こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
浄土真宗のご本尊は阿弥陀如来です。
阿弥陀如来をおまつりする方法として、絵で表現した「絵像」・南無阿弥陀仏の文字で表現した「名号」・そして立体的に表現した「木像」があります。
今回は木像の阿弥陀如来像についての豆知識を一つ紹介します。
なぜ阿弥陀如来の立像が前傾姿勢なのか?
阿弥陀如来の立像を横から見た写真。
上の写真はお寺の本堂にお飾りしている阿弥陀如来像です。
どれくらい前傾姿勢をしているのか分かりやすくするために、青色線の補助線を示しています。
どうでしょうか。結構倒れているでしょう。
これはお寺の仏像だからこんなに倒れているのだと思いますか。
いいえ、もしもお仏壇の阿弥陀如来が木像であるなら、ぜひ確認してみてください。程度の違いこそあれ、やっぱり前傾姿勢になっているはずですよ。(中には倒れていないのもありますよ。)
阿弥陀仏の立像が前に倒れている理由。
ちなみにですが、前に倒れているのは立っている状態の姿「立像(りつぞう・りゅうぞう)」で表現されます。
実は古い時代の阿弥陀如来像は座っているお姿「座像(ざぞう)」が一般的でした。そしてこの座像ではほとんど前に体が倒れていません。
ではなぜ立像の阿弥陀仏は前に倒れているのか。
それは阿弥陀仏が一般の人を救いの目当てにしているからです。
もっと分かりやすく言えば、阿弥陀仏の方から私たちの方に向かってきている姿をあらわしているからです。
例えば東大寺の本尊である廬舎那仏、東寺の本尊である薬師如来、飛鳥寺にある大仏は釈迦如来、これらすべては座った状態で表現されています。
同じような時代では宇治の平等院鳳凰堂に阿弥陀如来の座像がまつられています。
古い時代の仏様は座った状態で表されています。
座っている姿というのは、仏様が悟られている姿を表現しており、仏様の徳が高いことを表しています。昔の時代の仏像というのは立派なお寺に安置され貴族や出家者が拝むことができる、言わば特別な人のみが拝むことができた仏様です。
しかし阿弥陀仏というのはあらゆる衆生を救うことを誓われた仏様です。
また阿弥陀仏が臨終の時に諸仏を引き連れて故人をお浄土に導く「来迎(らいごう)」が信仰されるようになります。
座った状態での来迎図もありますが、多くの場合、立った状態の阿弥陀仏が迎えに来ます。
阿弥陀仏の像が立つようになってきたのは、あらゆる人を救う願いをたてた仏であり、臨終の際には仏様の方から迎えに来て下さると考えるようになったからです。
ちなみに昨年2017年10月に平等院の観音菩薩立像が前傾姿勢であったことが判明したというニュースがありました。
同時代の阿弥陀如来は座像でしたが、その当時から来迎による阿弥陀仏のお浄土への往生が信仰されていたのでしょう。(観音菩薩は阿弥陀仏の脇侍)
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さいごに。仏像によっては半歩前に出ていることも。
阿弥陀仏というのは、自分の力では救われないという人であっても、「必ず必ず助けるぞ」と願われた仏様です。
悩みや苦しみや妬みが多く煩悩だらけの私であっても、仏様の願いに気が付かず目を背けて逃げるように生きている私であっても、阿弥陀仏というのは常に私に対してお慈悲の光が向けられているのです。
阿弥陀仏の立像は前傾姿勢していることもあれば、左足が半歩前に踏み出していることもあります。
これは仏様の願いに気が付かず、仏様からあえて遠ざかっている私であっても仏様の方から近づき、倒れこんでも救うという仏様の大菩提心を表しています。
私が仏を念じているのではなく、仏の方からもこの私を念じている姿。それがお浄土の姿であり、私の方に傾いてきている阿弥陀仏の立像の心ではないだろうか。