こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
お寺には古いものが色々とあります。
押入れの大掃除をしていましたら、明治終わりから大正初めのころの資料が少し出てきました。
多くはその当時の出版物、お寺や地域での催し事の案内状、写しの和讃本・声明本・経本ばかりだったのですが、その中で特に私の目を引く珍しいものがありました。
それを今回紹介します。
念佛行者數へ歌の発見。
題は「念佛行者數へ歌」でした。
一般的な表現では、「信心数え歌」・「念仏数え歌」・「案心(あんじん)数え歌」といったところでしょう。
何が私の興味を引いたかと言えば、念仏数え歌とというのがそもそも珍しかったこと、10番まででなく20番まであり数が多かったこと、私にとって聞きなじみのない言い回しが多いことなどでした。
手書きで書かれたものではなく、印刷物のようなので世の中に出回っている数え歌かとその時は思っていたのですが、インターネット上ではこれと同じ歌が一つもなかったので、今回紹介することにしました。
この紙が挟まれていたのは、明治終わりから大正初めのころの私の住んでいる金倉町の川西地区であった、お寺での早朝の勉強会案内の念仏和讃の資料にありました。
ですから同じ時期なのかなあと想像しています、
念仏行者数え歌の紹介。20歌すべて。
古い時代の文字なので旧字体は新字体に変えて、ルビも今風の呼び方に独自に変換します。
意味が変わってしまいそうなところは極力原文通りに紹介します。
改行は独自の判断でします。
1トセ~10トセまで。
- 一トセ 人の非難は云はぬこと
念仏称へる口じゃもの
おしゃべりかげ言(ごと)つつしめよ - 二トセ 深く信ずる小袖には
歓喜と懺悔の裏表
この世渡りの晴着なり - 三トセ 右と左りの両の手で
まかせ救ふ御喚び声(およびこえ)
朝夕私しに向きたまふ - 四トセ 喜ぶ心の無ひ私(わし)を
喜ぶこころにしてくれる
これが念仏の力らなり - 五トセ 一寸向ふがまつくらの
闇路は目前我命ち(めのまえわがいのち)
夫(それ)が明るい南無阿弥陀 - 六トセ 六理(むり)は云へまいこごとは出せぬ
弘誓の御船の一等室
観音勢至のおまかない - 七トセ 泣けばなぐさめ怒れば愍む(なだむ)
ほんに深ひが親の恩
親の無ひ身は不幸者(ふしあわせ) - 八トセ 耶蘇や天理の行状見れば
念仏行者の恥かしき
是でも正定聚(しょうじょうじゅ)の菩薩とは - 九トセ ここと浄土はほど遠からず
一念即得往生なり
やがて浄土で弥陀同体 - 十トセ 称へ(となえ)易いが南無阿弥陀
仕事し乍ら(しながら)寝乍らも
夫でも忘れる南無阿弥陀
11トセ~20トセまで。
- 十一トセ 一切衆生(いっさいしゅじょう)の身がはりと
ご火の中苦の中毒の中
夫れが私しの御身がはり - 十二トセ 二世の幸福(しあわせ)いただく身なら
御恩で暮せ五十年
憂も辛ひも南無阿弥陀 - 十三トセ サーと夕立はれ渡り
涼しいお月さんがまん円(まる)と
一念帰命がここの味ぢ(あじ) - 十四トセ 四苦や八苦で悩めるむねに
御慈悲浮べば有難や
南無阿弥陀仏の月きよし - 十五トセ 五劫思惟が南無の二字
永劫(ようこう)修行が四字の中
夫れが私しのものとなる - 十六トセ 六字は御声に成就し
釈迦も七祖もこのお声
夫れが私しの口に出る - 十七トセ 七難消滅の南無阿弥陀
第一こころの邪を払ふ(はらう)
この世の利益はきはもない - 十八トセ 走れ生存競争に
道がまがれば失敗す
南無阿弥陀仏の後押で - 十九トセ 九軒長屋に御正信偈
佇む(たたづむ)お方も南無阿弥陀
是ぞ大悲のお手伝(おてつだい) - 二十トセ 日本国中津々浦々に
