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浄土真宗の法名を生前につける理由

投稿日:2018年10月1日 更新日:

真宗僧侶のかっけいです。

浄土真宗という仏教宗派では「法名(ほうみょう)」という名前を授かります。しかしご門徒の人もよく分かっていないのか、「戒名(かいみょう)」と混同されていることもあります。

もっといえば法名は「死後の名前」・「葬儀で必要な名前」・「墓や位牌に刻む名前」・「お坊さんが勝手につける名前」と思っているのかもしれません。

今回のタイトルは『浄土真宗の法名を生前につける理由』としました。

  • 浄土真宗の法名とはどんなものか
  • なぜ法名をつけるのか
  • なぜ生きているうちにつけるのか

浄土真宗の門信徒であれば命尽きるまでには必ず知っておいたほうがいいでしょうね。


法名と戒名は意味の違う言葉

宗派によって微妙な違いはあるでしょうが、基本的な法名・戒名の構成は『(法名・戒名)釋○○(信士・信女)』となるでしょう。宗派によっていろいろな構成があるのでツッコミどころはありますが、法名・戒名の名前は『釋○○』のところをさします。

法名であっても戒名であっても非常に似た構成であるので、法名も戒名も同じ意味だと勘違いしやすいのかもしれません。

しかし法名と戒名は異なる意味です。

戒名(かいみょう)とは、その仏教宗派の厳格な戒律(約束ごと)を守り、仏道修行を励む自力聖道門(じりきしょうどうもん)の人につけられる名前のことです。仏門に入り戒律を守る(守った)ことを表明するために師から授かります。

法名(ほうみょう)とは、仏門に入る(入った)人が名乗る名前です。阿弥陀仏の法(願い)にであい、世俗の中に生きていながら仏弟子として生きぬくことを表明した名前のことです。

浄土真宗はどのような人であっても救うと誓われた阿弥陀仏の願いをよりどころとして生きています。もちろんそれはただ阿弥陀仏にまかせっきりというわけではなく、真宗の門徒としての自覚をもち、南無阿弥陀仏と仏様の願いの中に生きる他力浄土門(たりきじょうどもん)の生き方を心がけます。法名とは仏弟子として生きることの表明です。

法名・戒名のどちらが優れているかという問題ではなく、法名とは阿弥陀仏の願いに生きる人たちが仏弟子だという自覚をもつための名前だと思ってください。

法名はなぜ生きているうちに名づけるのか

戒名も生前に師よりいただくのですが、法名も同じく生前にいただきます。

生前にいただかずに仏式の葬儀をする時には、仏弟子の名がない状態では葬儀ができないので、葬儀を執り行うお坊さんが急遽代わりに名前を授けます。

おそらくこのために法名が「死者に名付ける名前」と勘違いされるのかもしれませんが、阿弥陀仏のみ教えに生きる名乗りですので本来は生前にいただくものです。

その名前は正式には自分が属する宗派本山のご門主より授かります。

ご本山にお参りをして帰敬式(ききょうしき)やお剃刀(おかみそり)などという儀式をして法名を授かり、真宗門徒としての自覚を深めていきます。

私たちは俗世間に生まれた時に父母から名前(俗名)をいただきます。

また仏様さまの仏弟子となり、いのちの尊さ有難さを見つめながら生きる名前(法名)をいただきます。

どちらも授かった非常に大切な名前です。

欲や迷いや苦しみが多く私たちは自己中心的な生き方をします。健康でありお金があり上手く物事が進めば幸せに感じるかもしれませんが、失敗したり挫折したりやがては老いたり病気になったりします。

世俗の中に生きるのは人として当たり前のことなのですが、その中であっても「後のことは何も心配するな」とお約束された阿弥陀仏の願いをいただき、自己中心的なものの見方から転換した生き方を法名を通して見つめていくのです。

戒律を厳しく守っていく戒名の生き方ではないけれども、人生の中で仏様の願いをたずねていき、感謝・よろこびを知る生き方をしていくのが生前の法名の意義です。


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さいごに。法名・戒名の始まりは釋道安とされる

浄土真宗門信徒は阿弥陀仏の願い・法を支えに人生を歩んでいきます。

法名とは生きているうちに宗派のご門主より授かり、俗世間の中に生きている俗名の私だけでなく、仏様の法を聞き自己中心的なものの見方を転換した法名の私を自覚します。

名前を授かるというのは人生の新たなスタート地点を持つということです。

昔のお坊さんを例にしても、人生の節目の中で幾度となく名を改めています。自分自身の生き方を見直し、より精進していくためです。

生前に法名を授かる私たちも、ただ法名をつけてもらったと安心するのではなく、よりいっそうお寺に参ったり仏壇に参ったりと仏様の願いをたずねる生き方を心がけます。それが生前法名です。

ちなみに法名や戒名のはじまりは今から2000年ほど前の中国の釋道安(どうあん)とされます。それまでの時代でも受戒の際に師から名を授かることはあったそうですが、それは出身の地を表す名であったそうです。そうではなく、道安は仏教にであった人たちはともにお釈迦様(釈尊)の弟子なのだから、釈尊から釋をいただき仏弟子としての自覚をもつべきだとしました。

法名や戒名は死後の名前ではありません。生きているうちに授かり仏弟子としての自覚を持つ名乗りです。

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