お寺では年に数回、お米の布施「御仏飯米袋」をお願いしています

こんばんは。 香川の真宗僧侶のかっけいです。

香川県の田舎にある自坊円龍寺では今の時代でも、「御仏飯米袋(おぶっぱんまいぶくろ)」というのを行っています。

ここら辺りの真宗寺院ではよく見かける光景なのですが、どうやら地方色があるようですし、名称も異なっているようです。

今回は御仏飯米袋についてのお話です。

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御仏飯米袋とは何。

御仏飯米袋

ちょっと写真が暗いけどなんとか文字が見えますよね。

円龍寺ではこの写真の様に「永代経御仏飯米袋」と書かさせていただいています。

布の色は新しく作った袋は白色ですが、古くから使っている方は茶色に変色しています。

御仏飯米袋とは簡単に説明すると、

御仏飯としてお供えするお米を入れる袋のことです。

御仏飯とはどういう意味?

御仏飯とは仏様にお参りをするときにお供え物をする物の一つです。

仏様へのお供えとは基本的に、献灯・献花・献香・献供と言われています。(宗派によって異なりますよ)

その中でお供え物を仏様参りの時はした方がよろしいのです。

真宗では朝夕のお勤めがすすめられているのですが、朝のお勤めでは、仏様・御本尊(阿弥陀様)に炊いたお米をお供えします。

御仏飯とは仏様が召し上がる食べ物というのではなく、私たちがあらゆるいのちとあらゆるご縁の中で、生きていくのに不可欠な食事を頂いていることへの感謝をさしていただいているのです。

お寺では朝のお勤め時に御仏飯をお供えしてから読経をし、その後すぐに下げます。遅くとも昼までにはおろします。

御仏飯米袋の役割。

お寺では法要の際などに懇志を頂いていますね。

懇志とはたいていの場合現金で、一般的にお寺の護持運営に使われているのですが、御仏飯米袋とはお米を入れる袋なので、仏様へのお供えという役割があります。

簡単に言うと、

  • 懇志は、お寺の維持に使うお金。
  • 御仏飯米袋は、仏様(御本尊)への供物。

と分けられます。

なぜ御仏飯米袋があるのか。

さてさてお寺がお参りの方から護持金にあたる懇志を頂いているのですから、毎日の仏様へのお供え(御仏飯)もこの懇志から賄えばいいと思うでしょう。

その感覚は今が昔よりも裕福な時代だからです。

昔はお金のある生活をできている人が必ずいるわけではありませんでした。

その中でも自分が頼りにしているお寺(檀那寺)への信仰というのもありました。しかし自分にはお金というのがないので、金銭面での支援というのはできなかったのです。その中で仏様へのお世話ができることとして、自分たちが生産しているお米というのがあったのです。

円龍寺は比較的田舎にあるお寺で、ご門徒さんの多くはかつては農家の方ばかりでした。
仏様へのお供えという形で御仏飯としてのお米を納めていただいていたのです。

これがもしもお金を持っている裕福な地域であれば、御仏飯米袋という文化は生まれなかったでしょう。

繰り返しますが、御仏飯米袋とは満足な懇志ができない人が、自分ができる範囲で仏様へのお布施としてお供えしたのが、お寺の僧侶が毎日お供えする御仏飯のお米だったのです。

御仏飯米袋の別の呼び名。

円龍寺では仏様へお供えする御仏飯のお米を納める袋という意味で、昔から「御仏飯米袋」と呼ばれていました。

しかし地域によっては違うようですね。

  • 御鉢米(おはちまい)
  • 御供米(ごくまい)
  • 御仏供米(おぶくまい)
  • 御供養米(ごくようまい)
  • 御浄米(ごじょうまい)

意味は円龍寺で使っている御仏飯米(おぶっぱんまい)とだいだい同じです。

ちなみに最近では「御仏飯米料袋」としています。

円龍寺では昔ながらの習慣として今でもお米をお供えしていただくために「御仏飯米袋」をお願いしています。

しかし現代ではこの袋の意味が分からなかったり、昔と違ってお米を作られていない家もあります。

わざわざ御仏飯米袋のためにお米を買っている家もあるそうです。

ですからその家の代が変わったり、袋が使えなくなるほど傷んでしまってしまった場合には円龍寺の場合、「御仏飯米料袋」に書き換えています。

「料」という文字を付け加えています。

お米でもいいですし、お金をお米の代わりにお供えしても大丈夫なように表現を変えつつあります。

別の形でもお米を納める習慣は残っています。

今回はお寺が永代経法要の際に、懇志を納めるのと合わせて、御仏飯米袋をお願いしているのですが、何もこの習慣はお寺に関することだけではありません。

例えば、ここ金倉の地では近所の人が亡くなった場合、近所の人たちが手伝いに行きます。

何を手伝いに行くかというと、身内の人が亡くなるとその家の人は葬儀や火葬場の準備などで忙しいために地域(講中)が食事の世話などをしてくれるのです。その時に各家からお米を持っていくのです。お米を納めるとは表現が正しくないかもしれませんが、田舎ではお金ではなく、お米で世話をする習慣が残っていました。
(ただここ数年は、お弁当を購入しているところもあるそうですが)

さいごに。お寺はご門徒の支えあってこそ。

御仏飯米袋にお供えしていただくお米とは、仏様にお供えする御仏飯が一番の役割です。

しかしこのお米はお寺に納めていただいているお米ですので、もちろんこれ以外にも使っています。

例えば報恩講法要の時です。

報恩講法要とは親鸞聖人のご命日のお勤めですが、この法要の時にはお参りの人たちにお斎(おとき)という接待をします。

この時に使われているお米も御仏飯米から賄っています。

仏様へのお供えとは仏様が食べるものではなく、いのち・ご縁への感謝であり、その供えられたお米をお参りの方たちとともに頂くのです。


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最近ではお寺への懇志や御仏飯が減っています。

最近ではお寺への懇志やお供えが減っていますね。

お寺を支える・守っていく意識が無くなっているのでしょうね。

そりゃそうでしょうね。

生まれ育った実家や墓ですら捨てていっているのですから。

かつての人たちはなぜお寺を大切にしていたのか。これはまた別の機会にお話ししますが、少しだけ触れておきます。

真宗におけるお寺とは念仏道場としての役割がありました。

つまりお念仏の教えをいただき、お念仏により自分の生きていく(死んでいく)道というのが明らかになっていたのです。真宗におけるお寺とは自分の人生にとってなくてはならないものであり、御本尊(阿弥陀様)に手を合わすことができる場所でもあったのです。

時代がたつにつれて、家でもお寺の形をまねたお仏壇というものが各家で用意され、自宅でも佛様へのお給仕ができるようになったのですが、それでもそれはあくまでもお寺を真似ただけで、これからも永代に渡ってお念仏・浄土の教えが相続していくためにお寺を大切にしていました。
それが真宗における永代経でもあります。
永代供養ではなく、永代に渡ってお寺・教えが繋がっていくための法座です。

ですので円龍寺では年二回。
春と秋の永代経法要の時に懇志だけでなく、御仏飯米料もお願いしているのです。



地域によっては、御仏飯米袋とは自分で作ったお米が直接仏様へのお供えになるということから、金襴といった豪華な布袋にしてお米を納めているところもあると聞いたことがあります。

そのような意識が今後も残ってくれれば幸いなのですが。

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