こんばんは。 香川の真宗僧侶のかっけいです。
皆様は檀那寺・菩提寺に畑で収穫した野菜や釣りをして得た魚、山に入って採った食べ物を届けたことがありますか。
意外と少ないでしょう。
したことをない人が大半でしょうし、お寺に収穫した食べ物を納めるのが不思議な感覚だと感じる人も多いのではないでしょうか。
お寺には法要時にお預かりする御仏飯米以外にも、丁寧な家は今でも時々お野菜などを納めてくださいます。
今日はそのことに関するお話です。
お寺に野菜や魚、山菜を持っていくのはおかしくない?
全くおかしいことではないんですね。
もう現代の感覚では考えにくいことかもしれませんが、お寺を支えるというのは金銭だけではないんですよね。
お寺によっては奉仕団(ボランティア)のような人が来てお寺の美観清掃をしてくださるところもありますし、お寺の壊れたものがあれば進んで修繕してくれる人もいました。
家が農家であれば、畑でとれたお野菜をお寺に納める人もいました。
それは布施行にも通ずるところで、一般的には財施とは今では現金が当たり前の印象ですが、実はお金以外でも仏様へのお礼であり、お寺の護持という役割から考えるとモノを納めるというのはおかしいことではありません。モノを納めることを「物納(ぶつのう)」とも言います。
かつての寺は檀信徒からの労働奉仕や収穫物の物納によって支えられていたのですが、いつの間にか、金銭によるお布施に変わってきたのです。
金銭による布施が主流になるにつれて、お寺への奉仕や物納が逆に珍しいものへと変わってきているのです。
また戦前になりますが、お寺の周辺というのはお寺が所有している土地ということがありまして、その土地で収穫したものをお寺に納めていたこともあり、田舎の方では今でもお寺に時々納めてくださる家があります。
なぜ、収穫物をお寺に納めるのか。2
さてお寺に物納するのは布施の意味合いがあることを先に説明しました。
実はまだ理由があります。
それは共有と頼りです。
今では田舎でも少なくなってきていますが、一昔前は収穫したものを隣近所で共有する(おすそ分け)光景がありました。
おすそ分けをする理由はたくさん採りすぎて食べられないからだけではなく物を共有することで、自分もあなたも幸せになる(足りる気持ちになる)のです。
自分だけで抱え込んでいてはもったいないですからね。そして共有することで自ずとつながりというのも生まれてきます。
お寺さんにも「説法のおすそ分け」や「功徳のおすそ分け」という人がいます。これは自分だけが仏法を頂いていてもそれほど意味がなく、周りの人と共有することではじめて意味があるのです。
頼りというのは、感謝とも表現できるでしょう。
お仏壇のない家庭では想像しにくいでしょうが、例えば初物を収穫した場合はまず一番に仏様にお供えします。
そのお供えしたものを下げてから私たち人間が食べるのです。
それはなぜでしょうか。
私たちがいのちを保っていくには、様々ないのちのつながりの上で成り立っていることへの感謝を表しているんですよね。
そしてこの共有と頼りというのは、お寺にもつながってきます。
畑で収穫したもの・海で釣ったもの・山で採ってきたもの、それらを自分だけで消費する考えもあるでしょうが、いのちの恵みに感謝し、頼りにしているお寺のご本尊にお供えをしていく考えもあります。
家のお仏壇だけでなく、檀那寺・菩提寺の支えとしての意味があります。
普段から頼りにしているお寺に物納し、お寺の人間はその頂いたものを仏様にお飾りしてから食べさしていただいています。
つまりお寺にモノ(いのちの恵み)をおすそ分けするだけでなく、お寺の仏様への供物としての意味もあり、お寺の人間の生活する支えにもしているのですね。
それは物納している人の、お寺に対する信頼がなければ成り立たないところでもあります。
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さいごに。
なかなか現代ではお寺を支えよう・盛り立てようとする人が少なくなってきている印象です。
それは自分たちのことで精いっぱいだからでしょうね。
またなんでもお金で解決しようとする時代、宗教・檀那寺を頼らなくなってきたことなどが要因にあるでしょうね。
お寺にする金銭のお布施もまるで僧侶に対する報酬や対価であるかのように意味をはき違えられており、お寺の護持や感謝という気持ちが失われているように感じます。
今回は収穫した野菜などをお寺に納める物納を紹介しました。
しかしこれは別に野菜などの収穫物に限ったことではありません。
例えば当寺と例にしますと、
「普段は香川に住んでいないご門徒さんがいます。その方が香川に時々帰ってきます。その際にスーパーや道の駅によって缶詰や特産品などを購入してお寺に物納してくださります。」
これは普段お寺のお世話ができていないという思いもあるかもしれませんが、このお寺(ご本尊)を頼っている・守っている・支えている気持ちがあるからできている物納(布施)だと思います。
お寺としても非常に有難いことであり、必ずご本尊にお飾りさしていただき、その後食べさしていただいています。