小さなお寺って行きにくいよね。その理由は。

こんばんは。 僧侶のかっけいです。

先日無事に除夜の鐘及び除夜会を終えて、新年を迎えられました。

田舎の小さなお寺ではまだまだ大晦日の夜に梵鐘を撞く習慣が残っており、今年はサイト内で除夜の鐘と除夜会の案内をしてみました。

どれくらいのお参りが来るかなあ~と期待していたのですが、結果、「除夜の鐘に来たのが1組2名。除夜後まもなくに2組5名が来ました。」

まあ、例年通りですね。

やっぱり有名でもない街の小さなお寺では人は集まりにくいよね。

今回は「お寺にお参りしにくい」をテーマに話していきます。

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お寺のお参りが少ないわけではない。集まるところには行く。

さて例年私は一人で除夜の鐘を撞いています。

地域の小さなお寺ですので、お参りの人はほぼいません。

「まあ大晦日の夜は寒風吹き荒れて寒いですし、深夜12時ごろの外出はお年寄りやお子さんには厳しいでしょう。」と思いたいのですが、ちょっと思うところがあるんですね。

11時30~45分くらいになると急に車で外出する人が増えるんですよ。

「あ!目の前にあるお寺にお参りに行くのかなあ。鐘を撞きに行くのかなあ。」と思う人は甘いですね。

目の前のお寺を素通りして、大きなお寺・有名なお寺または神社に行っているんですよ。

私は香川県の丸亀市に住んでいます。近くには善通寺というは非常に有名なお寺があります。真言宗善通寺派の総本山ですね。ここには正月3が日は約20万人が行くとされています。(公式の情報ではなく、地域での噂ですので正確さは不明です。ただ本当に多いです。)

私のお寺ではおそらく正月3が日は20名くらいでしょうから一万倍ですね。

大きなお寺には行く。小さい寺には行かない心理。

さて年末年始になりますと、『初詣スポット・初詣ランキング・御利益ランキング』などの情報が出てきたりします。

なんてことはないです。大きなお寺。有名なお寺にスポットが当たっているだけです。

お坊さんからすれば「檀那寺や菩提寺もしくは地域のお寺に」が一番のお参りスポットだと感じます。

まあ現実問題としてそんなことを言っても行かないんですがかね。鐘撞けども参らずです。

なぜだろうか。

大きなお寺に行く心理はなんだろうか。

伽藍が大きいと立派そうに見える。人が多いと行きたくなる。

さてもう一つ、私の経験を話します。

浄土真宗には京都に4つ本山があります。「仏光寺・真宗本廟(東本願寺)・本願寺(西本願寺)・興正寺」これら4つの本山のことを4カ本山と言います。

私は真宗興正派の僧侶で本山が興正寺です。お隣には西本願寺という非常に大きなお堂がありますよね。

西本願寺にはお参りの人がすご~く多いです。常にお参りの人がいます。

一方で、興正寺はどうでしょうか。閑散としています。特に日本人のお参りは皆無です。

歴史の古さが関係しているのでしょうか。いいえ興正派の歴史は700年以上と本願寺派と遜色ありません。本尊も同じく阿弥陀如来像です。お堂も同じく阿弥陀堂と御影堂があります。

違いは伽藍の大きさと、人の多さではないだろうか。

決して興正寺はお堂が小さいわけではありません。隣のお堂が大きすぎて相対的に小さく感じてしまっているのでしょう。

人は権威性に追従する」と言われています。

権威性を感じられるところ・人は正しいと勝手にイメージしているようです。

権威性を獲得する方法は主に「肩書(知名度)・装飾服装(派手さ)」の2点が重要です。

  • 日本人の多くは本願寺(ほんがんじ)という名称は聞いたことがあるでしょう。一方で興正寺(こうしょうじ)は?
  • 目の前によく目立っているお堂(本願寺)があるのと、横に、控えめなお堂(興正寺)があるの。どっちに入る?

