌法事の日は命日を過ぎてはいけないと思われてるのかな。

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

皆さんは法事の日時をどれくらい前から決めますか。

早い方がいいですよ。

人間皆さん考えていることはよく似ていまして、この日がいいなあ(土曜日・日曜日の午前中など)と考えている日は案外被ってしまうものです。

お寺の場合は法事の日時が重なると先に連絡を受けていた方が優先になります。

ですので法事の希望の日時は早めにお寺に連絡した方がいいですよ。

私のお寺の場合では半年前には連絡してくる人が半数近くですかね。遅くとも3か月前には決めましょう。ギリギリになるとお寺の予定が詰まっていて、双方の予定が調整できなくなります。

法事の日程を相談されるときによく言われる言葉に、「法事は命日より早くしなければならないんですよね」があります。

今回は「年忌法事の日は命日より前なの?」というテーマです。

結論から言いますと、命日より後の日でも問題ないです

もっと正確に言えば、「命日当日が一番いいのですが、あえて日取りを変更するのならば、後でも先でも気にする必要はない」です。

*私は真宗僧侶ですから他宗では異なるかもしれません

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命日より早く勤める理由を聞いてみた。

多くの人が命日より早くしなければならないと思っているそうなので理由を聞いてみました。

  • なんとなくそう思っている。
  • なんとなく周りの人がそう言っている。

聞いてみますと、明確な理由を挙げられる人はいませんでした。

ただ何となくだそうです。

強いて挙げるのなら、「親戚や近所から遅れて勤めては駄目だよ!!」と釘を刺されているのが理由だそうです。

ただその遅れては駄目という人も「何となくやそう聞いたような気がする」と曖昧な答えしか返ってきません。

私なりに命日より前にする理由を考えてみた。

法事は故人への供養である考え

法事を故人の供養として捉えているのではないでしょうか。

浄土真宗の教義とは異なりますが、法事の意義を先祖への追善供養と考えてお勤めをする宗派があります。

つまり亡くなった人が六道の世界や三悪道の世界で苦しむことなく、少しでもいいところへ行ってくれよということです。
もしくは亡くなった人が生きている私たちに悪さをしないように供養しているという考えもあるでしょう。

この考えならば、娑婆の世界に残された遺族や親族が命日より前に集まり、亡き人のために功徳を追っているのでしょう。

私は真宗僧侶なので分からないのですが、命日の日には何か地獄極楽の裁判でもされているのですかね。故人がちょっとで良くなってほしいと願っているから先に功徳をしないと駄目なんでしょうね。

親戚・近所から評判が悪くなる考え。

私たちは世間体を気にしますね。

どうしても命日を過ぎても年忌法要を勤めないと、近所の人や案内を持っている親戚の人から催促の声掛けが掛かってくるものです。

命日の当たりの日を過ぎますと、事情を知らない人からすれば、「身内の命日を忘れてしまったのですか。」、「命日を勤めないほど薄情なのですか。」、「檀那寺との関係が悪いのですか。」などと色々な事を考えさせてしまいます。

仮に声掛けが無くても命日より遅れて法事をしますと、周りから「命日を忘れていて急遽慌てて法事をしたんじゃないの。」と思わせてしまうかもしれません。

そのような疑念を持たれないためにも、法事のには命日よりも先に勤めましょうという考えが出てきたのではないでしょうか。

浄土真宗ではどう考えているのか。

浄土真宗では法事は追善供養ではなく法縁に出あい感謝する勤めです。

浄土真宗は故人(亡くなった人)のためにお勤めをしません。

ましてや故人の霊が地獄でさまよっていたり私たちに悪さをするので、生きている私たちが功徳を積む考えではありません。

真宗では阿弥陀様のはたらきにより阿弥陀様の浄土に間違いなく生まれ、私たちに念仏の教えを導いてくれています。ですので浄土真宗では法事とは生きている人のためのものであり、故人を偲ぶ中で仏法に出逢い感謝していくのです。

故人は冥土にいないので冥福を祈る必要がありません。

浄土真宗ではこのような言葉あります。

予修(よしゅう)法要」と「延修(えんしゅう)法要」

予修とは「あらかじめ仏事を修めること」、延修とは「後に延ばして仏事を修めること」です。

つまり先にする仏事も後にする仏事もそれぞれに適した言葉があります、

例えばですが浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご命日は旧暦11月28日です。本来であれば、まず御本山が親鸞聖人の報恩講法要を勤修した後(11月28日以降)に、各末寺が報恩講法要を勤めていきます。つまり親鸞聖人のご命日の法要は常に延修法要となります。
一部のお寺では日程が込み合うために先に法要をする予修法要をします。

つまりお寺では凄く当たり前のように延修法要も予修法要もしています。

これは故人のお勤めが故人への供養ではなく、法縁に出あうための生きている人のための勤めだからです。

まとめ

浄土真宗の門信徒の方でも、年忌法事を命日より前に勤めないといけない考えを持っている人がかなりいます。

しかし本当は命日当日に仏事をすることが一番です。

なぜならその日が私たちと別れ仏の世界へと往かれた方となるのですから、亡き先祖の日に有縁の人が集い、故人を偲び、故人の遺徳を感謝し、仏恩感謝の勤めをし、仏法をいただいていくご縁となります。

【まとめ。仏事の日はいつがいいのか(真宗編)】

  • 故人を偲ぶのだから、命日当日が一番いい。
  • もし日取りを変更するのならば、後でも先でも気にする必要ない。
  • 後の勤めを「延修」、先の勤めを「予修」という言葉がある。

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さいごに

最近では日程をずらすのが当たり前になっている人の中には、自分の都合で大きくずらす人が増えてきているような気がします。

例えば1年や2年も3年もずらすということです。

なぜこんなにずらすのかと言えば、他の人の年忌法要と一緒に勤めてほしいからだそうです。

でもですね3年もずらすということは前後で6年、つまり7年もずらせるということになります。

そんなにずらしてまでする法事は、本当に故人を偲ぶ思いがあって勤めているのですか?

故人の命日はそれぞれに勤めるべきですし、日程を早める遅らせるのは参列者の都合が合わないための緊急手段です。ですのでずらしても1ヶ月程度です。

それなのに少しでも楽したいという気持ちで法事の日を大きくずらし、仏縁を失っているのは嘆かわしいことです。

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