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第249回目のラジオ配信。「大師号」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
これは香川県丸亀市にいる浄土真宗のお坊さん、私かっけいの音声配信です。
今回は見真大師・大師号についてのお話をしていきます。
お仏壇にお参りする時やお坊さんが家に来たとき、皆さんはお経本を開きますよね。
ですが、お経本を最初の方から開くことはあまりなくて、お経を読むページだけ開いたりしますが、皆さんがお持ちのお経本には最初のページから大切なことが書かれています。
今お経本をお持ちの方はぜひ開いて見てほしいのですが、「真宗の教章」というのがまず最初に書かれています。
これは浄土真宗がどんな仏教宗派なのかということが書かれたものです
それを見ると、最初に宗旨:浄土真宗とありますね。
香川県ではいまだに一向宗という人もいますが、正しくは浄土真宗です。
それで次に宗祖とあります。
宗祖というのはこの浄土真宗をお開きになった人物のことです。
親鸞聖人とありますね。
でもよく見てください。親鸞聖人の前に、見真大師とありますよね。
見真大師親鸞聖人が、私のとこの浄土真宗の興正派の宗祖です。
見真大師というのは大師号なんです。大師のお名前のことです。
私が住んでいる香川県では一般的に「大師」と言われたら、空海さんのこと。弘法大師空海さんのことを多くの人がイメージします。それはここが空海さんが生まれたところだからです。
空海さんは弘法大師という大師号をもらっています。
親鸞聖人も見真大師という大師号をいただいています。
この大師号というのは、天皇からこの文化のことや宗教のことや日本に貢献、影響を与えた人に対して送っていただく、天皇からいただくおくり名「諡号」のことを大師号といいます。
親鸞聖人も天皇から大師号を頂きました。
それでは誰から頂いたと思いますか?
それは明治天皇からです。
親鸞聖人は明治時代の人じゃないですよね。不思議ですよね。
今からおよそ750年前の鎌倉時代になくなった人物なのに、大師号をいただいたのは明治です。
これはなぜなんでしょうか?
理由はですね。親鸞聖人ってどんな人なのか、そこまで具体的に分かっていなかったんですね。
それまでは、親鸞聖人という人間のいろんな書物やいろんな逸話や、いろんな遺物はたくさん残っていたんですが、親鸞聖人という人間が、本当に実在の人間だったのか、またそれがたった1人の人間だったのかという証明が不十分だったわけです。
800年ほど昔の人間ですし、後の時代に与えた影響もとても大きいので、本当に実在の人間かと疑う人が出てくるのも仕方のないことです。
それが親鸞さんの奥さん娘さんの覚信尼や恵信尼の書かれたお手紙がいろいろ出てきたりして、いろんな物的証拠がそろってきて、親鸞聖人が実在していてそれも1人の人間であるということがはっきりしたわけです。
それで明治の初めに、明治天皇に親鸞聖人も大師号をいただけませんかとお願いして認められて、明治天皇から明治9年の11月28日に、親鸞聖人のご命日に「見真大師」という名が送られたわけです。
なので、浄土真宗のお寺の本堂に行きますと、「見真」と書かれた大きな額があったりしますよね。
一般のご家庭のお仏壇にも見真の額が掲げられてたりしますよね。
これが親鸞さんの大師号です。
なので浄土真宗で、パッと見真と聞けば、それは親鸞さんのことです。
ちなみに見真は「真を見る」という文字ですよね。
なかなか浄土真宗の教えにのっとった、親鸞聖人を示すふさわしいお名前のように私自身は感じます。
この見る・真の見真の名前をいただいたころというのは、浄土真宗の宗旨の名前がまだはっきり定まっていない時でした。
それまで浄土真宗と広く名のりたかったわけですが、いろんな事情があってそれもかなわなかったんですが、明治5年の太政官布告より晴れて「真宗」という浄土真宗の名前を公称することが認められました。
つまり真宗や見真というのは明治天皇によって、公に認められた名前というわけです。
