こんばんは。 僧侶のかっけいです。
お坊さんの私は時々何気ない質問をされることがあります。
「お坊さんはお肉を食べていいの?」てね。
この問いは暗に「お坊さんはお肉を食べたらいけないんじゃないの?」・「仏教では禁止されてるんじゃないの?」的なことを言っているんじゃないかな。
今回は仏教・お坊さんと肉食について書いていきます。
どうして僧侶が肉食したらいけないと思われているのだろうか。
私にはよくわからないのだが、どういうわけかお坊さんがお肉を食べることに対して違和感を覚える人がいるようです。
なんなら法事の後の仕出し料理に入っている、お肉やハムとかを目の前で食べてあげましょうか。
仏教は肉食を禁止していると思っているのでしょうか。
そんなことはないと思います。
もちろん徒に生き物を殺し、不必要にお肉を食べることはおかしな話です。
「お坊さんはお肉を食べる」ということに疑問を抱く人は、ひょっとすると「お坊さんはお肉を食べてはいけない」・「お坊さんは聖であれ」という理想や願望があるのではないだろうか。
お坊さんの食事は精進料理?
寺院が運営している宿泊所に泊まりますと、質素な料理が振舞われますよね。
魚介を含めた動物性の食材を避けた(控えた)料理のことですね。
そういった食事を精進料理(しょうじんりょうり)と言います。この精進料理がお坊さんの食事であり、肉食を禁止していると思われる原因かもしれません。
しかし精進料理はいったいいつの時代から食べられてきたのでしょうか。
仏教の開祖であるお釈迦様の時代には無かったとされています。
お釈迦さまは聖で尊いお方なんだから、まさか生き物のお肉を食べはしないだろうとイメージする人もいるやもしれませんが、お釈迦様は肉食をされていたのではないかとされています。(実際に見た人はいないから何とも言えないですがね)
お釈迦様の時代はどんな食事。
例えばお釈迦さまの時代の僧侶は基本午前中のみ食事をしていました。
しかしお坊さんは食べ物を生産していないので食事を用意することができないですよね。
ですので町に出向き托鉢(たくはつ)をして、一般生活をしている人から食事を分けいただいていたとされます。
当然、穀物や葉や根といった植物だけでなく、卵や乳といいた乳製品、魚や豚といったお肉を食べることもあったでしょう。
どんな食べ物であれ、他のいのちの恵みをたべるのですから感謝をもって食すのが当時の仏教の姿です。(午前中の食事で必要な量だけ食べれば、残りは他の人や動物に分け与えたともいわれています。)
またお釈迦さまは80年の生涯のうち、様々なところに布教に行き、また仏法を説くことをお願いされています。
それは一般民衆だけでなく、長者や王族に対してもです。
その際には当然食事が振舞われます。お肉を提供されることもあったでしょう。
いずれにしてもお釈迦様の時代の僧侶の食事は、供えられた食事は何でもいただいていたとされます。
お肉を食べない考えが出てきたのは中国からとされる。
仏教には主に、中国方面に伝わった北伝仏教と、東南アジア方面に伝わった南伝仏教があります。
戒律というのは不思議なもので、どんどんどんどん厳しくなってくるんですね。
またお坊さん自身も農耕生産をするようになり、自分で料理する機会も増えてきたようです。
生き物のいのちを奪わない考え方や戒律が定着していく中で、お坊さんはお肉を食べないようにしようという形になっていたとされます。
お坊さんもお肉(生き物のいのち)を食べますよ。
今の時代のお坊さんがお肉を食べることを人目を気にしていないのは、明治時代の法律で「僧侶は肉食OK」と認めてくれたからですね。
しかしそれ以前のお坊さんが本当にお肉を食べていなかったのでしょうかね。
お坊さんは聖者じゃないですよね。
お坊さんは仏に帰依しているただの人間です。
人間が生きていく中、生きていこうとするということは、自ずと他のいのちの犠牲の上にこの自分のいのちが生かされて成り立っています。
お肉を食べていけない・生き物のいのちを食べてはいけないと禁止するのではなく、有難い・尊いいのちを食しなければ生きていけないこの私だと気が付いていくことが仏教ではないだろうか。
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さいごに。肉食と仏教とお坊さん。
- 「肉を食べないのが仏教だ」
- 「肉食するのは仏教ではない」
- 「お坊さんは肉食を禁じられている」
というのは、非常に極端なものの見方ではないでしょうか。
もちろん理想だけなら他の生き物のいのちを奪わない・食べない生き方ができればいいでしょう。
しかし仮に私たちは口に他の生き物の肉を入れなくても、生きている以上、何かしらの生き物に対して命を奪い迷惑をかけているはずです。
それなのに肉食という生きていくために必要な食事という一点だけに注目して話をするのはいかがなものだろうか。
「お肉を食べるOR食べない」とあれこれ拘るのではなく、お肉を食べたいOR絶対食べないという一つの物の見方に固執し偏るのではなく、バランスを持った生き方をし、『いただきます』・『ご馳走様でした』といのちの恵みに感謝することが大切なのではないだろうか。