お坊さんだってお通夜・葬儀でのお話に悩んでるんだよ。

こんばんは。 僧侶のかっけいです。

お坊さんって葬儀・お通夜でお話しをするのが当たり前ですかね?

どうですか皆さんの檀那寺・菩提寺のお坊さんはお話し(説法・説教)をしてくれていますか。(お話をするお坊さんは、素晴らしい人ですね)

私もお坊さんなので、お坊さんの悩みはよくわかります。

お通夜や葬儀の場面でのお話って難しいのですよ。本当に難しい。

なぜお坊さんが葬儀やお通夜での話をすることに対して難しく感じているのかを紹介します。

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葬儀と年忌法事では場の状態が全然違う。

お坊さんが仏事を勤めるときにすることは二つありますね。

  • 一つは読経。お経を読むことですね。
  • 一つは法話。仏教について説くことですね。

読経はお坊さんなら大体の人ができるでしょう。経典の文字を追って読めばいいのですから。

問題なのは法話についてです。

法話というのは生きた言葉ですから、いつも同じ話をするわけにはいきません。

その法縁の場にあった仏法をわかりやすく伝えていく努力をしなければなりません。もちろん自分の言葉で。

特に葬儀やお通夜では法話というのは非常に難しいものです。

これが49日法要(満中陰法要)や100ヶ日法要、または一周忌や3回忌などの年忌法要では多少法話もしやすくなります。

葬儀と年忌法事では何が違うと思いますか。

  • 遺族・喪家の感情は通夜・葬儀の時は非常に乱れており、まともに話を聞ける精神状態ではないこと。
  • 葬儀・通夜ではお参りの人の中にはいろいろな考えをもった人がいること。

表現を変えれば、年忌法事では親族などの故人と身の濃い方が参ること・お坊さんの話を聞く耳ができていることです。

葬儀というのは今の時代でもやはり突然に訪れるものです。遺族というのは急な別れに直面するため正常な判断・思考をするのが難しいのです。

そんな中でお坊さんがお通夜や葬儀の最後に、仏法についてどったらこうたらお話をしても耳に届きますか?心に響きますか?

人に話をするときは、「相手の心を受け止めて話をするように」とアドバイスをされる人がいますが、これはなかなか難しいですし相手の心なんて分かりっこないですよね。

遺族というのは今、目の前で悲しい別れに立ち会っているんですよ。そんなときになんて声を掛けたらいいんですか。

特に20歳や30歳までに亡くなった家というのは、親よりも子が先に亡くなるという逆縁ですので、親は狂乱状態になります。

これが49日や100ヶ日法要、一周忌や3回忌になりますと多少落ち着いて出来事を見つめることができてきます。するとお坊さんも仏法を説きやすくなり聞き手もお坊さんが話していることを聞こうとしてくれます。

お坊さんの立場からすれば、葬儀や通夜の場の雰囲気によってはお話をしない方がいいと思えたりもするのです。

通夜・葬儀にはいろいろな人が参る。

また年忌法事と違い、葬儀や通夜では非常に多くの人が参ります。会社や地域の付き合いで参る人、親戚のつながりで参る人、故人とのしばしの別れを偲ぶために参る人など様々な思いの人が一つの法縁の場に集まります。

聞き手の人たちの心根をすべて把握してお話しすることは当然できませんので、お参りの人に向けた話というのは現実的ではありません。

『小僧指南集』にはお話を聞く人を次の4パターンに分けています。

  • 一には他宗の人
  • 二には智人
  • 三には当流の信者
  • 四には一向愚人

今風の表現に言い換えると次のようになるでしょう。

  1. 「お坊さんや遺族の人とは違う宗教を信仰している人」
  2. 「知識人・理屈を述べる人、または理解しようと努める人」
  3. 「お坊さんや遺族と同じ信仰をする人」
  4. 「他の宗教に対する理解の少ない人・批判的な人、または関心のない人」

葬儀や通夜の場にはこれら四パターンの人が必ず集います。

ですのでお坊さんというのはお話をすることに悩むのです。全員に向けた話をすることはおそらくできないのですから。

じゃあ、お坊さんはお通夜や葬儀のお話はどう対応するのか?私の考え。

お通夜や葬儀にはいろいろな人が参ります。

ですからお坊さんはその人たちに対して何か仏法を伝えようとしても無駄だと考えなければならないのではないでしょうか。

葬儀やお通夜の主役は亡くなられた人(故人)と残された家族(遺族)です。

遺族・喪主に対して法話をするようにと私は考えます。

一昔前では、お通夜では無常や故人の功績を讃えるお話をするのが無難だと言われました。

今の時代でももちろん無常を説いたり故人の功績を讃えるのは有効だと思いますが、遺族によってはそのような話を聞いても慰みになりませんし、心に響かないこともあります。

そのようなときには何もお話をせずに、ただ黙って退席し、遺族が故人と向き合える時間をただ設けるのが一番だと思います

一方で遺族の人がお坊さんの話を聞くことができる状態であれば、私は無常観や故人の功績以外にも何かしらの話を5分でもするべきだと思います。


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さいごに。お坊さんはお話をしなければならないのか。

お話をする・しないで良い・悪いを分ければ、そりゃお話をするお坊さんは素晴らしいです。

ただ葬儀や通夜のお話というのは法事と違い、遺族の心の状態も乱れていますし、お参りの人にもいろいろな状態の人がいます。

そのような場である葬儀や通夜というのはお坊さんがお話をしても、はたしてそれはお坊さんの自己満足に終わってしまうのではないだろうか。

通夜・葬儀でお話をするのは非常に難しいことであり、悩ましいことです。

ちなみに私の場合は、火葬した後のお骨になって戻ったお勤め、還骨勤行の時にお通夜・葬儀でできなかったお話をします。

少し時間を設けるだけでも遺族というのは肉親との辛い別れに向き合うことができ、お話を落ち着いて聞くことができると私は思っているからです。

お坊さんがお話をするのは、いつでもどこでもではなく、聞き手の聞く準備ができたのを待ってからでもいいのではないだろうか。

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