お経をあげるのにどんな理由があるの。意味が分からないのに読むのか

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

お寺での法要や家での法事では、お坊さんがお経をあげますよね。

皆さんはなぜ仏事でお経をあげるのか知っていますか。

つい先日お参りに行きますと中学生くらいの子供さんから「こんな長いお経を読むことに意味ってあるの?何を言っているのか分からないよ?」と質問してきました。

するとお母さんがね、「なんてこと言うの失礼じゃないの」という雰囲気で叱って?いたんですね。

いやいや、良い質問じゃないですか。

失礼でもなんでもなく、お参りの人たちは知っておかなければならないことです。

お寺やお仏壇ではお経を読むものだと、ただ思い込んでいるだけじゃないですか。

というわけで今回はなぜお経をお勤めするのかについてを説明します。

*これは浄土真宗的な考え方ですので、他の仏教宗派では当てはまらないかもしれません。

お経本の読経様子。

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お経をあげることは供養のひとつ。

浄土真宗では先祖に対しての追善供養をしませんよね。真宗のお坊さんはこのことをしょっちゅう言います。

でもですね、皆さん勘違いしやすいのですが、『供養=追善供養』ではないんですよ。

供養というのはわかりやすく言うと、「亡くなった人に・仏様にお供えして、亡くなった人を縁として私の心も養われていく」という意味です。

それでですね、供養には3種類あると言われています。(もちろん考え方によっては2・4・5・6・7・8・10種と分けられますが)

  • 利供養(りくよう)
  • 敬供養(きょうくよう)
  • 行供養(ぎょうくよう)

難しい表現でしょう。

お経文をお勤めするのはこの中では敬供養をすることになります。

利供養とは亡き人や仏様へ物品を供えるということです。(例えば花やお香やお光、果物や乾物のことですね。)

敬供養とは仏様を敬うということです。

行供養とは仏法を通して大切なことがわかり、自分がどういう歩みをするのか、大事なことに気がつきその道を歩める私になること。(行供養は分かりにくいです。簡単には説明できないですし、なかなか理解できないことです)

お経は一字一句、意味が分かるためにお勤めしていない。

お経はですね。意味が分かるためにお勤めしてるんじゃないんですよ。

お経はね、読誦(どくじゅ)と言って、読むためにあるんですよ。

そりゃそうでしょう。お経文をお勤めする声を聞いてお経文の内容が意味が分かると思いますか。

お経文を読む声を通して、仏の声を聴くことがお経文をあげる理由です。

意味が分からないのにお経を読むのはなぜ。

お経は意味が分かるためにお勤めしていない。

お経文には意味がないのではありませんよ。

お経文をお勤めする声を聞いても意味が分からないということです。

お経とは仏様(お釈迦さま)がお話になった内容です。お釈迦様が説かれた法をお弟子さんたちが後にまとめたのがお経文です。(ですから経典には『我聞如是or如是我聞』のように、私はこのように聞きましたの一文から始まるのです)

  1. 経(きょう)
  2. 論(ろん)
  3. 釈(しゃく)
  4. 教(きょう・おしえ)

仏様が説かれたお経にはどんな意味・どんな内容かというのをわかりやすく説明しようとしたのが、論であり、釈であり、教なんですね。

論や釈というのはインド・中国・日本の高僧たちが残された書物であり、お経の解説本です。

そしてお坊さんは論・釈からお経を学び、お経の中身、伝えたい事をかみ砕いて伝えお話しするのが、教えとなります。

意味がわからないのにお経を読むというのは、仏様の説かれたお経を通して亡き人を偲ぶことが敬供養だからです。

またお経を読むこと聴くことというのは、心を静かに落ち着けるという意味合いもあります。

仏法とはこの私の命の中身・あり方を知ることとも言えます。

静かに座り、心を落ち着かせないとなかなか大切なことが見えてこないものです。


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さいごに・まとめ。お経文の意味を知りたいならお坊さんにたずねよう。

お経文とはただ聞くだけで意味がわかるものではありません。

お経文とは仏様が説かれた仏法が記された金言であり、私たちに対して人生において大切なことを宗になることが書かれているんですね。

仏様が説かれたお経文を読誦し、故人を偲び仏様を敬うのが供養の一つである敬供養をしていることになります。

お経を読むこと聞くことで私の心を落ち着かせ、亡き人の縁を通し、私の胸に響かせるのです。

といってもやっぱりお経文の中身は知りたいものですね。

そんなときはお坊さんに質問すればいいのです。

お経は正直かなり難しい。意味内容はわかるけども本当に伝えたいことは理解しにくい。それをわかりやすく説明しようとしたのが今までの高僧たちであり、そのおかげにより、お坊さんはさらにかみ砕いて教えとして人々に伝えているのです。

だから家での法事やお寺での法要にお参りすれば気がつくでしょうが、お坊さんはお経をただ読んでいるだけではないですよね。

お勤めの後にはお話をするはずです。

仏様への物によるお供え(利供養)、お勤めによる供養(敬供養)、教えを理解し実践し伝えていくこと(行供養)によって仏事が成り立っています。

お経を読んでも意味は分からないでしょう。

しかし意味が分からないけどもこれが仏様から私に届けられた大切な教えだといただけることが、お経を読むこと聞いていくことの意義になるのです。

お経を読む時間が長くていやだなあ~なんて思わずに、私に向けられた仏からの願いだと思って心静かに聞いていただければ幸いです。

お経文の内容・意味を知りたければお坊さんに聞いてみてください。きっとその時その時に応じて表現を変えながら説明してくれるでしょう。

お経をあげることは供養の一つ、敬供養のために。供養とはお供えをし亡き人を縁として私のために、私の心が養われ育てられることです。

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