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お坊さんは他人の不幸で生きているのか?どう思いますか。

投稿日:2017年5月16日 更新日:

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

お坊さん(僧侶)という職業は見方によってはあまりいいイメージを持たれていないように思われます。(僧侶が職業と呼べるかどうかはここでは取り上げません)

なぜなら、誰かの「死」があってはじめて必要とされる人だと思われているからでしょう。

人の不幸は蜜の味……とも言われますが、本当にお坊さんってそんな人間でしょうか。

お坊さんの立場からこの問いに答えていきます。


「不幸=死」なのか。

例えば身内に死人が出た時には「身内に不幸がありました」と表現しますね。

葬儀が続けば、「不幸が続く」とも言いますね。

不幸と言う言葉は決して死や葬儀にのみ使われるのではなく、重い病気や急な病気などでも使われるのですが、多くの場合は「不幸=死」と捉えられている印象です。

しかし仏教では不幸=死とは考えていません。

仏教では死は誰にでも必ず訪れるものだと説いています。

生きている者に死が訪れるのは真理であり、避けられることのできない事実です。

死という悲しい別れを経験することで、生きている私たちにいのちを気づかさしていただく有り難いご縁だと僧侶は考えています。

これは法事でも同じことが言えます。

特に真宗では故人の冥福を祈りません。故人の法事という仏縁をいただき、私たちに仏法を出あわしていただいているのです。

ですので考え方を変えれば、死=不幸ではなく、死=仏縁になるのです。

人の不幸はお金になるのか。

結論から言えば、世の中は不幸によってもお金が行き来しています。

人の不幸によって甘い蜜を吸うとは表現が過ぎますが、人の不幸によってさまざまなビジネスが働いています。

例えば有名なのは葬儀業ですね。(ちなみに僧侶は葬儀業はしていませんよ。仏事の執行者が導師と呼ばれるお坊さんなのであって、依頼があってお勤めするのです。)

葬儀屋さんと契約している花屋・仏壇屋・石屋・料理屋・仕出し屋・タクシー会社・宿泊会社・お礼品の会社などなどが葬儀屋を中心とした葬儀業に関わってきますね。最近では都会の方ではお坊さんが葬儀会社と契約しているとも聞きます。

どうしても現代はお金で何でも解決をしようとする時代なので、それに応じるように面倒な事や無関心な事の筆頭に挙がる葬儀と言うのが、目に付いてしまうように思います。(葬儀費用は高いですしね。それに融通が利かない。)

なぜ不幸があるとお坊さんが儲けているように見えてしまうのか。

なぜでしょうね。わかりません。

葬儀費用が高いことだけでなく、お坊さんへのお布施も高額だと言うのが原因だと思います。他にも故人の法事をすることで定期的にお坊さんにお布施を預けていることも原因でしょう。

お坊さんとは身内の死があってからお付き合いするものだという印象がきっとあり、人の死によってお金を得ていると思われているからでしょう。

しかしお坊さんとのお付き合いとは本当は死というのがなくてもできるものです。

最近ではお寺への相談事が減りお寺が頼りにされている時代ではなくなってきていますが、本来なら悩みや不安の相談にはお坊さんを頼ってもいいはずです。

他にもよくあることとして、仏壇は家に不幸があってから用意するものだという考えです。本当は家を建てるときに家庭の中心にお仏壇を構えるのですが、家族に不幸がないと用意しないのが実情です。

どうしても僧侶に関わることが何でも死に関係しているようで、「不幸=死=僧侶」というイメージになっているのではないだろうか。(本当は違いますよ。)

死で儲けているとは考え方の違いか。

死で誰かが儲けていると考えてしまうのは、お金の動きだけを見てしまっているからそう感じているのではないでしょうか。

どんなことをしてもお金が発生せずに仕事をしてくれる職業はありません。またお坊さんには財施という金銭による布施をしています。

例えば葬儀業をしている人を、他人の不幸によって儲けていると考えるのか、大切な身内との別れを本当は親族や地域の人が共同でしなくてはならないのお金によってサポートしてくれているのかと考えられるのかということです。

死だけでなく病でも言えますね。

病気にかかれば医者に行きますね。人の不幸によって儲けていると考えるのか、心身の不調を治すために努力してくれているのかと考えられるのか。

お坊さんへの布施も似ていますね。

人の不幸によって儲けていると考えるのか、悩みや苦しみ・悲しみからどのように幸せに転じるのかを仏法を説いていると考えられるのか。(布施行と言うのは法施と財施のやりとりですから一方向に動くことはありません。)

 

さいごに。お坊さんは他人の不幸で生きているのか

タイトルに戻りましょうか。

『お坊さんは他人の不幸で生きているのか?』

これは物事の捉え方によって違ってきます。

不幸だと捉えられている死・葬儀の時だけお坊さんに頼り、生きている時にお坊さんや仏教を頼っていない人には、お坊さんとは他人の不幸につけこんでお金をぼったくる人だと考えてしまうでしょう。

そうではなく生前からお坊さんとお付き合いをし、仏教にも出会い、残された遺族がお坊さんと共に故人を偲ぶ中で仏法に出あっていると考えられるのであれば、お坊さんが他人の不幸で生きているとは考えないでしょう。

そもそも仏教では死とは不幸や穢れとは考えていません。先にお浄土に向かわれた先人ですし、私たちの歩む道を示してくださった人です。

禅問答みたいな答えになるかもしれませんが、お坊さんとは他人の不幸によって生きているのではなく、御門信徒の支えによって生かされているのです。

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