なぜ、お坊さんは布施を頂いても感謝のお礼を言わないのか。

こんばんは。 僧侶のかっけいです。

お坊さんが家にお参りに来てお勤めをすると必ずお布施を渡しますよね。

お布施というのは、一般の方にとって理解するのが難しいもので、何度説明してもなかなか納得してもらえません。
(理解しようとするから納得できないのでしょうが。私から言わせると)

お布施について納得できないことが多いので、一部からは「坊主丸儲け」という言葉が誤解されて使われているそうです。
使われていなくてもそう考えている人もいるかもしれません。

今回は、その中でお布施を差し出している人が「ムッ!」とするかもしれないお布施に関する話です。

なぜお坊さんはお布施を頂くときにお礼を言わないのか。

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お布施(ふせ)って、そもそも何。

お坊さんと接する時ってとりあえず、「お布施」と言えば・書けばいいと思っていませんか。

実際そうなんですよ。

何でもいいからお布施とすれば間違いはないのです。

しかしお布施が何なのかを知らずにお布施を使っているので、僧侶に渡している金や物などが、まるで僧侶に対する報酬として勘違いされているのではないでしょうか。

お布施とは布施行のことなんですね。

布施行と言ったら難しく思ってしまうかもしれません。

単純に言えば、仏教における修行の一種です。

修行と言えば実践するのが難しいと思えるかもしれませんが、程度は人によって異なります。

布施行には主に3種類があります。

  • 法施(ほうせ)
  • 財施(ざいせ)
  • 無畏施(むいせ)

他にも「○○施」があるのですが、ここでは省略します。
今回の話では法施と財施がキーですから。

僧侶のお勤めとは法施である。

さてお坊さんはなぜお勤めをしたり(経を読んだり)、仏教のお話をするのか。

それは仏事というのは、形式上や習慣上・親戚との付き合いでするのではなく、仏法に出あう場としての役割があります。

お坊さんが仏事でお経を読むのは仏様の金言・教えを口に出して思いを参列者と共有し、お話をすることで仏法を説いているのです。

これらの行為が法施という修行の一つです。

ですのでお坊さんはお参りをすることで法施というお布施をしているのです。

財施とは法施とは別の布施。

さてお坊さんはお参りの中で読経や布教によって法施をしています。

しかしお参りの方(仏事のご縁をいただいている人)はまだ布施行をしていません。

布施行とは、仏法を頂いている人がする行いです。

法施は既に僧侶(檀那寺)がしています。

一方でお参りの方ができるのは財施という修行です。

財施というのは金銭や物品を施すということです。
(今の時代は現金が一般的でしょう。しかし例えば財産という言葉はお金だけをさしてはいないでしょう。衣服や土地など様々なものが財となっていますね)

この財施を皆様が僧侶に「お布施」と袋に名付けて渡しているのです。

財施と法施という布施行のやり取りですね。

なぜ、財施(お布施)を僧侶に渡すのか。

さてさてなぜ財施というお布施をお坊さんに渡しているのでしょうか。

それは仏法を頂いたことに対する感謝として仏様に布施行をしているのです。言葉足らずですが、仏様のご恩に報謝しているのです。
(もっと難しく言えば喜捨の精神とも表現されるのですが、こんがらがってしまうと思うのでここでは説明しません。)

仏様に対して財施という布施をしようとしても仏様は直接受け取ってくれませんよね。

ではその差し出そうとした施しはどうすればいいのか。

お寺さんに渡すのです。

「なんでやねん!」と思うかもしれませんが理由があるのです。

最初の方で言いましたが、布施行というのは決まったものがありません。人によって程度が異なるのです。そして布施と仏法を頂いている人が修める行のひとつです。

ですので財施もしていくのです。

お参りに行っているお坊さんは、「ありがとうございます。」という感謝の言葉を使いません。

それはこのお布施が布施行のやり取りであり、財施を仏様にお供えするために預かっているためです。

檀家さんが仏様に対するお礼(お布施)をするために、仏様(御本尊)を安置しているお寺(檀那寺)の僧侶に渡しているのです。

ですのでお坊さんがお布施を頂くのは、お勤めの対価・見返りではなく、財施をする人が仏さまに行をするために、檀那寺が財を受け取っているのです。

お坊さんは預かっているだけですので、ありがとうございますのお礼をしないのです。

お坊さんが使う言葉としては、
「(御本尊に納めさせていただくために、)お預かりさせていただきます。」などとなります。

でもお布施ってお坊さんへのお金じゃないの。

この説明で納得する人は素直なのか・騙されやすいのか・既に仏法を頂いている人のどれかでしょうね。

多くの人は「お寺の御本尊にお供えする(納める)と言っても結局はお寺の人、すなわちお坊さんのお金や物になっているんじゃないの」と思うのではないでしょうか。

それが間違いなのです。

お布施は僧侶のお金ではないのですね。お寺のお金になるのです。言葉を変えると懇志となりますかね。

ですので、「いつどこそこに何のお勤めでお参りをし、いくらのお布施をお預かりしたのか」を正しく記録をしているのです。税務署の人がいつ来ても正しくお金を納めていることを示すためです。

お坊さんはお布施で生活しているのではなく、宗教法人から決まった給料が出ているので、この給料で生活しているのです。

お布施は宗教法人に入り、お寺の人間は個人的な理由では使えません。これはお寺のお金ですので、お寺の護持・運営などに使われていくのです。

ちなみにですが、お坊さんも皆様と同じように様々な税金を払っていますよ。これがなぜか信じてもらえないのですが。
(消費税を支払わなくてもよいのなら、レジでの会計もスムーズだろうなあ)


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さいごに

坊主丸儲けという言葉あるそうです。

なぜでしょうね。

私も「お寺はお金持ちなんやろ」と言われたことがあります。

お金持ちの意味がよく分からないのですが、お金を持っていない人は現代の日本では少ないんじゃないのですか。

お寺はご門徒の皆様(檀家)からお布施という形でお寺への懇志を預かっています。
しかしそのお金や物というのはあくまでも、お寺(檀那寺)の護持運営に使われていくもので、お坊さんが自由に使っていくものではないのです。

こういう質問をする人はどういう答えを望んでいるのでしょうか。

皆様がするお坊さんに渡しているお布施とは、財施という行の一つで、お坊さんのする法施とのやり取りであります。
そしてお坊さんは仏様にしている財施をお預かりしているだけです。

施しを受けているのに、お返しをしないということはありえないのですから。

お布施を預かるときはお坊さんはありがとうございますのお礼はしないものです。本当は。
でもなかなかわかってもらえないので、「有難くお受けします。」と「ありが」まで言ったりします。私は。

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