そりゃ自ずと本願寺の方に吸い寄せられるでしょう。

もう一つは「群集心理・同調行動効果」と言われるものです。

単純に言えば、「人が集まるところに同じく行く。他の人と同じ行動すると安心する」といった集団心理のことです。

例えば人が多いうどん店と、人が来ないうどん店があるとするでしょう。

普通だったらお店の外まで人があふれていたら香川県人なら別のうどん店に行くでしょう。

でもそのうどん店の事をよく知らない人、食べログなどの情報を参考にしている人は「人が入れないほど一杯なんだから、美味しいだろうなあ。素晴らしいだろうなあ。じゃあ待ってでも行こうか。」と。

賑わっているような雰囲気を出しておくと、自分も安心して参加したくなるとされます。

ですので、お参りの多い寺院・神社に行くと、「ああここなら御利益があるんだろうなあ。これだけ人が多いんだから自分だけ浮いてなく安心」と勝手にイメージしちゃうんだよね。

他にも人が集まる理由には宣伝力・宣伝効果があるけど当たり前のことだから省略。

町の小さなお寺にお参りしにくいのはなぜ。閉鎖的?

さて「お寺は敷居が高くて入りにくい」という人がいます。

いやいや案外敷居が高いほうが権威性を感じられて勝手にありがたがってしまうもんです。

むしろお坊さんからすれば「お寺は敷居なんて高くないですよ。誰でも気兼ねなくお参りください」というのですが、お寺に親しみを感じていないとなかなかお参りできないものです。

では町の小さなお寺にお参りしにくい理由はなんだろうか。

閉鎖的な雰囲気があるのか。

良かったら今度外を出ましたら、近くの小さなお寺にお参りしみてください。

なんとなしに門を潜りにくいのでないでしょうか。

実際お寺の山門は外の俗世と仏さまの空間を分ける結界のような役割がありのですが、そのような意識が無くても何も知らないお寺の門を潜って中に入るのは緊張しますよね。何か他人の家にこっそりと入っているような気分になって。

で私が考える町の小さなお寺にお参りしにくい理由2点。。

  1. 閉鎖的な空間。人気のない空間。
  2. 僧侶の私物化感。他人の家感。

一つはやはり閉鎖的な空間というのがあるでしょう。

町の小さなお寺の本堂・伽藍は普段は戸締りがしっかりされています。僧侶がいる時・法要の時でなければ、中に上がってることができません。

がっちりとお堂が閉じられている様子は閉鎖的な感じを受けるかもしれません。また寺院によっては日中時に山門を開けていないことだってあります。閉鎖的な人気のない空間に感じることで、人がお参りしにくい、さらには集まりにくいといった悪循環になると思います。

また大きなお寺にはいわゆるサラリーマンのような職員がいます。

一方で町の小さなお寺には、そのお寺を護持運営していくお坊さんが代々常住しています。お寺の敷地内に住居空間を設けていることがありますね。

特に浄土真宗のお寺は僧侶の所有物ではなく、ご門徒のため・お参りの人のための建物ですので、本来はいつでもお参りしていただければ幸いです。

しかし現実問題としてそのお寺を預かっている住職は、防犯上の理由により例えば戸締りを強化したり防犯カメラを設置したりといった対応をとっていることがあります。

サラリーマンのような僧侶がいる宗教施設だと常に対応できるのですが、一般の寺院では留守の事も多く黙ってはお寺の敷地に入りにくいのかもしれません。

けっして僧侶がお寺を私物化しているわけではないのですが、お寺に住み、お寺の戸締りが僧侶に任されている以上、どうしても他人の敷地内に侵入しているように感じてしまうのかもしれません。


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さいごに。小さなお寺にも参ってほしい。

さて今回は小さなお寺に参りにくい理由と大きなお寺に参る心理を説明しました。

お寺で法要・行事をしていますと大抵お寺に来られる人は決まっています。

大きな有名なお寺には初めての所でもそんなに遠慮することなく行くことができるのですが、町の小さなお寺ではどれだけ目の前で鐘を響かせ案内していても来ないものです。

実際人の気配がなく、お参りしていいものだろうかと不安になるかもしれませんが、大丈夫です。お坊さんが住んでいる建物のベルを鳴らしてみてください。「お参りしたいんです」と言えば、対応してくれるでしょう。特に浄土真宗のお寺だと大丈夫です。

(ただ真言宗などの修行を欠かさずしているお寺にお参りする時は注意をしなければなりません。私も小さな薬師堂に行ったときに中で行をされていた僧侶がいました。騒がないようにしましょう)

今回の話は別にお寺の事だけでなく、神社にもあてはまるでしょう。

有名な神社にはお正月にどこからともなく人が集まります。しかしまずは地元の神社にお参りしましょう。お寺も同じです。

大きなお寺に行きたくなる気持ちも理解できますが、案内がある寺・ご縁のあるお寺にもお参りいただければなと思います。

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