こんばんは。 香川の真宗僧侶のかっけいです。
香川県では8月のことをお盆月(おぼんづき)とも呼び、この時期になると家のお仏壇に盆灯籠(吊り灯籠)をお飾りしお坊さんを招きお勤めをしたり、家族そろってお墓参り、またお盆の法要が営まれたりします。
一般的な認識ではお盆の時期というのはお坊さんがお墓やお仏壇の前でお経を読経しますので、非常に忙しいイメージを持たれがちなのですが、浄土真宗僧侶である私は、お盆というのはそれほど忙しくなく結構暇だという印象です。(むしろ11月・12月の方がずっと大変)
なぜ浄土真宗のお坊さんはお盆の時期が暇なのか、お坊さんがお盆に呼ばれなくなってきているのかを紹介します。
お盆の期日は3パターン。香川は月遅れ盆を勤めるところが多い。
冒頭で説明したように香川県では8月にお盆を迎える「月遅れ盆」が一般的です。全国的にもこのパターンが多いそうです。
お盆が営まれる期日には主に3パターンあると言われています。
- 新暦の7月15日(7月盆)。東京を含めた関東の一部。
- 一か月遅れの8月15日(8月盆)。関西を中心としているが、日本の多くの地域でもこのパターンが多い。
- 旧暦の7月15日。農村地帯で行われていたそうである。
香川県では8月のことをお盆月と表現することもあり、7月末・8月頭には盆灯籠や墓灯籠が仏壇店などで売られ始めます。
お坊さんへのお盆参りの案内も8月頭ごろにあります。
(*時々8月15日のお盆のことを旧暦盆という人がいますが、間違いです。旧暦は新暦と比べ一月から二月ほど日数がずれます。ちなみに2017年の旧暦盆は9月5日です。)
浄土真宗のお坊さんをお盆に呼ぶのはなぜ?
浄土真宗の教義的にはお盆というのは理解しがたい行事です。
一般的(通仏教的)にはお盆というのは先祖供養の意味合いがあります。特別に棚(精霊棚)を設け迎え火・送り火を焚き、亡き人の霊を招き偲びます。
しかし浄土真宗では先祖の供養はいたしません。なぜならすでにお浄土に往生されており、特別に先祖や父母を供養する必要がないのだから。
ではなぜ浄土真宗でもお坊さんを招きお盆のお勤めをするのだろうか。
それはお盆の由来、すなわち盂蘭盆経(うらぼんきょう)の内容がかかわってきます。
お釈迦様のお弟子である目連尊者が餓鬼道に落ちた母を救うためにお釈迦様に相談したところ、僧侶が修行を終える7月15日に僧侶たちに食事から寝るところまであらゆるものをお供えしなさいとすすめました。すると目連の母は餓鬼の苦しみから救われたとされています。
目連一人の力では救えなかった餓鬼道に落ちた母にも、仏様の教えを聞き僧をもてなすことによって苦しみから救われ、仏も僧も私も喜ぶことができたのです。
浄土真宗では亡き父母や先祖だけに助かればいいという追善供養としてのお盆ではなく、お盆のいわれにちなみ、亡き父母や先祖をご仏前に僧侶を招き、仏様の教えである経典を読経し、個人のご縁を通して仏法にであっていくのです。
といってもお盆のお勤めが減っている印象です。
私の住んでいる地域(西讃地域・丸亀市)の習慣かもしれませんが、この地域では初盆(一年盆)・二年盆・三年盆は盆灯籠をお仏壇の横にお飾りをし、お坊さんを呼びお盆のお勤めをしていきます。
そして三年盆のお勤めを終えますと必ず灯篭を流します(焚き上げます)。(釣り灯篭は毎年流します)
三年盆以降では盆灯籠を必ず用意する必要はなく、お盆勤めをしない家が出てきます。
しかし最近では初盆すらも勤めようとしない家も出てきています。
それはお坊さんをお盆勤めに招くとお布施をしなければならないので、そのお布施を嫌ってお盆を勤めなかったり、葬儀社によっては葬儀で喪主が灯篭を求めても(代金として支払っているのに)灯篭を喪主にお渡ししないことや満中陰法要が過ぎれば回収したりすることもあります。また、そもそも仏様にお参りすることや父母・先祖に対して仏事をしようという気持ちが起こっていないというのもあります。
さいごに。真宗僧侶のお盆はそれほど忙しくない……かも。
