こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
皆さんはお坊さん(僧侶)に対してどのようなイメージを持っていますか。
年忌法事や祥月命日や葬儀の時だけ招き、お経を読んでもらうだけだと思っている人もいるのではないでしょうか。
もっと言えば、「お坊さんって楽な職業だなあ」、「お坊さんってお経だけ読めたらいいんじゃないのかな」なんて思っている人もいるんじゃないかな。
世の中多くの職業では技術を学び資格を取得したりして、会社に勤めたり、会社を起こしたりと並々ならぬ努力が必要です。
一方で、お坊さんって衣に着替えてお経が読めるだけで、お坊さんとしてのつとめが最低限できているので、楽な仕事と思われるのかもしれません。
でもね、実はお坊さんも勉強をし続けているんですよ。
今回はお坊さんと勉強についてのお話です。
お坊さんって何。なるの簡単なの。
お坊さん(僧侶)になるには各宗派の本山の試験に受かり許可をもらわなければなりません。
(僧侶の資格は国家資格と違い、その宗派の本山から認められる必要がある。)
試験の難易度は各仏教宗派によって異なり、私が僧籍を得ている真宗興正派では比較的簡単に試験(得度)に受かると思います。(真宗系は比較的、僧侶になりやすいでしょう)
一方で真言系や天台系などは修行も重視するので長い研修期間を要し、僧侶になるのは楽ではないそうです。
また僧侶になる試験というのは、お坊さんの子供だけが受けられるわけではないですよ。どなたでも受けられますよ。
ですのでお坊さんになるのは私の経験から言えば、それほど難しいことではなく、また一度僧侶の籍を取得すれば、以後その僧籍を置いた宗派の僧侶としていられます。つまりはお坊さんとしての活動ができるということです。
お坊さんの活動とは何。経を読むだけ?
お坊さんってお寺さんとも呼びますよね。
お坊さんとはお寺に所属しているのが基本なのです。(僧籍を取得したお坊さんはどこかのお寺のお坊さん(衆徒)にならなければならない)(もちろん所属しているだけで、お坊さんの活動をせずにサラリーマンとして働いている人もいますよ。そうであっても僧侶はどこかのお寺に属しているのが基本です。お寺がないお坊さんは基本あり得ません)
ですのでお坊さん(お寺さん)とは所属しているお寺(自坊)を護持していく仕事がありますし、また僧籍を登録している本山のためにも勤めなけれなりません。
当然ですが、自坊を頼りにしている檀信徒への勤めもしなければなりません。
ですので、ただ檀信徒の招きに応じて経典を読むだけでなく、自坊の美観清掃であったり護持運営も大切なお坊さんの勤めとなります。
これらのお坊さんの活動以外にお坊さんには非常な大切なつとめがあります。
それは仏教を伝えること、教えを説くということです。
特に浄土真宗では聴聞という言葉を大切にしています。仏法を聞いていくことです。
祥月命日や法事や葬儀のお勤めの最後では振り向いて蓮如上人が書かれた御勧章を拝読するときもありますし、年忌法事や通夜などのお参りの人が多い時には導師が法話をするときもあります。
お寺で永代経法要や報恩講法要が催される時には本山布教使をお呼びして、布教に長けた人に仏法を説いていただくこともあります。
教えを説くには学ばなければならない。
さてお坊さんは経典や偈文を読むこと(読誦)以外に、仏法を説くこと(布教)が大切なつとめになります。
経典を読むというの実際それほど難しいことではありません(振り仮名が書かれていることも多いですしね)。
ただ偈文を読むのは難しかったりします。声の上げ下げであったりリズムやテンポは学ばないと唱えることは難しいからです。
また人前で教えを説くというのも難しいことです。
お寺の子供が僧侶になるというのは幼いころより身近に仏教に出あっており、自ずと荘厳作法であったり仏教について身についていることがあるのですが、いざそのことを人に伝えるとなると難しくなります。
仏教やお坊さんやお寺といった宗教事に普段接していない人に仏教の教えを説明するの大変で、なるべくわかりやすく説明する力が求められます。
また人に説明するということは自分自身も深く知っておかなければなりません。
ですので僧侶は仏教について学ばなければならないのです。
お坊さんには勉強会(研修会)というのがある。
よくお寺の法要などに行きますと本堂や掲示板に「○月□日 ~~講演会」といった形で一般の方向けに仏教講演会があることを掲示されていますね。
このような講演会というのは専門的な仏教の知識がなくてもわかりやすく仏教について説明されていたり、終活や葬儀や健康に関する身近な話題をテーマに挙げているので非常に参加しやすいです。
一方で、お坊さんの場合は勉強会や研修会という名目になります。(よりグレードアップしたのを安居(あんご)といったりもします)
勉強会や研修会とは別院で開かれたり各末寺で開かれたりします。ここでは講演会よりもより専門的な知識を学ぶことができるのです。
例えば最近私が参加した勉強会では、「『法事讃』に学ぶ『阿弥陀経』」という講義でした。
真宗の七高僧の一人善導大師が書かれた法事讃の視点から阿弥陀経を見ていこうという内容でした。
他にも「神道と仏教のあいだ」という講義では、神道のこと、神道と仏教の関係など、そして最終的には真宗と神祇について学びました。
広告 - Sponsored Links
さいごに。僧侶が勉強することは重要。
お坊さんが勉強会などで仏教を学ぶのは、仏教の教えをより深く知り、門信徒などに教えをわかりやすく伝えられるようになるためで大切なことです。
もちろんそれは悩みや疑問の相談を受けた時に、さりげなく仏教の教えを織り交ぜていく技術も必要でしょう。
またお坊さんにも知識や知見が不足していることもあります。
例えば浄土真宗では日本の神道との付き合い方に神祇不拝の立場が有名だったりしますね。(日本の神様は積極的に拝む対象ではないということ)
しかし親鸞聖人の神祇観を学べば、神祇不拝のほかに、神祇護念や神祇不軽侮の立場があったことがわかります。
これらの神祇との付き合い方は真宗のお坊さんも勉強をしなければうっかりしてしまうことであり、勉強を疎かにして神祇不拝の立場ばかりを強調して布教するのは危険だと思われます。
お坊さんとはお寺を維持するだけでなく、経典や偈文を読誦し、決められた荘厳作法を正しく行い、仏法をわかりやすく説くことが求められます。
当然お寺さんもこれらお坊さんの役目を果たすために努力をしますし、悩み苦労もあります。
しかし勉強をし続けなければお坊さんとしてのつとめが不十分になってしまいますので、お坊さんは常に勉強会や研修会に出席し学び続けなければならないのです。(難しい話をするために学ぶのではなく、お坊さんが正しい知見知識をもってわかりやすくお話するためですよ)(知識をひけらかすために学ぶのではなく、以前に分からなかったことや自身が深く知りえていなかったことを納得すること。正しく仏教を学ぶことは自身の気づきにも役立つでしょう)