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浄土真宗(南無阿弥陀仏)と月の関係を考えてみた(調べてみた)。

投稿日:2017年6月25日 更新日:

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

先日自坊で、私が住んでいる香川県金倉川西地区でひょっとしたら実際にうたわれていたかもしれない念仏行者数え歌が見つかりました。(印刷物であり、総合的にみて明治終わり~大正ころの歌だと思います)

リズムもテンポもわからないので歌いづらいのですが、それ以上に浄土真宗のお坊さんである私でもわからない表現で歌われている箇所がいくらかあります。

そのひとつが14トセの『四苦や八苦で悩めるむねに御慈悲浮べば有難や 南無阿弥陀仏の月きよし』というところです。

今回はこの歌の後半「南無阿弥陀仏の月きよし」に注目して考えてみました。


南無阿弥陀仏と月の関係。

私が困ったのは月という表現です。

浄土真宗で有名な偈文に親鸞聖人が書かれた御正信偈(正信念仏偈)がありますね。

この中で阿弥陀仏の光明のはたらきとして12種類の光が挙げられています。(無量光・無辺光・無礙光・無対光・炎王光・清浄光・歓喜光・智慧光・不断光・難思光・無称光・超日月光)

この12の光の中で最後に超日月光とでてきます。

私が知っている阿弥陀仏と月の関係はこの表現くらいで、超日月光とは阿弥陀仏の智慧の光明が日月の光を超えた光、すなわち太陽の光よりも月の光よりも勝れているのだとたとえられているのです。(太陽は昼間を照らし夜は照らさず、月は昼を照らさず夜を照らすため、光の働きに偏りがあるから)

ですから私は「弥陀の光明>太陽・月」と捉えていたのです。

しかしこの歌は「南無阿弥陀仏=月」と表現しているようにも見えます。

実はこの歌は法然上人(浄土宗)と関係があるのではないか。

浄土真宗の知識だけではこの歌の解釈が難しそうであり、浄土真宗の聖典には月との関係を示すものを私は見つけられませんでした。

そこで親鸞聖人の恩人である浄土宗の開祖法然上人ついて調べてみました。

すると浄土宗の宗紋は「月影杏葉」であり、宗歌は「月かげ」でした。(これはかなり阿弥陀仏と月の関係に近づいたと感じました。)

浄土宗宗歌『月かげのいたらぬさとはなけれどもながむる人の心にぞすむ』、詞書に「光明遍照十方世界といえる心を」。

この歌の説明は浄土宗公式サイトから引用します。

阿弥陀仏の光明は全世界をあまねく照らし、どんな人をも救い取るという慈悲の心を歌われたものです。
しかし、月が照り映えていても見ようとしない人には、阿弥陀仏の光明にも気がつきません。逆に月のない夜でも心に月を思い浮かべて月光を宿すこともできるのです。
信仰の世界では、仏心を受け入れる心が大切ですが、この歌は、月の光を眺める人の心としてそれをとらえ、お念仏をとなえるわたしたちを守りおさめとる阿弥陀仏の大慈悲を暗示した名歌といえましょう。

浄土宗「宗紋・宗歌について 」より

月かげの歌を詠んでみて弥陀と月について再度考えてみた。

前半『四苦や八苦で悩めるむねに御慈悲浮べば有難や』を思いっきり意訳すると、「生まれ老い病み死んでいく苦しみ、また愛しい人との別れ・嫌いなものに向き合うこと・求めても満足しないこと・思い通りにならない苦しみの中で、ふと阿弥陀仏のお慈悲(知恵の光明)が私のこころに届けられていたことに気が付くなら非常に有難いことだ。」になるだろう。

それをもって後半の『南無阿弥陀仏の月きよし』の意味を考えてみた。

堪忍土とも言われる私たちの人生は様々な苦しみに溢れている。

生老病死は最たるもので生まれたものは必ず死んでいかなければならない。しかしそのような悩み・苦しみに生きている人は何を頼りに(宗に)するのだろうか。

その迷いの中に生きている人は、阿弥陀仏のお慈悲のこころに気が付くだろうか。

阿弥陀仏の救いの光(月の光)はどのような人にもあまねく平等に降り注ぎ照らしているのですが、その光を見ようとしない人には願いが届けられていても気が付かないものである。

悩み苦しんでいるときに阿弥陀仏の御慈悲に気が付く人は、自ずと仏様の願いにであうことができる。(どんなにこの私に月の光が注がれていても月を見ようとしない人には月の光に気が付かないのだから。)

仏様の願いに気が付きありがたいと受けとれる人には、常に仏様の御慈悲が届いているのだけれども、さらに仏様のこころが身近に感じられるのではないだろうか。

この私を救い導いてくださる「南無阿弥陀仏」の感謝の念仏は美しく清浄である。


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さいごに。

頑張って南無阿弥陀仏の月きよしについて考察してみた。

浄土真宗では月という表現をしないので、はじめ阿弥陀仏と月との関係が理解できなかった。

今回の解釈が正しいかわからないがもしも正しいのであれば、今回見つけた念仏行者の数え歌は浄土真宗だけでなく浄土宗の面からも捉えていかなければならないのかもしれない。

実は13トセには『サーと夕立はれ渡り涼しいお月さんがまん円と 一念帰命がここの味ぢ』とあり、今回の歌よりも難解です。

まん円と言われたら法然上人の大師号「円光大師」しか思い浮かびません。

前半と後半のつながりも難しく、前半の夕立が何を意味し、お月さんが涼しいとは何、ここの味とはどこを指しているのかも不明です。

昔の人はこんなに難しい歌を歌っていたのだろうか。

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