ほしい物リストより、お線香ありがとうございました

なぜお寺に参らないのか。特に若者は。その理由を考えてみた。

こんばんは。 浄土真宗の僧侶かっけいです。

皆さんは一年間にどれくらいお寺に行っていますか?

本当は普段お付き合いしている檀那寺や菩提寺に限定して聞いてみたいですが、観光として行くお寺も含めて思い起こしてください。(なぜ檀那寺や菩提寺に限定しないのかと言えば、そもそも檀那寺や菩提寺がない家が多いから。約5割の家庭は仏事をお願いするお寺を決めていないから。)

 

さて思い出してみましたか。

年に何回お寺にお参りしていますか。

おそらく2回程度でしょう。

いやいや自分はもっとお寺に行っていると声高々に言いますか。本当に行っているなら素晴らしいですね。

 

実は一般社団法人「お寺の未来」が調査した結果によると、年間のお寺へのお参り回数が0の割合は約4割、仏事をお願いするお寺がない家は約6割がまったくお寺に行かないのです。

年間に5回以上もお寺にお参りする人は上位5%に入るのですよ。

(ちなみに年間にお寺にお参りする人が1~4回の割合が約5割なのは、おそらく春秋の彼岸・お盆・年末年始といった節目の仏教イベントにしかお参りしないからでしょう)

 

実際自坊のお寺でも春秋の永代経法要や報恩講法要ではお参りの人が少ないです。

特に若い世代のお参りが少ないです。

浄土真宗の法要では読経の後に必ずお坊さんの法話があります。

しかしその時に若い人がお話を聞いているかと言えば、ほぼ0です。

おそらくお寺に来た人たちの1%程度しか若い世代の人は来ません。(それもおじいさんやおばあさんの送り迎えのためだけ)

 

というわけで今回のテーマ『なぜお寺にお参りに来ないのか。特に若い人は。』を私なりに考えてみました。

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お寺に参らない理由。

お坊さんからすればお寺に参るのに理由なんかいらないのですが、一般の人からすれば「どうしてお参りしなければならないんだ。」と考えるでしょう。

お参りしないのには何か理由があるはずです。

面倒だから行きたくない。

今の人たちって面倒くさがりが多い印象ですね。

お寺で行事・イベントごとがあっても、

  • お寺に行くと意外な人に会うかもしれないから嫌。
  • お寺に参るのに時間がかかるから嫌。
  • お寺に行くと色々聞かれるかもしれないから嫌。
  • 今日は疲れてるから嫌。

などなどと、何かしらの面倒になる理由を自分の中でつけて行くのをやめるんですね。

正直な話面倒だから行かないというのは理由にならないんですけどね。

お寺に参る人とは、いろいろ都合をつけてお参りしているのですから。

実際お寺に近い人よりも、少し離れたところの人の方がよくお参りに来ます。

自分に必要ないから行きたくない。

これも若い人を中心によくある考えですね。

現代では宗教離れが目立っているとも言われています。実際そう感じます。

特に仏教は死んだ後のこと、死者についての教えだと勘違いされているようですが、正しくは生きている人のための教えですよ。

浄土真宗も亡くなった後の浄土について説いているようなイメージを持たれる人もいるでしょうが、まったくの思い違いで、死者ではなく生者のための宗教ですよ。

宗教が自分にとって必要ないと考える人には2パターンあるでしょう。

  • 一つはまだ自分には関係ないと思っていること。
  • 一つには宗教は役に立たないと思っていること。

ここでこの話をするとテーマが変わりますし、分量が多くなるのでまた別の機会に説明します。

ただこの宗教が自分にとって必要ないなあと思っている理由2パターンは、現代的な考え方であり、仏教の持つはたらきを勘違いしているように思います。

仏教とは(生活の)役に立つ立たないかの、そんなレベルの物差しで言っていないんですよ。

仏教はまだ若い時分には関係ないと思うかもしれないけど、どんな人にも今まさに出うべきものなんですよ。

また別の時にじっくり説明します。

お寺に行く習慣がないから行きたくない。

お寺に行く習慣がないとは、仏様にお参りする習慣がないとも言えるでしょう。

どうです。家にお仏壇がありますか。

お仏壇がある人は毎日手を合わしていますか。

手を合せるときは誰かと一緒にお参りしていますか。

 

現代では日常生活で仏様にお参りする機会がなかなかないと言います。

それは新しく家を造る分家が多くなり、二・三世代同居の家庭が減り、核家族が進んだからでもあります。

 

家にお仏壇を設けるのは、家に死者が出てからではなく本当は新築時に用意するものです。

しかし今ではそのような意識がなくなりお仏壇がない家庭が多くなっています。

すると今まで家族がお参りしていた家の仏様にお参りすることもないですし、おじいさん・おばあさんといった人がお参りしている姿も見ることができなくなります。

 

人はよくわからないことには首を突っ込まない・突っ込めないものです。

おじいさんおばあさんとともにお寺に仏様にお参りしていた家庭というのは自ずとお寺に関心が向くものですが、お寺や仏様と長期に渡って縁が遠くなると、お寺というのはわからんものだと不安になって行きたくなくなってしまうのではないだろうか。

お寺は普段行くようなところじゃない、何か用事があった時だけ行くもんだと、思い込んでしまうのかもしれない。

お坊さんである私がお寺の法要時のお参りを見ると、おじいさんやおばあさんはもう孫の手を引いて一緒にお参りできないようですね。寂しいですね。

お寺に行く意味が分からないから行きたくない。

これはお寺に行く必要がないから行きたくないと似たような理由ですが、ちょっと表現を変えて紹介します。

現代では自分にとって目に見えて意味のあることでないと納得しない性分になっています。

お寺に行っても時間とお金を消耗するだけだと考えてしまうでしょう。

またお寺やお坊さん、さらには宗教に対して懐疑的に感じているのではないでしょうか。

お坊さんの身からすれば悲しいことでありますし、うまく伝わってこなかったことだなあと残念に思います。

現代ではインターネットやテレビを通じて様々な情報が入ってきます。

そのような中ではお寺に頼る必要も感じにくいですし、もっと手軽に自分がとりあえず納得する情報を手に入れられますからね。

なかなかお寺に行く意味・意義が見つからないのかもしれない。(お参りしていない人に限って意味がないといいがちですが)


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さいごに。

さてどうですかね。

私が考えている人がお寺に参らない理由を4つに分けて紹介しました。

もっと細かく分類できるのですが、とりあえず現代的な感覚・若い世代の感覚をイメージしてこの4つに絞りました。

今回はお寺に参らない理由を私なりに考え紹介しましたが、実はお寺に参らなくなったどころか、親戚の葬儀や法事にも参る人が減っている現実があります。

お付き合いする親族が減っただけではなく、お参りに来る親族も家代表として一人だけがお参りに行くケースが多くなり、複数人で参るケースが圧倒的に少なくなっています。

お寺も一緒で、ご門徒さん一軒につき代表者一人だけがお参りに来る光景が当たり前のようになっています。

なかなか家族揃ってお寺の法要にお参りしないのが今の現状です。

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