蓮台の蓮が二つに分かれている仏像は何を表現するのか

真宗僧侶のかっけいです。

先日、静岡県伊豆の国市の正蓮寺・京都府宇治市の万福寺にて「双頭蓮(そうとうれん)」の蕾が見つかったニュースがありました。

双頭蓮とは1本の茎に二つの花を咲かせる非常に珍しい状態の蓮(ハス)のことです。特定の品種・特定の株に出てくるのではなく、双頭蓮が咲いた株から再び二つの花を咲かせるとは限りません。

蓮は仏教において尊い花ですが、さらに非常に貴重な状態がこの双頭蓮なのです。それで今回の話。

仏像の台座である蓮台は通常一つだが、なぜか二つに分かれていることがある。これはなぜだろうか

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仏像の足元にはなぜ蓮がある

仏像の足元には蓮をかたどった台があります。この台のことを蓮台(れんだい)・蓮華台(れんげだい)・蓮華座(れんげざ)と呼びます。

蓮は仏教においては非常に重要な花です。仏法を表す花でもあります。おそらくインドにもたくさんの種類の美しい花・豪華な花・厳かな花があったでしょうが、仏教ではそれらの花のなかで、蓮の華がもっとも気高く尊いとされてきたのです。

その理由を親鸞聖人は維摩経から「卑湿の淤泥(おでい)に、いまし蓮華を生ず」と引用しました。

蓮華の花は誰もが心地よく過ごせるような澄んだ美しい中に咲かせる花ではなく、むしろ底を見通すことができないドロドロとよどんだ泥の中にこそ水面から美しく咲かせるのです。

仏様にふさわしい花はただ美しいのではなく、悩みや苦しみの中におぼれている泥田の中に生きている人間に対して、救わずにおれないという仏心を起こされたからこその蓮だったのです。

[踏割蓮華座]蓮台の蓮には分かれている種類もある

さて本題です。皆様も家に仏像仏画があれば仏様の足元を確認してみてください。

仏像の台座。蓮台・蓮華座きっと上の写真のような台座が一般的なのではないでしょうか。この形状の台座を蓮華の花をかたどっていることから「蓮台」や「蓮華座」と呼びます。如来や菩薩の座像や立像がこの上に安置されます。

しかしこの台座以外の種類もあります。

例えば自坊本堂に安置しています阿弥陀如来は次のような台座です。

two lotus seat under Buddha's statue

仏像足下に各1輪ずつの蓮華座

一輪の大きな蓮に乗っているのではなく、両足それぞれに蓮台があります。

このような蓮台のことを踏割(ふみわり)蓮台・踏割蓮華座と呼ばれています。

内仏に飾っている阿弥陀如来の踏み割り蓮台自坊のお内仏に安置している阿弥陀仏像も同じように足下が二つの蓮に分かれています。

なぜ足元の蓮が二つに分かれているのだろうか

正確な理由は私もよく分かりません。ただ2つから推測することができます。

  • 一つは冒頭に紹介した「双頭蓮」。
  • もう一つは「来迎図」です。

双頭の蓮は非常に貴重であるから

通常、蓮の葉は一茎に1つの花を咲かせます。

しかし稀に一つの茎から2つの蕾、2つの花を咲かせることもあります。それは100年に一度とも、1万株に一つとも言われます。それぐらい貴重な状態なのです。

日本蓮学会のページから次の言葉を引用します。

『日本書記』巻二三、二四には、双頭蓮の記述が残っている、とあります。

皇明帝七年(535)秋七月。是の月に瑞蓮、剣池に生いたり、一茎に二花の花あり。
皇極天皇三年六月(644)剣ノ池の中に、一つの茎に二つの蕚ある者あり、富浦大臣、妄に推していわく、「これ蘇我臣の栄むとする瑞(みつ)なり」といふ、即ち金の墨を以て書きて、大法興寺の丈六の仏に献る。

日本蓮学会『双頭蓮』より引用

今の時代も蓮の花を仏花として仏様にお飾りします。それと同じように日本書紀でも一茎に二つのは花をつけた蓮を仏様に献花したことが記されています。

踏割蓮台の仏は躍動感あふれるから

私の印象として踏み割り蓮台にのるのは菩薩が多いと思います。如来ならば阿弥陀仏です。

踏み割り蓮台は両足左右に踏みわけることから動きを感じる印象を与えてくれます。

浄土真宗では臨終時の来迎(らいごう)を問題にしていないので来迎図を用いないのですが、浄土宗では来迎図を用いることがあります。

例えばこちらのサイトの阿弥陀三尊の来迎図を見てください。「金沢市有形文化財 絹本著色阿弥陀三尊来迎図

阿弥陀仏も脇侍の観音菩薩も勢至菩薩もそれぞれの足に蓮華があります。非常に動きを感じられますよね。またこの紹介した以外の来迎図でも似たようなデザインだと思います。

そもそも古い時代の仏様は座って表現されていました。それが時代がたつにつれ徐々に立ち姿の仏様に変化しています。仏さまの法から向かってきている姿をより感じやすくしているのだと思います。

それで言いますと、浄土真宗のご本尊である阿弥陀仏の立像は左足がわずかに前に出ており、体勢もやや前に倒れています。

仏心が煩悩だらけの泥田の中に咲く尊い花のように、今まさに仏さまの方から私たちに気が付いてくれよと働きかけてくださっているのが、この動きを感じる踏み割り蓮台の効果なのではないだろうか。


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さいごに。仏の姿には願いが込められている

今回の仏様の足元にある蓮の台は、双頭蓮のニュースを聞いて書くことにしました。

それこそ私たちは普段何気なくお寺にお参りをして仏様の姿を見ます。しかし現実にはただ目にしているだけで、何を表しているのかを感じようとはしません。

仏像や仏画は仏様のはたらきを私たち人間が感じられるように工夫して作られています。時代と共に形が違うのはそのためです。

仏様とは悩み苦しみの中に生きる人間を救う願いを誓っています。ただたんに仏様にお参りするのではなく、このような機会があればぜひこの仏様は何を伝えようとしているのだろうと尋ねてみてください。

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