こんばんは。 僧侶のかっけいです。
突然ですが、お坊さんってどんな人やと思いますか。
毎日お経文を読んで、難しそうな宗教本を学び、何しているのかわからない儀式を執り行っているようなイメージがありますか。
できればお坊さんって、真面目な人が良い、頭を剃っている人が良い、賢い人が良いなんて思っているんじゃないですか。
旦那寺・菩提寺のお坊さんが良いお坊さんだと周りから思われてたら、なんとなく檀家の人は気分が良いものでしょう。
さて私はまだ年のころは30弱と、お坊さんの中ではまだまだ若いほうに属しています。
まだまだ仏教や生き方についてなど学ばなければならないことだらけです。
ただですね、ちょっと疑問に思うことが私にはあるんですよ。
『勉強するお坊さんて偉いの?勉強しないお坊さんって、ダメなお坊さんなの?』ということです。
「そりゃ勉強するお坊さんの方が良いに決まっている」と誰でもそう答えるでしょうが、私は逆に「じゃあ、勉強しないお坊さんはダメなんか」と考えるんですよ。
お坊さんを分類してみたらどう分けられるのか。
- 教学僧侶:仏教の考え方、宗祖の教えを学び、経典の内容に明るいお坊さん
- 式務僧侶:雅楽を学び、お勤めの作法、儀式運営のプロフェッショナルなお坊さん
- 政務僧侶:本山や別院に勤め、宗門を維持するために活動するお坊さん。
- 布教僧侶:宗門の教えを様々な形・場所・媒体を使って伝えるお坊さん。
これらは私が勝手に4つに分類したお坊さんの形態ですが、仏教宗派っていうのはこれらどれか一つでも欠けたら成り立たないのだと思うんですよ。
どれが一番優れているとかじゃなく、全部大切なんですよ。
お坊さんが勉強するって、何を勉強することなの?
それで私の疑問。「お坊さんが勉強するのは大切なんでしょ。じゃあ何を勉強すればいいの?」。
お坊さんが勉強することって結構多いんですよ。
お経文・聖典を学ぶ教学のこと、雅楽・勤式作法を学ぶ式務のこと、人に伝える技術を学ぶ布教のこと、そして宗門を守り発展させていく政務のこと。
いったいどれを学べばいいんですか。どれに専念すればいいんですか。
「全部すればいいじゃない」と思うでしょう。できると思いますか。できればいいですね。
お坊さんも人ですから、勉強すること学ぶことは面倒に感じますし、能力も人並みです。どんなに教学を学んでもどんなに式務作法学んでもなかなか自分のものにできないですし、忘れてしまいます。
私の知る限り、お坊さんを見てみますと、どれか一つの能力に特化しているお坊さんばかりです。教学もできて式務もできる人なんてほんの一握りです。
勉強しないお坊さんって駄目なんですか。
お坊さんって何のために勉強しているんですかね。
勉強することで救われるのではありませんよね。それが成り立つなら勉強していない僧侶以外の人、檀信徒の人は救われないことになりますよ。
私が思うにお坊さんが教学・式務・政務・布教を学ぶのはそれがお坊さんの本分だからだと思うんですよ。
お坊さんというのは、仏教に関して詳しい人、困ったときに頼りになる人と思われているんじゃないですかね。
お坊さんは普段から仏教経典や儀式作法を学び、知っているエキスパートであると、ご門徒さんからは特に願望のように思われているでしょう。逆にあのお坊さんは何を聞いても答えてくれない、何を伝えたいのかわからない、お勤めも聞くに堪えないと思われれば、お坊さんとしての面目がたたくなりますね。信頼も失います。
お坊さんが勉強することとは、ご門徒さんからの信頼を得るためであったり、お坊さんとしての自信を得るためだと思うんですよ。
自分のことを言って申し訳ないんですが、私は話下手です。布教方法を学んでいないから。お勤めも下手です。作法の研修会になかなか参加できないから。そして仏教に関する知識も乏しいです。物覚えが悪いのに勉強不熱心だから。
どれをとっても大したことのない私ですが、唯一勉強しているのは教学に関することです。まだまだまだまだですが。
他の式務・布教・政務に関することは勉強しない・勉強できていない状態です。
こんな私って駄目なお坊さんですか?
お坊さんが勉強することとは。
お坊さんが勉強することとは、自身のスキルアップのためですね。
ただ極めていくというのは各々の能力にも左右されるので、難しいところです。
お坊さんとはお経が読めたらいいわけではないですね。
ご門徒さん宅のお仏壇で読経し、お話をしなければなりません。ですので最低限、教学と式務の二つは学ばれるお坊さんが多い印象です。
勉強ができるお坊さん・勉強をするお坊さんは非常に素晴らしく偉いなあと感じます。
しかし私のような能力の足りないお坊さんの場合は、勉強できない・勉強しないこともでてきてしまいます。苦手なこと・不要と感じることを避けているようにも思われるかもしれませんが、単純にあっちもこっちもできないということです。
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さいごに。勉強ができないお坊さんは。
勉強できないお坊さんというのは、どこか足りないところがあるということです。
それがご門徒さんにとって良いお坊さん・つまらないお坊さんに思われるかは内容次第でしょう。
例えば一般のご門徒さんからすれば旦那寺さんが雅楽が演奏できなくても、なんとも思わないでしょう。しかしお坊さんからすれば、勉強が足りていないなあと思うわけです。
勉強できないお坊さんはダメなお坊さん。とは私は思いません。
もちろん勉強できるに越したことはないですよ。
でもお坊さんも普通の人間なんですから、できる範囲の中で勉強していくということが大事なのだと思います。