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少子化とともに消滅していく仏教行事について

こんばんは。 田舎の僧侶のかっけいです。

都会では待機児童の声が聞こえてきます。もちろん田舎でもありますが、田舎の方では以前よりもますます子供が減りつつあります。

「子供の姿がだいぶ見なくなった」「昔はもっと大勢の子供がいたのにねえ」「外で友達と遊ぶ子供がいない」と、子供の減少が目に見えて感じられます。

実際、戦後まもなくの昭和25年(1950)には14歳未満の子供が約3000万人・人口比率で35%だったのが、平成の今日では約1600万人・人口比率で12%ほどです。

人口減少や少子化は現状の経済活動や社会の成長の維持が難しいといった国・自治体レベルの問題がありますが、お寺でも様々な問題が発生してきています。

例えばですが、少子化により『花まつり』という仏教行事が消滅しつつあります。

私の住んでいる地域では今日が花まつりでした。しかし後10年、いや数年後には消滅しているやもしれません。

「少子化とともに消滅していく仏教行事」について書いていきます。

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仏教行事は誰のためにある?

仏教行事と言えば何を思い浮かべるだろうか?

  • お寺での定期的な法要?
  • 先祖の年忌法事
  • お盆の墓参り
  • 新年の初詣

どれも仏教行事ですね。

じゃあこれらの行事はいったい誰のためにしているのだろうか?

亡くなった人のため?それとも自分自身のため?

仏教宗派によって考え方は違っているかもしれませんが、基本は生きている人のためです。

生きている人に仏様の教え・法が届き、そして人生の支えにならなければ意味がないでしょう。

仏教行事に参加するというのは、様々なご縁があって、今の私が仏様の前に座り、教えを聞く場に出あえるということです。ですので昔の仏事というのはお年寄りからお母さん・お父さん、そして小さな子供まで一堂に集っていたでしょう。

生きている人たちが集わない、誰も参加しない仏教行事はこれからも仏様の教えがつながっていく場とはなりません。

「花まつり」は子供のための仏教行事。

仏教行事にもいろいろあります。

しかし子供が主役になる行事もまたあります。それが「花まつり」です。

お寺での花まつり(灌仏会)の様子。

花まつりには親子が参加する

花まつりとは堅苦しく言えば、「灌仏会(かんぶつえ)」・「降誕会(ごうたんえ)」・「仏生会(ぶっしょうえ)」などと呼ばれます。

どんな仏教行事かを説明すると、仏教の開祖であるお釈迦様の誕生をお祝いすることです。

このイベントはただお釈迦様の誕生を祝うということだけでなく、生まれてきたすべての人がそれぞれ尊い命だということを伝えていく行事です。

子供の健やかな成長を願い、そして親子ともども出会えたご縁に感謝をしていきます。

子供が減ると、花まつりが消滅する。

花まつりの行事にはいくつか特徴があります。

  • 白い像を用意する(引っ張る)
  • 子供が主役。
  • お稚児さんが登場。
  • 誕生仏をおまつりする。誕生仏に甘露(甘茶)を注ぐ。

花まつりの行事。花御堂に誕生仏を飾る

白い像を用意するのは、お釈迦様のお母様(マーヤ夫人)が白像が体に入る夢を見て妊娠を知った伝説から。

誕生仏とはお釈迦様が生まれた時のお姿をイメージした仏像。右手を上に、左手を下にした姿のこと。また生まれた時に甘露の雨が降り注いだことから、甘茶を注いでいきます。

花まつりの稚児たち

お稚児さんがお飾りをする

花まつりで子供たちが誕生仏に甘茶を注ぐ

子供たちが甘茶を注ぐ

写真を見てもらえば、どことなく子供が少ないように感じるでしょう。

今年は子供は20名も参加せず、保護者も含めると35名程度でした。

私の住むんでいる地域では大正時代から五つのお寺が毎年会所を変えながら花まつりの行事をしていました。

今から70年ほど前の戦後間もないころは、保護者やお年寄りや子供たちが集まり、300名以上の人が花まつりに参加しお堂に入りきれないほどだったと聞いています。またお稚児さんになれない女の子もいたそうです。

今では婦人会も消滅し、その結果老人会も花まつりに参加しなくなり、子供会がなんとか子供のための仏教行事を開いています。

しかしその子供たちが減少していくと、白い像を引っ張る男の子、仏様に献灯・献花・献香するお稚児さんの女の子が足りなくなり、行事が成り立たなくなります。(今でもお稚児さんが減り、礼讃舞踊ができなくなりました)

花まつりが消滅すると子供たちはどこで仏教に出あえるのだろうか。

子供たちが減少し、花まつりが消滅することは仕方のない流れかもしれません。

しかしお坊さんの私の持つ懸念は、花まつりが消滅すると子供たちはいったいどこで仏教に出あうことができるのだろうか。ということです。

今ではお仏壇がある家庭も4割未満と言われています。家の中で仏様にお参りする機会がありません。

また家の先祖の年忌法事でも、自分たちには関係ないと考えているのか、若い両親や子供たちがお参りに来ないこともあります。

仏教とは死者のためにあるというよりかはむしろ、先立たれた先祖を偲ぶことを通して、この私が仏様にお参りするご縁をいただいているのです。

花まつりはお釈迦様の誕生を祝います。

しかしそれの意味することは、この場に参加できた私たち一人ひとりの誕生を祝いよろこぶことです。


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さいごに。少子化とつながりの消滅。

仏教とはご縁のつながりによって今に至っています。仏様の教えを相続している人や建物があるから今につながっています。

しかし今ではお寺や家でもお参りの人がかなり減少しています。

するとそのお寺や家ではだんだんと活力がなくなり、消滅の危機にさらされています。

花まつりの消滅の果てはやがては、子供たちの姿の見ることができない寂しい地域となっているのではないでしょうか。

少子化というのは社会的な問題であり、お寺だけの問題ではありません。しかし今日の花まつりの仏教行事をして思ったのが、このままだと地域社会の衰退や仏教の相続が難しくなっていく将来が予想されることです。

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