念仏聞へぬ所(とこ)は無い
浄土真宗御繁盛
文章を読んだ感想。
「結構難しい内容だな」・「まとまりがないない」というのが率直な感想です。
最初の一歌は念仏同朋者のあり方を言っていると思うのですが、二歌以降は阿弥陀様のはたらきを言っていると思いきや、八・十歌では自身の念仏生活について批判をしているようにも捉えられます。
十一歌以降はさらに内容が難しくなり、「んんっ?」と感じるところもあります。例えば十四歌の『南無阿弥陀仏の月きよし』です。南無阿弥陀仏を月に例えるのは初めてみました。
十三・十八・十九歌も難解ですし、十七歌は現世利益和讃ぽいですし十二歌は現当二世の利益っぽいです。
これは気軽に歌える内容ではない気がします。
困ったこと。歌い方が不明。
歌の数え方が「○トセ」となっていたので安易に「ひとつとせ節」でいいのだろうと思っていました。
ひとつとせ節とは明治時代にでてきた節回しで、有名なものでは明治終わりごろの「横須賀数え歌」があります。ただこれに合わせて歌おうにも文字数が今回の念仏数え歌の方が多く、リズムに合いませんでした。
そこで今度は正月わらべ歌の「ひとつとや」でも合わせたのですが、さらにリズムが合いませんでした。
この「ひとつとせ」と「ひとつとや」についてはこのサイトが詳しいです。
URL:http://home.catv.ne.jp/ff/kodama/newpage9.html
ここの解説を引用すると、
「ひとつとや」の文句は、前半が 5-7-5-5、後半が 7-5-5 という構成ですネ。 アンダーラインした部分は前半・後半ともほゝ同じ旋律の繰り返しです。
一方 「ひとつとせ」の方は、前半 5-7-5、後半 7-5-5 と中間に繰り返しの無いのが基本形であり、「コノ」とか「テモ」で始まる最後の繰り返しで旋律が収まります。
とあり、上の念仏数え歌は前半7-5-7-5、後半7-5となっており、どちらにも合わないようになっていると感じます。
この念仏数え歌が七五調であるならば、本願寺派の念仏和讃の読み方で何とかなりそうな気がしたのですが、あれは75757575なので75が一つ多いです。
ただ無理やり歌うのであれば、上の念仏数え歌の最後の75の個所を2度読めばよさそうです。
75調で歌うのであれば、童謡のどんぐりころころやウサギとカメ、もしくは荒城の月でもいけそうです。(合いませんでしたが歌えないことはないです。)
個人的には守屋浩さん作曲の「大学かぞえうた」に合わせるのが一番歌いやすかったです。
ただ守屋さんは昭和生まれの存命中の方ですから、この数え歌当時のリズムではないことがあきらかです。
さいごに。作者不詳の数え歌。
内容が難しく気軽に作れる歌ではないように感じます。ですのでお坊さんが作ったのだとは思うのですが。
印刷物なので、広く配布したのかもしれませんが、地元でこの歌を知っている人はいるのだろうか。
当時はいろんな講が活発だったのか、この念仏行者数え歌が出てきたそばに、川西和讃講員と書かれた紙がありこの人たちが作ったのかもしれないが不明である。
これが何かの替え歌であるのならば、原曲を見てみたいものですが、なかなかオリジナル性の高そうな文章に感じます。
誰かこの数え歌を知っている人がいればいいのですが。
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【追記】14トセの歌の意味を考察してみた。
14トセは『四苦や八苦で悩めるむねに御慈悲浮べば有難や 南無阿弥陀仏の月きよし』とうたわれ、後半部分は浄土真宗では馴染みのない表現となっています。
浄土真宗では南無阿弥陀仏を月と表現しないので。
そこでこの歌のみについて考察してみました。