子供の頃どもりがちだったけどお坊さんになれた.#305

第305回目のラジオ配信。「どもっていたのが不安だった」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

内容まとめ
  • 私は9歳でお坊さんの仲間入りをした
  • 子供の頃どもっていた
  • どもるとは、言葉の出だしが繰り返されたり詰まったりすること
  • 吃音(きつおん)とも表現する
  • 小さい頃どもっていてもお坊さんになれた
  • 今でも話すときは緊張するがもう大丈夫
  • 大人になると子供の時とはまた別の不安がでてきた

かっけいの円龍寺ラジオ

これは香川県丸亀市にいる浄土真宗のお坊さん、私かっけいの音声配信です。

今、私はお坊さんをしています。

お寺の生まれで、9歳で得度して、小さなころからお坊さんの仲間入りをしています。

それで、今回はこんなお話をしていきます。

お坊さんになるにあたって、小さい頃不安にならなかったのかについてです。

実は一つだけ不安なことがありました。

その不安だったことについて話していきます。

私の所属するのは浄土真宗で、厳しい修業はなく、小学生でもお坊さんの仲間入りができます。

小学生でお坊さんになれると聞くと、不安じゃないの?嫌じゃないの?なんて思われるかもしれませんが、私の場合はそんなことはなかったです。

お寺の本堂と生活空間がつながっていて、物心のつくころからお寺の本堂に行くことが多く、お寺にお参りの人がいると、自分からお参りの人に近づいていっていたそうです。

私が小さかった頃は、本堂には椅子もまだなく、小学生にもならないくらいの私は、たくさんのうちわを手にして、体が隠れるほどの座布団を運んで、お参りの人たちに配り回っていたとご門徒の人たちの懐かしい話を聞かされます。

お参りの人からは、このお寺の跡取りはきっとあなただろうねえと思われていたそうです。

私自身、お坊さんになるのに嫌な気持ちは全くなかったです。

しかし、まったく不安がなかったのかというと、一つだけ不安なことがありました。

唯一の不安は、小さかった頃の私は、声がよくどもりがちでした。「どもる」というのは、言葉の最初の出だしが繰り返されたり詰まったりすることです。

「吃音」ともいったりします。

お参りの人が来ているときに本堂に顔を出すのは大丈夫な私だったんですが、さあお話しをするとなると、緊張しいだったのか、なかなか上手く言葉が出なかったんですね。

私はちっちゃな子どもでしたが、どもってしまう自分が嫌でしたし、恥ずかしかったかもしれません。

どういうわけか、人と話すとき、言葉が上手く出てこないことがよくあって、それが幼心ながらに、「お坊さんになれるんだろうかなあ」と不安でした。

大人になってから思うと、それは全然大したことはなかったですが、言いたいことがスムーズに言えない、緊張が加速してしまう子供の頃の心情を思うと、子供の時の私にとって大きな不安でした。

ただ、どもりがちの人でも、お経を読む時はどもらないんですよね。

歌のように、リズム節があるもの、決まった文言を読むときはどもらないので、吃音だからといって、お坊さんになれないといったわけではありません。

それでも小さい頃の私は、どもりがちだったので、人と話すとき、ひどく緊張してしまうのが悩みでした。

その後私はどうなったのかというと、大きくなるにつれて、どもりは自然と解消されました。

人と話すとき緊張すること自体は、大人になっても変わっていませんが、子供の頃のようにひどくどもるということは無くなりました。

それに先ほど言いましたように、決まった文言のお経を読むときは、どもる心配がまったくありません。

仏教のお話をするときも、繰り返し似たお話をするので、そう大きく緊張することはありません。

また大人になってからは慌てて話すことも意識してしなくなりました。

なので、話すときどもることで、お坊さんになれるかなあという心配は大人になるにつれて無くなりました。

以上が今回のテーマ、「小さい頃の私は、お坊さんになるのに不安はなかったのか」を話しました。

緊張しいでよくどもりがちなのが不安でしたが、大きくなると自然と解消されていったので、今では話すことで不安になったりはしません。

問題は大人になって、お坊さんとして本格的に活動しお寺を預かるような立場になると、子供の頃とは違った、またいろんな別の悩み不安が出てきます。

それについてはお話のテーマが異なっているので、今回は割愛します。

かっけい
かっけい

今ではどもり(吃音)はなく、落ち着いて話すように心がけている

仮にどもりがあったとしても、決められた言葉を読む「読経」や仏さまのお話をする「法話」はできると思います

どもりがある人も心配なくお坊さんになれますよ

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