しかしそれでも見真という名前はなかなかいい言葉ですよね。
実はですね。大師号というのは、天皇が授ける諡号なんですが、天皇が自主的に授けているわけではないんですね。
諡号というのは諡号を下さいとお願いして、それで認められていただくもんなんですね。意外と知られていないことかもしれませんが。
大師号をいただいているのは歴史上25人います。
その中で、香川県では5人が大師号を持っていますが、香川の人の中で一番有名な方は、弘法大師空海さんです。
この空海さんも、空海さんが亡くなった後で、時の天皇に大師号を願い出ていただいているわけです。
なので、仏教宗派によっては宗祖でも大師号を持っていない人はいますが、それは能力が劣っていたり影響力がなかったというのではなくて、単に天皇・宮内庁に大師号をくださいという届け出をしていないだけだったりするわけです。
それでその願い出の時に、こういった名前がふさわしいと思いますよという名前案も合わせて候補として提出するらしいです。
今から1200年ほど昔、日本に仏教の教えを広めるのに大きく貢献した空海さんには弘法の大師号、最澄さんには伝教の大師号があるのは、やはり関係者がいろいろ考えてこの名前がふさわしいと思いますよと付けた名前なんだと思います。
親鸞さんの見真という名前はすばらしいと個人的には思います。
この見真の言葉は浄土真宗が一番大切にしているお経文、仏説無量寿経の「慧眼見真能度彼岸」の言葉から来ているらしいです。
智慧の眼によって、正しいことが見え、仏になるということですね。
浄土真宗にふさわしい言葉だと思います。
ただ一方で、最近では西と東の本願寺さん、本願寺派や大谷派さんでは、見真大師のお名前は使わないという方向に舵を切るようになっています。
一般のご家庭では見真の大師号の額を外すように強制はされていなくても、本願寺派や大谷派さんのお寺では大師号が外されていることもあります。
考え方はそれぞれの宗派によってあるでしょうから、ここではそれについては触れませんが、自分たちから、大師号のお願いをしておきながら、自分たちの都合で外すのは端から見たら手前勝手な感じをするのもあるかもしれませんね。
ただ時代によって考え方は変化するので、大師号を外す
、見真大師といわないという宗派も出てくるのもあるでしょう。
もしお持ちでしたら、お手元のお経本を見てください。私のところの宗派、真宗興正派では今も宗祖は見真大師親鸞聖人と書いていますので、興正派の本山やその末寺では見真の額がお寺に掲げられたりしています。
一方で、本願寺派さんや大谷派さんではお経本のところに、宗祖親鸞聖人とだけ書かれているので、見真というのはこれから何十年、しばらくの間は見なくなるかもしれませんね。
浄土真宗のお寺に行ったら、見真という額があるのか、お経の本に見真大師とあるのか、チェックしてみたら面白いかもしれませんね。
個人的にはせっかく「見真」というすばらしいお名前をいただいているのだから、これまで通り使用してもいいような気は私はするんですけどね。
それに、親鸞聖人にまつわるご旧跡、例えば、お亡くなりになった場所には見真大師遷化旧跡といったように見真大師と刻まれた石がたっていたりするので、見真という言葉をいまさら使わないというのは、ややこしいなあと思います。
それと最後にもう一つ余談をいいますと、浄土真宗には代表的な宗派が10あります。
この中で、一番古くからお寺がたっているのは滋賀県にある木辺派の本山錦織寺です。
私が見たときは、このお寺では、見真の額ではなく別の額が掲げられていました。
「天神護法錦織之寺」の額です。
これは今から800年前に天皇から授かった名前で、錦織寺の名前の由来になった言葉ですね。
大師号のかかっているお寺、額のないお寺、また掲げられている言葉がそれぞれ違っていたりと、同じ浄土真宗でもそれぞれに見どころがあると思います。
浄土真宗以外のお寺でもお堂の正面に額が掲げられていたりします。
お寺参りをするときは、仏さまだけでなく、そういうところも見てそのお寺や宗派のことに触れてみてはどうでしょうか。
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