こんばんは。 僧侶のかっけいです。
御座が近づいておりお寺の境内を掃除していますと、このお寺が将来にわたり維持できるのかなあと不安に感じることがあります。
特に今後30年以内に70%以上の確率で発生するであろう南海トラフによる巨大地震では、私の住んでいる所も震度5強の揺れが予想されています。
その時にはおそらく本堂にも相当な被害が出てくるでしょう。
もしも倒壊し、仏教儀式をするための機能を失うとなれば、新たなお堂を設けなくてはなりません。
しかし現代の日本の状況をかんがみますと、なかなか寄付を仰ぐのも難しく、元通りのお堂にはならないでしょう。
さてどうしたものかと、日々頭を悩ましているのですが、最近思うことがあります。
「これからのお寺は簡単な作りでいいのではないだろうか?」
今回はそんなことを書いていきます。
お寺の構造は不便である。特に身体障害者には辛い。
日本の伝統的なお寺は段差だらけです。
要所要所に結界と呼ばれる段差がありますし、特に入り口から石段を登らなくてはなりません。
これでは足腰が不自由な人はお参りするのが難しいです。
車椅子の人はなおさらのことです。
バリアフリーという意識が今までのお寺にはありませんでした。
いや、無いと言うのは語弊がありますが、現実問題として、身体に障害がある人にとってはお参りし辛い状況です。
例えば車いすの人が本堂に上がれるようにするにはスロープを設置する方法があります。
しかし車椅子の人が自分でスロープ上を移動するには「高さ(cm)×約12倍」の長さが必要です。つまり本堂の縁の高さが80センチメートルならば、およそ10メートルのスロープの長さが必要です。
一般寺院にはとてもではありませんが、そのような空間を確保するのはできません。
また、高さを無くして平屋にすればいいじゃないかと思うかもしれません。
しかし日本は高温多湿です。また建築物は木造です。
建物が水の跳ね返りや湿気により腐らないようにするためにも、床を高くし、通気性を確保しなければなりませんでした。
また神仏をまつる・安置する建物というのは、なるべく高い位置に、仰ぎ見るように目線よりも高くなるように構えます。
そのため、どうしてもお寺というのは床が高く、段差もあり、体が不自由な人はお参りに不便な思いをしていました。
しかしそれは今までのお寺での話です。
未来のお寺は土足OK。段差無し。車椅子OK。
私が考えているのは、『土足OK・車椅子OK・段差無し』のお寺です。
つまりは平屋で、畳がなく、石などの耐久性のある床材を用いた建物です。
今までのお寺は非常に大きな造りでした。
もちろん大きいのには意味があります。
お寺というのは信仰の場であり、聞法の場であり、地域の中心となる場所でした。
そのためできるだけ大きな建物にし目立たせることはもちろんのこと、仏法を聞くお参りの人ができるだけたくさんお堂に入れるようにするためです。
お堂一杯のお参りを、ご満堂(まんどう)と言います。現代では想像しにくいですが、昔はお堂が一杯になる満堂どころか、縁一杯に溢れ、さらには境内に入れないほどのお参りがあるお寺もありました。
しかし現代の状況をみますと、そんなにお参りの人が来ることもないので、広いお堂が必要かと言われれば微妙なところです。
また大きなお堂を建てても、現代では遠慮なしに住宅がお寺を隠すように建ち並ぶので、もう小さいお堂でもいいのではないだろうか。
お寺というのは門信徒の支えによって永代に渡り護持されていく仏教施設です。
しかしその支えも危うい現代では、無理に大きなお堂を建立するのではなく、バリアフリーに特化し、どのような人でも気軽にお参りできる場を用意するのが良いのではないだろうか。
お寺を低価格で、それでいて耐用年数は無理に伸ばさない。
これは私が考えている一案です。
お寺の本堂というのは建築しようとすれば非常に費用がかかります。
それこそ、ご門信徒への寄付のお願いが高額なものになるでしょう。
お寺の規模にもよるでしょうが、1億円以上の費用が発生する可能性も十分にあり得ます。
現在のお参り事情や寺院事情を鑑みますと、もう広く大きなお堂は時代遅れかもしれません。
伝統的な寺院建築をして、厳かな雰囲気を保つことも大切でしょうが、それではお寺が維持できないかもしれません。
最近では民間の納骨施設が人気のように感じます。
とても既存の仏教施設とは雰囲気が異なるのですが、それでも受け入れられているということはお寺がわざわざ今までの形式にとらわれる必要がないでしょう。
「大きすぎない・段差の少ない・土足のままでも入れる・低コスト」のお堂がこれからは相応しいのかもしれない。
また建物の寿命を無理に伸ばさないということも考えています。
100年以上保っているお堂は数多くあります。修理をしながら維持しているからです。お寺は立派な作りをしているので、丈夫だというのもあります。
一方で低コストで作った建築物は寿命が短いです。
永代に渡り一つのお堂を維持しようと思うのではなく、50年スパンで負担にならない程度のお堂を構えた方がいいのではないだろうか。
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さいごに。お寺の護持運営は僧侶の務め。
お寺には庫裏という僧侶の居住空間があります。
お寺はご門信徒の支えにより成り立ちます。そして僧侶・住職は寺院を護持し運営していきます。僧侶は寺を預かる身です。
最近ではお寺の修繕に鉄筋コンクリート造りのお堂が多くみられるようになりました。
耐震性に優れた建物です。
また畳がなく、椅子席しか用意していないお寺も増えつつあります。
お寺は徐々に変化しています。
しかしやはりどうしても、お寺がこれからも聞法の場、仏道修行の場として存続できるのかといえば怪しいところです。
既存のお堂が災害等で使用不可能になった時にどのような対応をするのか。
これからのお寺は、伽藍と表現されるような立派なお堂を設けるのではなく、お参りが減り信仰を失っている現状を見ると、簡易な仏教施設を用意してでも未来に向けて維持できるように努めた方がいいのではないだろうか。