浄土真宗ではお盆に先祖供養をいたしません。
ですのでお盆をお勤めするのに抵抗を感じるご門徒さんもいらっしゃるのかもしれません。
しかしたとえ浄土真宗でもお盆のお勤めは行います。お寺によっては盂蘭盆会法要を8月15日に勤めているところもあります。
浄土真宗のお盆というのは亡き人の霊を慰めるためには行いません。
亡き人を偲ぶこと・敬うこと、そしてその場に僧侶を交え、ともにお念仏の教え、仏様の教えに出会っていく行事となります。
他宗では先祖供養の意味合いが強く、お盆の時期はお坊さんが忙しなくお参りしていますが、浄土真宗では呼ばなくてもいいのなら楽だし布施もしなくていいからお盆勤めをしない家もあります。またその傾向が年々増している印象です。
その結果浄土真宗のお坊さんはお盆の時期でもそれほど忙しくはないのです。
繰り返しますが、浄土真宗におけるお盆とは先祖のご恩を偲び、お盆を機縁としてますます仏法を聞きお念仏をいただたいいく場になるのです。
お盆のお参りが減っているように感じますが、仮に浄土真宗であってもお盆というのは大切な行事ですので、ぜひお坊さんをお盆に呼んでいただきたいものです。
【余談】減っている印象だが、それでもお参りはそこそこある。
さてここまで一浄土真宗僧侶のお盆のお参りの減少について思いを説明したのですが、実際にはまだまだ浄土真宗のお坊さんはお盆参りに招かれています。
ではなぜ私がお参りが減少していると感じるのだろうか。
それはお盆のお勤めをしようと考えている家は毎年のように変わらずお坊さんを招きお盆勤めをし、お盆をしたくないなあと思っている家は何とか理由をつけてお盆をやめようとします。
勤めるところはきちんと勤める。勤めたくないところは断ってきている。ということです。
それともう一つ。お盆を知らない人たちが増えてきたということです。
「盆と正月が一緒に来たよう」と言われ、かつては盆というのは親族一同が家のお仏壇やお墓に集うイベントだったのですが、現在では「お盆って何をするの?」という人たちが増えてきて、家族が集う縁にはなっていないようです。
お盆の行事そのものを知らないので、盆灯篭をお飾りすることもお勤めをすることもお坊さんを招くことも知らないのです。
お坊さんの立場としては、「お盆というのはこういう行事ですよ。」・「お盆とはいつからいつまでの期間ですよ」と丁寧に説明することがこれからの時代は必要になっているのでしょう。
広告 - Sponsored Links
【余談の余談】浄土真宗におけるお盆の味わいとは。
繰り返し繰り返し述べますが、浄土真宗は特別に先祖供養をいたしません。
では何のための勤めかといえば、報恩感謝のまことをささげるためとされています。
ただ真宗のにんげんからすれば先祖に報恩感謝の誠をささげるのは当たり前のことであり、お盆だからという理由にはなりません。普段日常のお仏壇のお参りでも報恩感謝のお勤めになります。
では浄土真宗にとってお盆とは何を示しているのだろうか。
- 息子のことを思い周りを犠牲にし、餓鬼道に落ちた目連の母。
- 母を救うためにあれこれするが、なお母の苦しみが増すこと。
- 悩みを釈尊に打ち明け、僧をもてなすことをすすめること。
- その結果、母が餓鬼の苦しみから救われたこと。
これらは非常に徳の高い目連尊者であっても、自分の母だけが救われてほしいと願うだけでは一向に母が救われないということを示しているでしょう。
仏様の教えを聞き、その仏法を頂いている僧侶をもてなし、仏法僧の三宝を敬うことによって歓喜のこころに包まれ、母が救われていったのです。
では真宗ではどのようなお味わいになるだろうか。
自分の父母だけは救われてほしい・自分の先祖だけはいいところに行ってほしいと願うのがお盆ではなく、亡き先祖を偲び、仏法を頂く場を用意し、そこに集った一同がともに念仏の教えによろこび、自分のことだけではなく、仏法僧あらゆることを敬うことによって自ずと自他ともに救われていくのではないだろうか。