こんばんは。 丸亀市円龍寺若坊のかっけいです。
お寺には時々匿名のお手紙が届きます。
さらには住所も不明なので返事のお手紙を書くこともできません。
手書きではなく活字で、読む前の雰囲気からしてろくな手紙ではないなあと感じるところです。
実際読んでみますと、「何を言いたいんだ」とよくわからない内容でした。
今回はそのお手紙についてのお話です。
お手紙の内容。
葬儀のとき、□□(葬儀社名)から善通寺市の○○寺を紹介されました。
その○○寺から永代供養の納骨堂をすすめられましたが、法外に高い金額だったのでとても困りました。
知り合いのお寺に聞いた金額の3倍くらいしました。
○○寺は、「これからもどんどん葬儀屋から紹介してもらって檀家を増やしていく。他の寺の檀家にも納骨堂を販売していく。」そうです。
人の死につけこんで商売する寺があって良いのですか?
そんな寺と葬儀屋のお金の癒着も許せません。
他から檀家を取ろうとしている寺に気をつけてください。
葬儀社名と寺院名を伏せて原文ママ
要は言いたいことは次の通りでしょう。
- 葬儀の時に葬儀屋から紹介された寺が最低だった。
- 納骨堂の金額が納得できないほど高かった。
- 人の死に付け込んで商売すんな。
- 寺と葬儀屋の間でお金の癒着がある(と思った)。
- 檀家を取られないように気いつけよ。
お手紙を読んだ感想。突っ込みどころ。
まずですね。このお手紙はどれくらいの範囲に送られたのかわかりませんが、かなりテキトーに送られたのでしょう。
おそらくタウンページなどで寺院名と住所をパソコンに打ち込んでいったのでしょう。
ご門徒さんであれば、当寺の寺号は円龍寺ということをしっているはずです。それが円竜寺と書かれていた時は大抵怪しい手紙だなあと感じます。(実際綾歌町レオマワールドのそばのお寺さんと話す機会があったので、同じ手紙が届いたのか聞くと全く同じだったそうです。)
で前振りはそれくらいにして読んで感じたことを書きます。
- どうして葬儀の時に葬儀社から寺院の紹介を受けないといけなかったの?
- 法外に高い金額とは具体的にどれくらいの金額?
- 知り合いのお寺があるじゃない。どうして仏事を依頼しなかったの?
- ○○寺の話はどうやって聞けたの?
- 商売と言っていますが、納骨の際にどんな話があったのか不明瞭。
- 寺と葬儀社の癒着は本当なの?
- 気を付けてくださいって、何にどう気をつけろって?単に○○寺の悪口だよね。
これは私の推測ですが、葬儀社から葬儀を執り行う寺院の紹介があるパターンは多くの場合、生前に寺院とのお付き合いをしていなかったこと、もしくは親戚とのお付き合いもしていなかったのではないでしょうか。お寺とご縁がなかった家でも、親戚や本家ではお寺とご縁があるでしょうからそこから葬儀を依頼することができたでしょうに。
納骨堂を勧められたのことですが、お墓がなかったのですかね?そのお寺にお骨を収める気持ちがないのであれば断ればいいんじゃないのかな。今までお寺とのお付き合いがなかったのに、どうして法外な金額だとわかるんですか?納骨堂・納骨壇の規模・管理方法・管理規定・契約などは寺院によって違うのに、金額だけをピックアップされても何とも言えません。
知り合いのお寺があるじゃない。そこで葬儀をお願いできなかった理由があったんですか。
○○寺の「檀家を増やしていく。他の寺の檀家にも販売していく」というぶっちゃけ話をどうやって聞けたんですか。どうやって。
「人の死につけこんで商売をする寺」とありますが、確かに普段お寺とお付き合いしていない場合にはそのように感じられるかもしれません。しかしあなたも葬儀(人の死)の時だけ寺を利用しているじゃないですか。○○寺に肩を持つような発言になりますが、商売とは言いようで納骨場所の一案として提示してくれただけなのではないでしょうか。
私のお寺は業者との紹介料やキックバックといったことは経験したことはないのでわからないのですが、はたしてそのお寺は葬儀社とのお金のやり取りがあったのでしょうか。もちろん私もないとは言えませんし、最近は葬儀社がしているイベントでもどの宗派のどこのお寺のお坊さんがしているのか不明です。葬儀社が勧めるお坊さんは怪しいかもしれませんが、これは私の経験不足で何とも言えません。
さいごに、「他から檀家を取ろうとしている寺に気をつけて」と言っていますが、要はそのお寺が最低最悪だってことを言いたいんでしょ。何ひょっとしてそのお寺を危険なお寺としてマークしとけってことなの?
広告 - Sponsored Links
さいごに。
正直な話、お手紙で挙げられた寺院は少し曰くつきのお寺とされています。さもありなんといった感じです。
ですので今回匿名のお手紙を送った人が感じたことも嘘ではなくその人なりの事実なのでしょう。
ただお寺に勤めている人の経験上、次の事が言えます。
「誰かの悪口を他人に無差別に言いふらしている人は、悪心があるのか悪口がやむことがない」
例えばですが、お寺ではたまに△△寺から▲▲寺に移りたいという相談があります。そのときは大抵△△寺の罵詈雑言です。「あのお寺はなってない。おかしい」と主張しあることないことも誇張してい言います。でそんな人は▲▲寺に移っても文句ばかりを言います。挙句また▼▼寺に移ります。そして▲▲寺の文句を言います。その繰り返しです。
寺院や親戚、地域とも関係を持とうとしない人は、文句ばかりを言いお金で解決しようとし自分の物差しだけで判断を下そうとしている印象です。(私の偏見かも?)